誰かが覚えておく
債権者代位権の過去問を解いていて、解説を読んだ。
読んだはずなのに、分からない。
もう一度読んだ。
やはり、分からない。
債権者代位権とは、債務者が自分の権利を行使しないために、その財産が失われそうな場合、債権者が債務者に代わって権利を行使できる制度である。
たとえば、AがBに100万円を貸している。
BもCに100万円を貸している。
Bには、ほかに見るべき財産がない。
それなのに、BはCへ返済を求めようとしない。
このままでは、AがBから貸した金を回収できなくなる。
そこでAが、Bに代わってCへ100万円を請求する。
これが、債権者代位権の基本的な姿である。
問題は、こういうものだった。
「債権者代位権は、保存行為に当たる場合を除き、債権者の債権が弁済期にないときは、訴訟を提起して行使しなければならない」
正解は、×。
解説には、現在の民法423条2項が示されていた。
債権者は、自分の債権の期限が到来する前には、原則として債権者代位権を行使できない。
権利が時効で消滅することを防ぐような保存行為については、期限前でも行使できる。
そこまでは分かる。
私が知りたいのは、そこではない。
問題文にある、
「訴訟を提起して行使しなければならない」
この部分が、なぜ誤りなのか。
解説を何度読んでも、その答えが見つからない。
自分の理解が足りないのか。
条文の読み方を間違えているのか。
保存行為の意味まで分からなくなってくる。
少し調べて、ようやく理由が見えた。
この問題は平成19年に出されたものであり、改正前の民法を前提としていた。
当時は、債権者自身の債権が弁済期前であっても、裁判所の許可を得る「裁判上の代位」によって、保存行為以外の権利を行使できる制度があった。
ここでいう「裁判上の代位」は、Cを相手に訴訟を起こすことではない。
期限前の代位行使について、裁判所の許可を得るための手続である。
許可を得たあと、Cが任意に支払えば、訴訟を起こす必要はない。
裁判所の許可を得ること。
第三債務者を相手に訴訟を起こすこと。
この二つは別の話だった。
問題文は、この二つを同じものとしている。
だから、×になる。
現在は、この裁判上の代位という制度自体が廃止されている。
現行民法423条2項では、保存行為を除き、債権者自身の債権の期限が来る前に債権者代位権を行使することはできない。
現在の条文だけを示されても、平成19年の問題がなぜ×なのかは分からない。
解説に書かれていることは、間違いではない。
正しいことが書かれている。
ただ、私の質問には答えていない。
質問と回答が、少しずれている。
その少しのずれが、初心者を遠いところまで連れていく。
問題を集める。
整理する。
解説を付ける。
広く公開する。
相当な労力だと思う。
利用する側としては、感謝しかない。
その感謝と、解説への疑問は両立する。
今回なら、
「この問題は改正前民法を前提としている。現在は、裁判上の代位の制度が廃止されている」
この一文があればよかった。
たった一文である。
その一文がないために、初心者は自分の理解を疑う。
条文を読み返す。
別の解説を探す。
保存行為を調べ直す。
いつの間にか、最初に何が分からなかったのかまで分からなくなる。
ちょっとした不親切が、とんでもない回り道をつくることがある。
情報が多いことと、分かりやすいことは同じではない。
正しい情報を足せば、必ず親切になるとも限らない。
新旧の制度を区別せずに並べれば、正しい情報同士が衝突する。
知っている人には補足になる。
知らない人には迷路になる。
福祉制度にも、同じことがある。
障害福祉サービスは、措置制度から支援費制度、自立支援法、障害者総合支援法へと移り変わってきた。
費用負担の考え方も変わった。
制度の対象も変わった。
精神障害者の位置づけも変わった。
行政が必要な支援を決定し、公的責任で提供する仕組みから、本人がサービスを選び、事業者と契約する仕組みへ。
保護される対象から、権利を持つ主体へ。
理念は大きく動いた。
現在の制度だけを見れば、
「なぜ、こんな複雑な仕組みなのか」
「なぜ、この言葉が残っているのか」
「なぜ、ここだけ扱いが違うのか」
そんな疑問が生まれる。
答えは、今の法律や通知だけを読んでも見えてこない。
過去の制度で起きた問題。
当事者や家族が上げた声。
行政が守ろうとしたもの。
財政とのせめぎ合い。
裁判で問われたこと。
それらが積み重なり、現在の制度になっている。
制度は、ある日突然、完成品として現れたわけではない。
名前だけが変わったわけでもない。
何かを守ろうとした。
何かを変えようとした。
その過程で、得たものがある。
失ったものもある。
経緯を知らなければ、今の制度を最初からこの形だったものとして受け取ってしまう。
契約制度になったから、本人の選択が実現したとは限らない。
対象が広がったから、必要な支援が届いたとも限らない。
制度が前へ進んだ陰で、置いていかれた人もいる。
その記憶まで失えば、次の制度改正で同じ人をもう一度泣かせる。
会社の中にも、同じことがある。
就業規則。
稟議規程。
職務分掌。
人事評価。
事故報告書。
会議の決定事項。
どれにも、作られた理由があったはずだ。
大きな事故があった。
判断できる人が不在で、対応が遅れた。
同じ仕事を二つの部署が行っていた。
誰も担当せず、問題が放置された。
評価する人によって、結果が大きく変わった。
そんな出来事を受けて、規程や手続が作られる。
時が経つ。
出来事を知る人が退職する。
理由だけが忘れられる。
手続だけが残る。
後から来た人には、面倒な決まりにしか見えない。
「なぜ、この書類が必要なのか」
「前からこうしているから」
「規程に書いてあるから」
これでは、意味は伝わらない。
意味の分からない手続は、やがて形だけになる。
昔の経緯を知らないまま、無駄だと廃止されることもある。
過去に起きた問題が、別の姿で戻ってくる。
会社の制度にも、規程の文字には書かれていない記憶が埋め込まれている。
守るべきものは、古い仕組みそのものではない。
その仕組みを作らざるを得なかった理由である。
仕組みは変えてよい。
時代に合わないものは捨ててよい。
すべてを抱えていたら、前には進めない。
何が起きたのか。
誰が困ったのか。
何を守ろうとしたのか。
何を防ぐために、この形にしたのか。
そこまで捨ててはいけない。
引継ぎで本当に残すべきものは、手順だけではないのだと思う。
「この仕事は、なぜこの形になったのか」
その一文を、誰かが残しておく。
忘れ去られてよいものはある。
それでも、誰かには覚えておいてほしいものがある。
昔を懐かしむためではない。
過去に縛られるためでもない。
同じ回り道を、次の人に歩かせないためだ。
―――
会社の歴史を覚えている人は、昔話をする人ではない。
次の失敗を防ぐ人なのだと思う。
そういう自分も、いつのまにか昔話が十分に通じる年齢になっていた。
