刑訴法と傘立て
さっきまで、刑事訴訟法で、少し面白いことを考えていた。
公道上のゴミ集積所に出された物を、警察が回収する場合、令状が必要なのか、という問題である。
本来、警察が人の物を取り上げるには、裁判官の出す令状が必要になる。 刑事訴訟法218条1項は、次のように定めている。
「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により、差押え、捜索又は検証をすることができる。」
つまり、捜査のために必要だからといって、警察が勝手に人の物を持っていってよいわけではない。 これが令状主義である。
では、ゴミはどうか。
ゴミといっても、中には手紙やメモ、生活の痕跡が残るものもある。 単に「いらない物だから自由に取ってよい」とは、簡単には言えない。
ここで大事になるのは、その物がまだ本人の支配下にあるのか、それとも支配から離れているのか、という点である。
自宅の中にあるゴミであれば、まだ明らかに本人の管理下にある。 自宅の敷地内に置かれている場合も、なお本人の支配が及んでいると考えやすい。 この段階で警察が勝手に持ち出せば、令状が必要になる可能性が高い。
しかし、それを収集日の朝、公道上のゴミ集積所へ出した場合はどうか。
ここで見え方が変わる。
誰でも見える。 誰でも触れる。 収集されることを前提に置かれている。
つまり、その物は、排出者の排他的な支配の外に置かれている、と考える余地が出てくる。 そうすると、警察がこれを回収しても、必ずしも捜索・差押えとはいえず、令状を要しない、という考え方が出てくる。
もちろん、何でも自由に見てよい、という話ではない。 中身が極めて私的なものだったり、回収方法が過度だったり、形式的にはゴミでも実質的には隠して管理しているような場合には、なお問題になる。
結局のところ、
何を捨てたか。 どこに置いたか。 誰が触れられる状態だったか。 本人の支配が残っていたのか。
このあたりで判断が分かれていくのだと思う。
これから梅雨になる。 傘の出番が増える。 そして、傘立てを見る機会も増える。
会社の傘立て。 銀行の傘立て。 駅の傘立て。
昔、銀行で傘を取られたことがある。 たぶん、ビニール傘だったと思う。 高価な傘なら、持っていく人も少し考えるのだろう。 でも、ビニール傘だと、その境界が急にゆるくなる。
もちろん、持っていっていいわけではない。 でも、傘立てに置いた瞬間、少しだけ自分の管理から離れる。
誰でも見える。 誰でも触れる。 誰が持っていったか分からない。
そういう場所に置いた、ということになる。
会社の自分の机の横にある傘を、誰かが勝手に持っていくことは、まずない。 でも、入口の傘立てに置いた傘は違う。 銀行の傘立てなら、もっと違う。
そこには、自分を知っている人ばかりがいるわけではない。 関係性が薄い。 人の出入りが多い。 誰の傘かも分かりにくい。
同じ傘でも、置かれた場所で守られ方が変わる。
デスクの横にある傘。 会社の傘立てにある傘。 銀行の入口にある傘。 そして、公道に出されたゴミ。
どれも「自分のもの」であるはずなのに、どこに置かれているかで、その扱いは変わる。
何を持っているかよりも、どこに置いたか。 誰に見える状態にしたのか。 誰が触れられる場所に置いたのか。
それで、その物の意味は少し変わってしまう。
刑訴法から傘置き場をイメージする自分がどうかと思うが、まあ、それくらいでちょうどいいのかもしれない。
デスクの横にある傘は、ちゃんと守られる。 でも、傘立てに置いた瞬間、少しだけ手を離す。 銀行の入口なら、なおさらだ。
誰でも見える。 誰でも触れる。 それだけで、同じ傘なのに、扱いが変わる。
ゴミもきっと同じである。 何を捨てたかよりも、どこに置いたか。
そんなことを考えながら、今年の梅雨は、少し高価な傘を買うことにした。 デスクの横に置いておくやつを。
