母、野菜に負ける
私の地元にあるスーパーは、火曜特売日になると野菜の叩き売りを始める。
普段は98円のジャガイモが、55円。小松菜は普段128円だが、その日は98円だった。
割引率でいえば、完全にジャガイモの勝利である。けれど私はジャガイモの誘惑には乗らず、小松菜を購入した。
理由は先日、98円でジャガイモを2個買ってしまったからだ。迂闊だった。1日待てば、ほぼ半額でジャガイモを買えたのに。
けれど、その日の空腹も、夕食も特売日を待ってはくれない。その日の空腹を満たすには、当日の「料理を作るタイミング」までに食材を調達しなければならない。
毎日特売日だったらいいのに。でも、そんなことをしたら最寄りのスーパーが潰れてしまう。私は持病の関係で車を運転できないから、近くにスーパーがないと困る。
私は毎日安いけど潰れる可能性のあるスーパーよりも、特売日は火曜のみでもいいから利益を出せるように頑張ってくださいねと、最寄りのスーパーにそっと祈ることにした。セール品を好む私にとって、この祈りは苦渋の決断でもあった。
最近の野菜は高い。気軽に買えない。昔は100円以内で購入できた野菜が、倍以上の値段でしれっと棚に陳列されている姿を見ると「タイムリープさせて、あの時の野菜を買わせろぉぉぉ」と叫びたくなる。
ただ、過去に戻ったら野菜どころか恋愛、仕事、人間関係などありとあらゆる場面で「やり直し」をしたいと考えてしまいそうだ。そうなると、今目の前にいる4歳の娘とは会えないかもしれない。娘か、野菜か。私は野菜より娘が大事だ。やはり、私はこのままでいい。
しかし、それにしても野菜が高すぎる。下手したら野菜ジュースの方がお買い得な時もある。きっとジュースのような加工品より、野菜から栄養を吸収した方が体のためにいいはず。
もちろん、頭でそんなことはわかっている。けれども、そんな理屈をさらりと受け取れられないほど、昨今における野菜の値段が高い。高すぎるのだ。
ダメだとわかっていても、つい野菜ジュースを買ってしまう。いけないこととは理解している。でも、ジュースは手軽だ。調理しなくていい。野菜ジュースで野菜を摂った気になってしまう。それに野菜ジュースさえ飲めば、誰かに「あなた、野菜足りてないですよ」って言われても、気にしなくていい。
「It's all right!(問題ありません) 私、野菜摂取してますから」
って、堂々と胸を張って言える。
そんな野菜ジュースジプシーな私が、最寄りのスーパーで野菜を買う時は「一目惚れ」した時だ。
あの日あの時、スーパーでころりとした美しい姿のジャガイモに出会ってしまった。
そのジャガイモは、泥がところどころにこびりついたものではなく、全体にまんべんなく泥がついていた。黄金比のように均等な泥のつき具合に魅せられ、気づけば手がスルスルと伸びていた。
手に取ったジャガイモは凹みが少なく、綺麗な楕円型をしていた。
出会った、と思った。
一目会った瞬間に、ジャガイモをスライスして茹でて、フライパンの上に乗せてハムやチーズを乗せて「ピザ風ジャガイモ料理」を作ったら、きっと美味しいだろうと妄想した。残念ながら、あの日はチーズを買うのを忘れてしまい、ただのジャガイモ炒めになってしまったのだけれども。
ジャガイモの残りが、まだ1個家にある。フードロスを防ぐためにも、私はあのジャガイモといつか向き合わなければ——消費しなければならない。
野菜は高かろうが、安かろうが腐敗のスピードは関係ない。放置すると腐るのだ。
小松菜をレジに入れて購入した後、娘がじっと物欲しそうに眺めていた。
そういえば最近、小松菜やほうれん草などの野菜は、ほぼ夫が購入している。最寄りのスーパーより、車で行かないと行きづらい場所にあるスーパーの方が、野菜を安く買えるからだ。
私はペーパードライバーのため、遠方のスーパーへ足を運べない。野菜を買う時は、最寄りのスーパーの火曜特売日か安い日に限る。私が小松菜を買うのは珍しいから、娘は興味を示したのかもしれない。
いつもなら「購入」を証明するお店の名前が書かれた白いテープを貼ったお菓子を渡すが、その日は小松菜を娘に渡した。
娘は嬉々といった様子で、小松菜を家までギュッと抱きしめていた。

家に帰ってからも、娘は小松菜を抱きしめて離さない。いつもなら、メルちゃんかしまじろうなのに。小松菜の茎は細く、どうやら小さい子が抱くのにちょうどいいのかもしれない。
◇
夜になると、娘は冷蔵庫を開けて「ジュースが欲しい」とねだり始める。
もうすぐ5歳になる娘は、発達遅延の関係でまだ言葉を話せない。おねだりの時は、私が冷蔵庫の前で娘を抱っこして、欲しいものを自ら手で取ってもらうようにしている。
いつもならジュースを手に取るはずなのに、その日娘が手にしたのは、ボーリング球のように大きなキャベツだった。
すでに時計は23:00。流石に、今からキャベツを調理するのは難しい。どうしようと頭を抱えていると、娘はキャベツを抱えながら寝室へと向かった。
「そんな大きなキャベツ、大丈夫?」
声をかけると、娘はニヤニヤしている。そのまま娘はよちよちとした足取りでキャベツを抱えていたが、やはり重かったのだろうか。
廊下の真ん中で、娘はぺたんと音を立てて座り込む。私はすぐさま冷蔵庫に出向き、いつものように哺乳瓶へ野菜ジュースを入れたのち、娘に
「お疲れ様」
の気持ちを込めて渡した。すると、娘はさっと哺乳瓶を手に取るなり、勢いよくごくごくと飲み始めた。喉も渇いていたのだろう。
そもそも娘は、寝る前に必ず水分補給をする。普段なら、キャベツではなく手にするならジュースだ。
今日はきっと、ただの気まぐれだ。たまたま小松菜の抱き心地が気に入ったあまり、今度はキャベツを手に持ってみたくなったのだろう。喉の渇きを忘れるくらい、その日のキャベツは娘にとって魅力的だったのかもしれない。
私は寝室のベッドへ先に入り、娘が来るのを待つことにした。キャベツを抱えて寝室まできたら「お疲れ様。頑張ったね」と伝えるつもりだった。
ところがジュースを飲み終え、ベッドに来た娘の手にキャベツはない。
「あれ?キャベツは?」
そう声をかけると、娘はしまったといった表情を見せながら、廊下に戻る。どうやら娘はジュースに気を取られたのか、あんなに大切そうに抱えていたキャベツの存在をすっかり忘れていたらしい。
娘はキャベツを手に取ったのち、にこにこしながらベッドに戻ってきた。

娘はまだ喋れない。けれども「キャベツ」の言葉をきちんと理解していた。家でキャベツの話題をすることはほぼないから、保育園で覚えたのだろうか。そういえば、保育園では園児たちが畑に行って野菜の収穫もしているらしい。
手で触れ、耳で聞き、目で色を感じながら娘は「野菜」を記憶しているのだろう。
娘がベッドに入ると、いつも私の方に顔を向けてニコッと笑う。私に抱きつこうとする。
その日の私は、キャベツに負けた。
明後日の方向を向いた娘は、キャベツを抱いて穏やかな表情で眠りにつく。

娘が大切そうに抱えるキャベツを触ると、ひんやりとしていた。
抱き心地がよいのだろうか。
お母さんよりも。それとも、ひんやり感が心地よいのか。冷感に関しては、キャベツにはどうあがいても勝てない。

小さい娘は、今私を頼りにしている。その瞬間は、来年、再来年……年を追うごとに変化していくことだろう。
これから先、娘の目線には人、モノ、景色、夢などありとあらゆる関心が広がっている。
私より関心を持てるものと出会えるかもしれないし、そこに私はいなくなる日が来るかもしれない。私自身が戸惑いを感じたり、寂しさを覚えることもあるだろう。
けれども、どんな時も。親は親でしかないのだ。
娘が自分以外の何かに興味を示し、夢中になれるものを見つけた時、そっと背中を押せるように。
娘の小さな背を眺めながら、私は静かに誓った。
【完】
