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「いつものように」


刑事訴訟法を読んでいて、気になる問題があった。


警察官が、覚醒剤所持容疑で捜索差押許可状を持って家宅捜索に入る。

令状を被疑者に呈示するのを忘れたまま、机の引き出しから覚醒剤を発見し、押収する。


その後の捜査報告書には、

「令状を呈示してから執行を開始した」

と書いた。


最初は単純に、

「これは証拠能力ないだろう」

と思った。


令状を見せていない。

「何の権限で」

「何を目的として」

「どこまで」

国家権力が介入しているのか。

本人に知らせていない。

これは怒ろしい。


後から、

「ちゃんとやりました」

と報告書を書く。

単なるミスというより、手続を後から整えている感じがする。


刑事訴訟法は、犯人を捕まえるためだけの技術論ではない。

国家権力が、どこまで人の生活に踏み込めるかを制御する法律だ。


令状呈示も、紙を見せる儀式ではない。

「なぜ今、この強制処分が許されるのか」

それを本人に知らせる行為なのだと思う。


最高裁は、

「違法があれば全部アウト」

とは考えていない。

違法収集証拠排除法則では、

「令状主義の精神を没却するような重大な違法」があり、

将来の違法捜査抑止の観点から排除相当な場合に、

証拠能力を否定する。

違法=即排除ではない。

慈悲なほど、深い。


今回の事案でも、

令状自体は適法に発付されている。

本来捜索できる場所だった。

呈示忘れだけなら、証拠能力を肯定する方向もあり得る。


刑訴法も比較衡量するのか。

感覚的には、

「そんなのダメだろ」

裁判所は、現実の捜査とのバランスも見ている。


ただ、今回の事案には、後から「呈示した」と報告書に書いている。

空気は変わる。


単なるミスではない。

違法を認識していたのか。

隐そうとしたのか。

手続が適正だったように見せたのか。

令状主義を軽く見ている危険が出てくる。

違法の重大性をどう見るのだろうか。


―――

ふと、会社のことが浮かんだ。

職場には、よくある。

「いつものように対応しておいて」

便利な言葉だ。

かなり危険な言葉でもある。


「いつものように」とは何なのか。

いつ時点の「いつも」なのか。

どこまで含むのか。

例外はあるのか。

全部曘昧だ。


人は動かない部分を動かないまま自分で補完する。

ある人は「少し厳めに」。別の人は「軽く聞き取りだけ」。また別の人は「処分前提」。

同じ「いつものように」でも、中身はバラバラになる。


問題が起きる。

「そこまでやれとは言っていない」

「普通わかるでしょ」

「いつもの感じでと言っただけ」

こうなる。


ただ、刑事訴訟法は、国家権力ですら、

「いつものように」

を許さない。

誰に。どの場所を。どんな理由で。何を対象に。

令状で限定する。

強制処分は、曘昧さを嫌う。


組織の中では、曘昧さが日常化している。


さらに怒ろしいのは、

「正しいことをしている側」

ほど、手続を省略し始めることだ。

「会社のためだから」

「問題職員だから」

「急いでいるから」

説明を飛ばす。確認を飛ばす。記録だけ後で整える。


例えば、

「少し話があります」

と言われ、会議室へ行く。座る。

突然、

「問題があると聞いている」

「複数から声が出ている」

「調査しています」

と言われる。言葉が刺さる。何を。どこまで。どんな権限で。よく分からない。

受ける側は、非常に不安になる。


後から、

「本人に説明済み」

「丁寧に対応」

「納得を得た」

と議事録だけ整う。


構造としては、似ている。

手続が曘昧。範囲が不明。権限が不明。後から記録だけ整う。

――国家とビジネス社会、意外なほど構造が似ている。


―――

そんなことを考えていたら、最近やろうとしている研修テーマにつながってきた。


「言語化⇔抽象化」


最初は別々の話だと思っていた。たぶん全部つながっている。


「利用者主体で」

「丁寧に」

「柔軟に」

「空気を読んで」

これは抽象化だ。方向性としては正しい。

だが、抽象化だけでは、現場は解釈ゲームになる。


逆に、

何分以内に電話。何文字以内に記録。この場合は○○。あの場合は△△。

それだけになると、思考停止する。


本当に必要なのは、

抽象化 → 言語化 → また抽象化、

この往復なのだと思う。


法律は、それをずっとやっている。

条文は嫌われるほどに抽象的だ。

「相当」「合理的」「必要かつ相当」「社会通念」。

ひと言で言えば、曘昧だ。

実務では、そこを具体的事例で必死に言語化していく。

細かく言語化しすぎると、現実に対応できなくなる。だから、また抽象化する。


法律も組織も、

「現実をどこまで言葉にするか」

「どこまで抽象化して共有するか」

それを延々と繰り返している。


優秀な管理職は、無意識にこれをやっている。

最初は、「利用者との信頼を大切にして」と方向を示す。

部下が迷った瞬間、

「例えば電話は24時間以内に返してみよう」

「記録は感情ではなく事実を書こう」

と具体化する。


組織事故が起きる時は、どちらかに寄っている。

抽象論だけで放置する。具体論だけで窒息させる。


―――

刑事訴訟法を読んでいたはずなのに、最後はまた組織の話に戻ってきた。

結局、人と組織の動き方を考えている。

法は思ったより、普通の人の感覚を、言語化したり、抽象化したりしているだけなのかもしれない。


自分だったら、どうしただろうか。

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