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リンクは「張る」?「貼る」? ~時代と共に変わるかも知れない言葉の話~

 西暦2000年の少し前、私がインターネットを始めた頃。今のように誰もがスマホどころかガラケーさえも持つ時代では決してなく、また携帯電話があってもiモードやJスカイなどのインターネット機能が、やっと出てきたかな?というくらいで、SNSはもちろん、無料ブログサービスさえもまだ存在しなかった時代でした。
 当時のインターネット上で友人を作ろうと思ったら、一例としてですが、まず自分の「ホームページ」を持つところから始まります。今は無き「ジオシティーズ」のような個人の無料ホームページ作成スペースが提供されるサービスに登録し、ある人は必死でHTMLという呪文のようなコンピューター言語を学び、ある人はWindows98に当時標準搭載されていたホームページ作成ソフト(FrontPage Express)と格闘し、またある人はなけなしのお小遣いで「IBMホームページ・ビルダー」というソフトを買ったり…して自分なりの個人ホームページを作る…。今思えば、誰もが、今の人からしたら涙ぐましいと思える努力をして自分の「城」を築いていた時代でした。
 そこに自己紹介や日記、自作の詩などを書き連ね、同じジオシティーズのホームページ仲間の方々のサイトを相互に訪問しては、掲示板に足跡を残す。そんなアナログともいえる交流の中で、インターネット上の友情が育まれていきました。
 …と、これ以上書くと完全に「インターネット老人会」の昔話になってしまうので、本題に入りましょう。

 当時、自分のホームページを訪れてくれた人にネット上やリアルの友人などのホームページを紹介するため、多くの人が「リンク集」というページを自分のサイト内に作っていました。紹介文とともに、その人のサイトへ飛ぶための「リンク」を張るのです。

 そう、あの頃、リンクは間違いなく『張る』ものでした。

 ところが、です。いつからか、この『張る』が『貼る』に置き換わり始め、ごく最近(2025年)X(旧Twitter)利用者の、とある個人の方が自主的に行ったXの中でのアンケートによれば、今や『貼る』派が9割を占めるというデータさえあります。
 一体どちらが正しいのか?そして、なぜこんな変化が起きたのか?今日はこの「リンクをはる問題」を皮切りに、言葉の不思議について考えてみたいと思います。

【私見】リンクは「張る」か「貼る」か

 私個人の見解としては、そもそもは「張る」が正しいと考えています。
 その理由は、例えばウェブページのアドレスによくある「https://www.○○○.com/~」のwwwが意味する「World Wide Web」が、その名の通り「世界に広がる蜘蛛の巣(Web)」に例えられていたからです。
 蜘蛛が巣の糸を張り巡らせるように、サイトとサイトを線で結びつけ、巨大なネットワークを構築する。
 この本質的なイメージから「リンクを張る」という表現が生まれました。
「網を張る」「電線を張る」という言葉と同じ使い方で、非常に的確な比喩だったと思います。

では、なぜ「貼る」が主流になったのか。

 これは、私たちの具体的な操作感覚から来た、ごく自然な変化なのかも知れません。
 リンクを設置する時、私たちは「URLをコピーして、ブログやメールの本文にペースト(貼り付け)する」という作業を行いますよね。
 この「貼り付け」という行為が、まるでシールや付箋をペタッと貼る感覚と直結したのでしょう。
 つまり、

  • 「張る」… ネットワークの仕組みや機能に注目した、伝統的であり本質的な本来の表現。

  • 「貼る」… コピペというユーザーの操作に注目した、直感的で最近の人々に分かりやすい表現。

 よく考えてみれば「張る」だけではなく「貼る」という表現にも、それなりの正統性があるわけです。
 個人的には「張る」という言葉の持つ奥深さこそ本来の姿だと考えますが、もはや「貼る」が間違いだとは言えないほど定着してしまっています。
 言葉は生き物なのだな、と、改めて感じさせられます。

それってヘンじゃない?言葉や表記のズレ

 こうした「本来の意味」と「今の使われ方」のズレは、探してみると他にもたくさんあります。
 例えば、固定電話の電話番号のカッコの使い方
「0123 (45) 6789」のように、固定電話の電話番号の真ん中の市内局番をカッコでくくる表記を、だいぶ以前からよく見かけます。
 しかし、そもそもカッコという記号は、文章中で「省略可能な部分」や「補足説明」を示すために使うのが基本です。
 固定電話の番号において、市内局番は省略できませんよね。
 本来のカッコの使い方に則るなら、固定電話から同じ市内にかける際に省略できる市外局番の方をカッコでくくる「(0123) 45-6789」という表記の方が正しいのです。
…もっとも、最近は携帯電話が主流になり、そもそも「市外局番」や「市内局番」という概念自体が薄れつつあります。
 昔、街の中心によくあった「電話」や「電報電話」もすっかり見かけなくなりました。
 技術の進化が、言葉や表記の正しさを無意味にしていくのかもしれません。

JRって、「私鉄」の一種じゃないの?

 もう一つ、個人的にずっと気になっているのが「私鉄」という言葉の示す範囲です。
 この言葉は、もともと「国鉄(日本国有鉄道)」以外の民間鉄道会社すべてを指す言葉でした。しかし、1987年に国鉄が分割民営化され、JR各社が発足しました。
 この瞬間、法律上は日本の鉄道会社はすべて「民間企業」になったわけですから、JRも「私鉄」に分類されたはずです。
 それなのに、今でも私たちは当たり前のように「JR」を私鉄ではないかのように従来の私鉄と区別して呼んでいます。
 まるで、国鉄がまだ形を変えて存在しているかのような、不思議な区分けだと個人的には思ってしまいます。
(国鉄民営化そのものの是非については、また別の機会にでも)

探せばまだまだ出てくる「言葉の不思議」

 挙げればキリがありませんが、例えば、

  • 「役不足」:本来は「その人の実力に対して、役目が軽すぎること」なのに、「自分にはその役は荷が重い(力不足)」という意味で誤用されることが多いですよね。

  • 「元旦」:本来は「1月1日の朝・午前中」を指す言葉ですが、今では「1月1日(元日)」そのものとほぼ同じ意味で使われています。

 言葉は、多くの人が「そう思う」ようになると、本来の意味から離れて新しい意味をまとっていく。
 もしかしたらそれは日本語の特徴なのかもしれませんが、それは間違いというよりも「変化」という事なのでしょうか。
 正しい知識を持つことは大切ですが、その上で、なぜ世間で違う使われ方が広まったのかを想像してみるのも、また一興ではないでしょうか。
 あなたの周りにも、こうした「あれ、どっちだっけ?」と気になる言葉や表記はありませんか? もしあれば、ぜひコメントで教えてください。