見出し画像

【小説】四十一年のサイレント・ゲーム~僕の人生で、最も美しいエラーコード~(全11章)第一幕:出会いとゲームの開始 第1章:エラーコード

 2025年、秋。大阪湾から吹きつける乾いた風が、弁天町駅近くの高層マンションの窓を静かに叩いていた。

 引退して二年になる健人けんとは、書斎の整理中に見つけた段ボール箱の底から、一組の紙の束を取り出した。それは、まだコンピューターが部屋一つを占めるほど巨大だった時代、彼が昼夜を徹して格闘したプログラムのソースコードリストだった。ドットインパクトプリンタ特有の、微かにインクが滲んだ文字の羅列。その当時の事務処理系システムの主流としてよく使われていたCOBOLコボルというコンピューター言語で書かれたその古めかしい命令群は、彼が歩んできた人生そのものだった。

 健人の人生は、バグのない完璧なプログラムを組むことに捧げられてきた。入力インプットに対して、予測通りの出力アウトプットを返す。その論理的で明快な世界に、彼は安らぎを感じていた。曖昧さや矛盾、非効率といった人間の感情が入り込む余地のない、0と1で構成された秩序の世界。それが彼の砦だった。
 だが、彼の魂の深層部には、41年間どうしても修正デバッグできないエラーコードが、まるで亡霊のように居座り続けていた。

KEIKO_ERROR: Undefined response. Process halted.
(未定義の応答です。処理を中断しました。)

 それは、彼が22歳の時にコンパイルされ、以来、彼の人生のあらゆる局面で不意に顔を出すランタイムエラーだった。原因不明。解決不能。ただ、そのエラーが実行されるたびに、彼の胸には言いようのない痛みと、秋の空のような寂寥感が広がった。
 健人はソースコードリストを指でなぞる。あの頃、彼が書いていたのは、未来を予測する在庫管理システムだった。皮肉なものだ。未来の数字は予測できても、人の心の、たった一行のコードさえ、彼は読み解くことができなかったのだから。

 彼は窓の外に広がる大阪の街並みを見下ろす。煌めく光の海の中に、41年前のあの日の景色が、幻のように滲んで見えた。

(第二章へ続く)

この記事が参加している募集