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見えないものの前で――新月の盆入りに、人間の小ささを考える


見えているものだけを信じ、見えないものは無かったことにする。人はそうやって世界と向き合うこともできるし、そうしないこともできる。今日は、新月の盆入りという一日を通して、そのことを考えてみたい。 

昨日から続いていた問い

今朝、暦の上では、七十二候の「涼風至(すずかぜいたる)」から「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」へ移った。七十二候とは、一年を七十二の期間に分け、五日ごとに移り変わる自然の様子を短い言葉で言い表す、日本の伝統的な季節区分である。 

立秋を過ぎ、ひぐらしの声に夏の終わりを感じ始める頃とされる。暑さの盛りはまだ続いている。暦はなお、季節が目に見えないところで少しずつ動いていることを知らせている。

昨日、私は阿波おどりとペルセウス座流星群について書いた。

徳島の街では、踊り手と鳴り物が「連」(グループごとに編成される踊りの一団)をつくり、異なる役割を担いながら同じ二拍子を聞いていた。空では、地球がスイフト・タットル彗星の残した塵の中を進み、小さな粒が大気に飛び込んで光を放っていた。 

雲があれば、流星は見えない。

見えないから、起きていないわけではない。

昨日の記事は、そんな言葉で終わった。

そして今日、八月十三日は、多くの地域で盆入りにあたる。国立天文台の暦では新月である。月明かりのない夜に、私たちは迎え火を焚き、目には見えない祖先を迎える。

昨日の問いは、そこで終わっていなかった。

見えている景色だけが、世界のすべてではない。

それなら人は、見えないものの前で、どのように振る舞ってきたのだろう。

盆入りの空に、月は見えない

お盆は、最初から八月十三日から十六日までの行事だったわけではない。

もとになった仏教行事の盂蘭盆会は、旧暦七月十五日に行われていた。『盂蘭盆経』には、釈迦の弟子である目連が、苦しんでいる亡き母を救うため、修行を終えた僧たちに食べ物を供えたという説話がある。日本では『日本書紀』に、七世紀にはすでに盂蘭盆会が営まれていたことを示す記述があるという。

そこへ、日本に古くからあった祖霊を迎える習俗が重なった。

東北歴史博物館は、日本では初春と初秋の満月の頃に祖先の霊を迎える行事があり、そのうち初秋のものが仏教の盂蘭盆会と結びついたと説明している。

旧暦の七月は秋である。七月十五日は、初秋の満月の頃だった。

仏教の供養と、日本の祖霊信仰。僧侶の修行が一つの節目を迎える日と、月が満ちる夜。外から入ってきた教えと、この土地で繰り返されてきた季節の感覚が重なり、お盆という行事になっていった。

明治の改暦によって、暦の日付と季節の間にずれが生まれた。旧暦七月十五日をそのまま新暦の七月十五日に置き換えると、従来の季節感より一か月ほど早くなってしまうからである。そのため地域ごとに対応が分かれた。東京などでは元の七月盆がそのまま残り、多くの地域では一か月遅らせた八月盆が定着し、沖縄や奄美などでは今も旧暦による盆が営まれている。

私たちが八月十三日に迎え火を焚くのは、昔から変わらない一つの日付を守っているからではない。暦が変わり、暮らしが変わり、地域ごとに選び直されながら、祖先を迎えるという行為が受け継がれてきたからである。

そして二〇二六年の盆入りは新月になった。

もともとのお盆は満月の頃に営まれていた。今夜の月は見えない。

行事は受け継がれていても、空に見える月の姿は同じではない。私たちは日付を残しながら、かつてとは違う月の下で祖先を迎えている。

人は、時間に折り目をつけてきた

なぜ、お盆は季節の変わり目にあるのだろう。

考えてみれば、人は昔から、季節が移り変わるところに何らかの儀礼を置いてきた。

春には、新しい生命や再生を祝う。作物を植える時には、実りと無事を願う。収穫の後には、自然や神に感謝する。冬の入口では、厳しい季節を越えられるように祈る。一年の終わりには、古い時間を閉じ、新しい時間を迎える。

暦の日付だけが先にあり、儀礼が後から付け加えられたとは限らない。日照時間が変わり、気温が変わり、作物の状態が変わる。暮らし方そのものが切り替わる時、人はそこに名前を与え、食べ物を用意し、火を焚き、歌い、踊り、祈ってきた。

昔の人にとって、季節の変化は風情だけではなかった。

雨が降るか。作物が育つか。冬を越せるか。病が広がらないか。家族が無事に帰ってくるか。自然の変化は、そのまま生と死に結びついていた。

季節の境目には、喜びと不安が同居する。

そこで一度立ち止まり、共同体で食べ、祈り、亡くなった人を思い出す。儀礼には、変化を一人だけで受け止めず、皆で引き受ける働きがあったのだろう。

セレモニーとは、時間に折り目をつけることなのかもしれない。

流れ続ける時間をいったん折り、ここまで生きてきたことを確かめる。誰のおかげで今があるのかを思い出す。次の季節へ進む前に、自分たちの力だけで生きているのではないことを確かめる。

お盆も阿波おどりも、その折り目の中にある。

阿波おどりの起源は一つに定まらない。築城祝い、風流おどり、盆おどりなど、いくつもの説がある。一つに定まらないことは、祭りの弱さではない。町の人の身体を渡り歩き、時代ごとの祈りや楽しみを受け入れてきたからこそ、一つの説明では収まらなくなったとも考えられる。

鉦や笛、太鼓が二拍子を刻み、人は手を上げて踊る。死者を迎える季節に、生きている人の身体が連なる。

静かな供養と、にぎやかな踊りは、反対のものではないのだろう。人は悲しみを黙って抱えることもあれば、音や踊りの中で受け止めることもある。

世界も、季節の境目で死者を迎える

祖先や亡くなった人を迎える行事は、日本だけにあるものではない。

メキシコでは、十月の終わりから十一月の初めにかけて「死者の日」が営まれる。中心となるのは十一月一日と二日で、一日は亡くなった子どもたち、二日は大人たちを迎える日とされる。

家庭には祭壇がつくられ、故人の写真、好物、パン、果物、ろうそくが供えられる。鮮やかなマリーゴールドの花びらや香の煙は、帰ってくる魂の道しるべになると考えられている。

日本のお盆とは、ずいぶん色彩が違う。

日本では、迎え火や送り火、盆棚、精進料理、墓参りの静かな印象が強い。メキシコの死者の日には、花、音楽、食べ物、骸骨の意匠があふれ、亡くなった人との再会を明るく祝う。

死を軽く扱っているのではない。悲しみを消しているわけではない。亡くなった人を忘れず、もう一度家族の中へ迎えるために、悲しみを色や音や食べ物に変えているのだと思う。

死者の日には、先住民社会の死者祭祀と、スペインから伝わったカトリックの諸聖人の日、死者の日が重なっている。時期は、トウモロコシをはじめとする作物の収穫周期が終わる頃にもあたる。

日本では初秋の満月と農耕の節目に祖先を迎え、メキシコでは収穫を終えた秋に死者を迎える。

中国の中元節も、旧暦七月十五日にあたる。祖先に食べ物を供え、灯籠をともして霊を導く地域がある。カトリック教会では十一月二日を「死者の日」とし、亡くなった人のために祈り、墓地を訪れる。

時期も教義も、死後の世界についての説明も同じではない。

それぞれの違いを消して「人類は皆、同じことをしている」とまとめれば、その土地で積み重ねられてきた歴史が薄くなる。

なお、重なって見える心の動きはある。

亡くなった人を、存在しなくなったものとして片づけない。食べる場所を用意する。火やろうそくを灯す。花を飾る。名前を呼ぶ。墓へ行く。家族や地域の人が集まる。

宗教が違っても、死によって関係が完全に消えてしまうのかという問いは残る。答えは異なる。その問いを抱えた人の振る舞いには、どこか似たところがある。

輪廻転生は、共通の答えではない

亡くなった人が帰ってくるという話から、前世や輪廻転生を思い浮かべる人もいる。

ここは、慎重に分けておきたい。

お盆やメキシコの死者の日は、必ずしも輪廻転生の行事ではない。亡くなった人の霊を一時的に迎えることと、その人が別の生命として生まれ変わることは、同じではない。

輪廻転生も、あらゆる宗教に共通する教えではない。

ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、シク教など、インドで生まれた宗教には、生と死の反復や、そこからの解放という考えがある。ただし、その中身は同じではない。ヒンドゥー教の多くの伝統では、身体を超えて存続する自己や魂が語られる。仏教は、変わらない自己を認めない「無我」を説きながら、行為と結果の因果が次の生へ続くと考える。

古代ギリシャのピタゴラスやプラトンにも、魂の転生という考えが見られる。ユダヤ教についても、すべての人に共通する教義ではないものの、神秘思想のカバラには「ギルグル」と呼ばれる魂の転生がある。

一方、キリスト教とイスラム教の主流は、輪廻転生ではなく、一度の地上の生、その後の復活や審判を説く。

宗教を越えて共通しているのは、輪廻転生という答えではない。

死んだ後、人はどうなるのか。大切な人とのつながりは、死によってすべて消えるのか。いまの人生には、どのような意味があるのか。

その問いを、人間が繰り返してきたことなのだと思う。

前世があると最初から決めてしまえば、この記事も一つの宗教的立場に立つことになる。前世を否定する必要もない。ここで考えたいのは、前世が存在するかどうかではなく、なぜ人が前世という物語に引かれるのかということである。

もし前世が分かるなら、なぜ自分がこのような人生を生きているのか、その理由が見つかるかもしれない。もし未来が分かるなら、今日どちらの道を選ぶべきか、迷わずに済むかもしれない。

人は、過去にも未来にも説明を求める。

それは超自然への単なる好奇心というより、自分の人生を一つの物語として理解したいという願いなのかもしれない。

見えるという体験と、見えたものの意味

人の周囲にオーラが見えると語る人もいる。人によって色が異なり、気分や性格によって変化すると説明されることもある。

その話を、すぐに嘘だと決めつける必要はない。

人を見ると、その周囲に特定の色が現れるという人を調べた研究があり、研究者は、それを共感覚の一種として解釈している。共感覚では、文字や数字を見ると色が浮かぶ、音を聞くと色を感じるなど、一つの刺激が別の感覚を自動的に引き起こす。

本人にとって、色が見えるという体験は現実である可能性がある。

ただし、その色が身体の外側に実在するエネルギーなのか、脳の知覚の働きによって生じているのかは別の問題になる。人の周囲の「エネルギー場」を感知できるかを調べた盲検試験では、その能力は確認されなかった。

ここで大切なのは、「見えるという体験」と「何が見えているのかという解釈」を分けることである。

何かを感じたという経験まで退ければ、その人の体験そのものを否定することになりかねない。感じたものを直ちに霊やエネルギーの証拠とすれば、解釈を事実に変えてしまう。

体験を尊重し、意味の判断は急がない。

その間に余白を残しておくことが、見えないものと丁寧に向き合うことなのだと思う。

超自然は、自然の外側にあるのか

人は、超自然的なものに憧れる。

前世には、いまの自分である理由を求める。予言には、これから進む道を求める。オーラには、言葉だけでは分からない人の本質を求める。死後の世界には、大切な人との関係が途切れないことを願う。

超自然的なものが実在するかという問いと、人がそれを求めるという事実は分けて考えられる。

そもそも、自然の側には「自然」と「超自然」という区分はないのかもしれない。

人間が仕組みを説明できるものを自然と呼び、現在の知識では説明できないものを超自然と呼んでいるだけだとすれば、超自然とは、自然の外にあるものではなく、まだ人間の理解の内側に入っていないものにつけた名前とも考えられる。

仮に、人の周囲にある何らかの色や場が、一定の条件で誰もが観測でき、異なる観測者が同じ結果を得て、繰り返し再現できるようになれば、それは超自然ではなく、新しく発見された自然現象になるだろう。

ここにも二つの飛躍がある。

現在の知識で説明できないから、存在すると決めること。

現在の知識で説明できないから、世界のどこにも存在しないと決めること。

向いている方向は反対であっても、どちらも「分からない」という空白に耐えきれず、自分の答えで埋めている。

分からないものを、分からないまま丁寧に置いておく。

それは思考を止めることではない。観察し、問い、確かめ続けるために、結論を急がないということである。

「この教授は、宇宙の果てまで行ったのだろうか」

子どもの頃、テレビでUFOを否定する自然科学の大学教授を見たことがある。

教授は、異星人など存在しないと言い切っていた。

私はテレビの前で不思議に思った。

この人は、まだ誰も見たことのない宇宙の果てまで行ったことがあるのだろうか。

もちろん、その番組で発言の前後がどのように編集されていたのかは分からない。教授が言いたかったのは、「目撃されたUFOを異星人の宇宙船と判断できる証拠はない」ということだったのかもしれない。

それなら、科学的に筋が通っている。

UFOや、現在UAPと呼ばれているものは、もともと正体を確認できていない現象を指す。正体が分からないことは、異星人の乗り物であることを意味しない。NASAも、UAPを地球外の技術と結びつけるデータはないとしている。

「異星人が地球へ来ていることを示す確かな証拠はない」と、「宇宙のどこにも異星人は存在しない」は、まったく違う。

地球外生命は、現在まで確認されていない。NASAをはじめとする研究機関は、火星や氷に覆われた衛星、太陽系外惑星の大気などを調べ、生命の痕跡を探している。人類は、地球以外の生命を見つけていないだけで、宇宙全体を調べ終えたわけではない。

あの時の私の疑問は、科学への反発ではなかったのだと思う。

人間の知識が届いていない場所について、なぜ「ない」と言い切れるのか。

子どもの私は、科学の結論ではなく、科学の限界を問いかけていた。

人類もまた、宇宙人である

「宇宙人は存在するのか」と問われると、私たちは地球の外にいる生き物を思い浮かべる。

言葉を文字どおりに捉えれば、人類も宇宙に住む生命である。

地球は宇宙の外側に浮かぶ特別な場所ではない。太陽系の一つの惑星であり、私たちの身体も、地球の土も、水も、大気も、宇宙を構成する物質からできている。

宇宙に生命は存在するか。

人類を含めるなら、答えはすでに「存在する」である。

地球の外にも生命が存在するかと条件を付けた時、答えは「まだ分からない」になる。地球外に知的生命が存在するかも、地球を訪れたことがあるかも、それぞれ証拠の強さが異なる別の問いである。

人類が現在言える最も正確な答えは、「まだ出会っていない」なのだろう。

私たちは、自分の住む地球を宇宙から切り離し、「宇宙人」を遠くに探す。

同じように、自分が理解できる範囲を自然と呼び、その外側を超自然と呼ぶ。

地球も宇宙の内側にある。未知の現象も、もし存在するなら、自然の内側にある。

人間が引いた境界を、世界そのものの境界だと思い込まないことが必要なのだと思う。

二メートルにも満たない場所から

人の身体は、多くの場合、地上から二メートルにも満たない高さにある。

地球と太陽との平均距離は、約一億五千万キロメートルだという。仮に人の身長を二メートルとしても、その距離の約七百五十億分の一にすぎない。

太陽までの距離だけで、この差である。

太陽系の外へ出れば距離は光年で表され、宇宙の果てを考えれば、人間の身体の大きさは数字の中から消えてしまう。

私たちは、その小さな身体から世界を見ている。

望遠鏡をつくり、顕微鏡をつくり、探査機を飛ばし、電波や重力波を捉え、肉眼では見えない世界へ認識を広げてきた。人間の知性が成し遂げてきたことは大きい。

同時に、道具によって視野を広げられることと、世界のすべてを知ったことは同じではない。

たかだか二メートルにも満たない場所から宇宙を見ている人類が、自分に見えないものを存在しないと言い切る。そこには、知性ではなく、知性への過信が入り込むことがある。

人間は、その危うさをどこかで知っていたのではないか。

だから季節の変わり目に立ち止まり、火を焚き、供え物を置き、祈り、踊り、頭を下げてきたのではないか。

儀礼がすべて、人間の驕りを戒める目的で生まれたと断定することはできない。収穫への感謝、災いへの恐れ、死者への供養、共同体の結び直しなど、始まりにはいくつもの理由があったはずである。

結果として儀礼は、人間に自分より大きなものを思い出させてきた。

自分より長く流れてきた時間。

自分の力では変えられない自然。

自分では支配できない生と死。

自分が生まれる前に生き、暮らしや文化を渡してくれた人たち。

その前で頭を下げる所作が、人間を世界の中心から少しだけ降ろしてくれる。

見えないものの前で、どう振る舞うか

お盆とメキシコの死者の日は、同じではない。

中国の中元節とも、キリスト教の死者の日とも同じではない。死者がどこにいるのか、どのように帰ってくるのか、生まれ変わるのか、復活するのか。宗教によって答えは異なる。

その違いを残したまま、共通しているように見えるものがある。

見えないものの前に場所をつくること。

自分の理解を超えるものを、無かったことにしないこと。

亡くなった人とのつながりを、死だけで断ち切らないこと。

季節の折り目に立ち止まり、自分だけの力でここまで来たのではないと確かめること。

問いたいのは、見えないものを信じるかどうかではない。

見えないものの前で、人はどのように振る舞ってきたのか、ということである。

畏敬とは、未知を盲目的に信じることではない。

自分の理解には限界があると知ったうえで、なお丁寧に向き合おうとする態度なのだと思う。

科学と畏敬は、必ずしも反対側にあるものではない。

科学は、分からないことを存在しないことにするための道具ではない。観察し、測り、他の人が確かめられる形にし、分かる範囲を少しずつ広げていく営みである。

畏敬も、分からないことを直ちに超自然的な存在へ結びつけることではない。自分の理解が世界の大きさに追いついていないと知り、その前で慎重になることである。

信じたいから存在すると決めない。

証明できないから存在しないとも決めない。

その間に残る広い余白を、恐れだけで埋めず、想像力だけにも委ねず、問いを持ったまま歩いていく。

人間は、その余白に物語をつくり、宗教を育て、儀礼を置いてきた。

宗教は、見えないものに物語を与える。

儀礼は、その物語に身体の形を与える。

迎え火を焚く。送り火で見送る。花びらで道をつくる。故人の好物を供える。墓前に立つ。踊りの輪に加わる。

それらは、見えない存在を科学的に証明するものではない。

そこに表れているのは、見えないものを粗末に扱いたくないという、人の心である。

新月の夜に迎える

今夜、月は見えない。

月が存在しないわけではない。

地球から見て、月が太陽とほぼ同じ方向にあり、照らされた側をこちらから見ることができないだけである。

昨日の雨雲の向こうで流星が飛んでいたように、見えない月も、いつもの軌道を進んでいる。

その月のないように見える空の下で、私たちは目には見えない人を迎える。

本当に帰ってきているのかを、確かめることはできない。

確かめられなくても、火を焚き、食べ物を供え、手を合わせる。

その行為によって証明されるのは、死者の存在ではない。

今を生きている私たちが、亡くなった人とのつながりを、まだ大切にしているということである。

人の身体は小さい。人の知る範囲も、宇宙の大きさに比べれば限られている。

だからこそ、見えないものを前にした時、すぐに否定したり、すぐに答えをつくったりせず、一度立ち止まることができる。

季節に折り目をつけ、火を灯し、自分より大きな時間に頭を下げることができる。

見えている景色だけが、世界のすべてではない。

見えないものを、見えると言い張る必要はない。

見えないから、存在しないと言い切る必要もない。

新月の盆入りに、私たちはその間に立っている。

分からないものを分からないまま抱え、なお粗末には扱わず、丁寧に迎えようとしている。

その姿の中に、人間が長い時間をかけて身につけてきた畏敬の形があるのだと思う。




出典・参考資料


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