備えあれば母強し
たつき諒さんの著書『私が見た未来』に書かれている「7月5日」まで、いよいよ明日。
本の中では「私の見た夢がもし現実になるのであれば、次に大災害が訪れるのは2025年7月5日午前です」という予言めいたものが記されている。
もし、本当に大災害が訪れたら。明日、自分の命を失ったら。思い残したことは、何かあっただろうか。自分の胸に問いかけてみる。
ふと、実家の両親を思い出す。結婚して家を出てから、年に1〜2回しか戻らなくなった。このまま歳月が過ぎると、いつか親に会えなくなる日が訪れるのだろう。
けれども、「地球滅亡が明日」と知ると、「いつか」なんていってられないうちに「5日(いつか)」が来てしまうのかもしれない。
もしかすると、2度と親に連絡できなくなるかもしれない。
——母の声が聞きたい。
そう思った私は、久しぶりに母親へ連絡した。受話器越しの母は、
「なんや。なんかあったんか」
と、呑気だ。母は、もうすぐ地球が滅亡することを知らないのかもしれない。地球規模の問題が目の前に迫ってはいるものの、とりあえず私は何のトラブルも抱えておらず——平和だ。
今の問題といえば、夏の暑さで保育園の送迎でシャツがビショビショになるくらいだ。けれども、そんな話をしたところで母はきっとマリーアントワネットのような口調で
「シャツがないなら、着替えればいいじゃない」
と、答えるに違いない。そこから話が大して膨らむこともなさそうだ。なるべく会話のラリーを減らしたいと感じた私は、
「何もない」
と答えた。母とトークが盛り上がったところで、私は「地球滅亡」について話題をしれっと出すことにした。そのタイミングはきっと、今じゃない。
そういえば、本当に何も用がない。母に伝えることも「暑い」とか「眠い」くらいしかない。何もないということは、今が平和である証だ。でもその平和が、もうすぐ脅かされようとしている。
「あんたが電話かけてくる時、大抵『困った時』やんな」
母は、諭すような口調でそう伝えた。
「確かに、そやな」
その通り過ぎて、ぐうの音もでない自分に苛立つ。そういえば、母や父の心配をして電話をかけたことなんて、今まで一度だってあっただろうか。
よりによって、親に電話をかけたのが「地球滅亡疑惑」が理由だなんて。地球が滅亡する前に、もっと親孝行すべきだった。母の台詞を聞くなり、我が身の薄情ぶりを恥じた。
「しばらく何も連絡来ないから、まあ元気にやってるんやろなと思ったわ。で、なんや?」
「地球が大変らしい」
本当は、もっと「地球滅亡ネタ」について、引っ張るつもりだった。でももう、持ちネタがなかった。私は、電話をかけた理由を正直に話すことに決めたのだ。
「なんでや」
母は、私の告白に動じることなく、落ち着いた口調で尋ねた。そして、それは私も知りたい。
「予言や。7月5日に大災害が訪れるという予言をしている人がいる」
「地球が大変なんか」
「そうや」
「それは大変やな。そういえば母さん、腰が痛くてね。あと迷惑メールが来るから、困ってるんや」
「迷惑メール、まだ来るんか」
そういえば以前、母より平野紫耀さんを名乗る迷惑メールが頻繁に届くので困っているという相談があった。
もちろん偽物ではあるが、母は「平野さんが大変なんや」と、少し信じていた。
とりあえず、母には「本物は忙しいから、見知らぬ不特定多数の人に連絡している暇はない。それは、偽物によるただの詐欺メールや」と答えておいた。
「そうや。携帯会社に相談へ行ったら、次から3000円取るって。なんでも金やねぇ」
母が、大きく話を逸らし始めた。どうやら、予言にはあまり興味がないらしい。母の話によると、最近は携帯のウイルス対策としてウイルスバスターのアプリを入れたそうだ。
母は地球の滅亡よりも、インターネットにはこびる巨大なウイルス、そして度重なる迷惑メールの方が気になるらしい。
「携帯電話の会社も、商売や。お金を取るのは仕方ないに」
「せやけど、つい最近まで無料やったのに。ケチくさいわぁ」
ある程度のところまで無料に設定しているのは、客を呼び込むため。所詮、タダより怖いものはないのだ。これは社会の構図だ。けれども、母はそのことに気づいていない。
「そうそう、予言の話に戻るけど。SNSでは備蓄品をまとめている人も多いで。母さんも、用意した方がいいかもしれん」
「何をや」
「食べ物や」
災害が起きてからでは遅いのだ。まずは、食べ物を用意しておかないと——。
「へっ。地球が大変な時に、食べ物食ってる暇あったらええけどな。そうなったら食ってられへんで」
そう語る母は得意気だ。そういえば、隕石が地球に訪れたら一瞬で木っ端微塵かもしれないし、そうなるとご飯を食べてる暇はない。
そうか。その発想はなかった。人と話すと、新たな気づきを得られるものだ。って、感心している場合ではないか。
それにしても、母はなぜ予言に動じないのか。
そこでふと、実家の和室床の間に置かれていた「無数の段ボール箱」の存在を思い出す。
母はいつ震災が訪れてもいいように、常にペットボトルやお菓子、米、備蓄品などを箱買いしていた。ポカリスエットとミネラルウォーターに関しては、常にダンボール3〜4箱くらいある。避難場所も近くにあり、避難経路もきちんと把握していた。
用意周到だが、災害は起きないので実家に行くたびに「持っていきなさい」といって、大量のお菓子やジュースをくれる。
備えあれば母強し。母は、いつも備えているからこそ、何事においても動じないのだ。
運命の日まで、あと少し。本当にその予言は実現するのか。
予言通りにならなくても、母は目の前のことでいつも一生懸命だ。地球規模の心配をしても仕方ない。私も、まずは自分にできることから目を向けていこうと思う。
【完】
