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決めたことを忘れる会社

民法の問題を解いていて、簡易の引渡しで少し止まった。

動産甲を所有するAから、Bが甲を借りて使っている。
その後、BがAから甲を買った。
物は、すでにBの手元にある。

一度Aに返し、もう一度Bが受け取る必要はない。
AとBが、甲を売買し、占有権も移すと合意すれば、それだけで引渡しは終わる。

民法182条2項。
簡易の引渡しである。

当たり前のように思える。
借りていた物を、そのまま買った。
今日までは借り物。
明日からは自分の物。
わざわざ返して、また受け取る必要はない。

日常生活でも、こうしたことは多い。

借りていた本を、そのままもらう。
レンタルしていた機械を買い取る。
会社から貸与されていたパソコンを譲り受ける。

物は動かない。
見た目も変わらない。
それでも、法律上の意味は変わっている。

昨日までは、他人の物を持っていた。
今日からは、自分の物として持っている。
他主占有から自主占有への切替えである。

こういう細かな仕組みがあるから、日常生活は滑らかに進む。

法律の条文は、面倒を増やすためにあるように見える。
実際には、無駄なやり取りを省き、取引を止めないために置かれているものも多い。
簡易の引渡しがなければ、すでに持っている物を一度返し、また受け取るという妙な儀式が必要になる。

契約は意思表示で成立する。
所有権も、原則として意思表示によって移る。
それなのに、占有権だけは物を一度動かさなければ移らないとなれば、現実との間に妙なずれが生じる。

簡易の引渡しは、そのずれを埋めている。

細かな条文に見える。
実際には、意思表示によって法律関係を動かすという民法の大きな原則を、足元で支えている。

考えているうちに、会社にも似たようなことがあると思った。

担当替え。
人事異動。
会議での決定。

物も人も、大きくは動かない。
同じ机に座っている。
同じパソコンを使っている。
同じ会議室で話している。

それでも、

検討中から決定へ。
担当者不在から担当者決定へ。
一般職から管理者へ。

組織の中での意味は変わる。
その変化を支えるのが、辞令、会議録、職務分掌、引継書、決裁記録なのだと思う。

会社では、ときどき不思議なことが起きる。

以前に話し合った。
結論も出した。
会議録にも残した。

それなのに、しばらくすると、また同じ問いが出てくる。

「これは、どうするのだったか」
「誰が決めたのか」
「そもそも、決まっていたのか」

前にも説明した人は、また振り出しに戻される。
決めたはずのことが、決めていなかったことのように扱われる。

うちにも、よくある。
前の決定事項をすっかり忘れて、同じ問いをしている。

忘れた側は、ただ確認しているだけなのかもしれない。
説明した側は、また同じ山を登らされる。

その繰り返しで、会議録を書く意味も、丁寧に説明する意味も、少しずつ薄れていく。

決めないことも問題である。
決めたことを忘れるのは、もっと怖い。

簡易の引渡しでは、物は動かない。
外から見れば、何も変わっていない。
だからこそ、当事者の意思表示によって関係が変わったことを、法律が仕組みとして認めている。

会社も同じなのだと思う。
見た目が変わらない場面ほど、何が変わったのかを残す必要がある。

いつ決まったのか。
誰が引き受けたのか。
何が検討中から決定に変わったのか。
どこまで権限が移ったのか。

人は、その場で見たものをもとに判断する。
時間がたてば、記憶は曖昧になる。

記録は、過去を保存するためだけにあるのではない。
今の状態が、どのような経過でここに至ったのかを確かめるためにある。

簡易の引渡しは、意思表示だけで済ませるための雑な制度ではない。
意思表示だけで済ませても、後で混乱しないようにする制度である。

会社の会議録や決裁記録も、本来は同じなのかもしれない。

民法の条文は、ときどき、何気なく行っている日常の動作の意味を考えさせる。

物を渡すこと。
言葉で合意すること。
決めたことを記録に残すこと。

普段は意識しない小さな動作が、実は人と人との関係を支えている。
―――
借りていた本を、そのままもらう。
決めたことを、そのまま引き継ぐ。
どちらも、物は動かない。
動かないものが動いたことを示すために、人は記録を書く。

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