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動じる母、動じない父と娘

 先日、私たちは広島カープvs中日の試合を義父・夫・娘・私の4人で見るために、バンテリンドームにいた。

広島が勝ちました

 義父と夫は中日のファン。私は野球に詳しくないが、野球の話をする夫がいつも意気揚々としているのは知っている。

 試合会場では、夫が終始「あの選手は○○で、△△が得意で……」と、懸命に説明していた。

 その一方、私は名古屋がホームなだけに「広島カープは、試合しづらくないだろうか……」と、広島へ想いを馳せていた。

 理由は、赤いユニフォームを着用して応援している観客席が、全体の1割しかいなかったからだ。

 試合は広島が勝った。最初は中日が有利だったが、逆転したのだ。ホームじゃない場所で巻き返していく姿に、チームの底力を感じた。

 私はどちらのファンという訳でもなく、野球もルールがわからないので見ていても「ホームラン」かどうかくらいしかわからない。そんな私でも、熱気の渦にいると気分が高揚するのを感じる。ドアラやチアガールのダンスも楽しめた。

氣志團のワンナイトカーニバルを踊るダンサー

 ここで義父とはお別れし、私たちは外へ。

 雨が降っていたのと、小腹も空いていたので隣のイオンへ足を運ぶことに。同じことを考えてる人は多く、イオンの前は人だかりができていて、足元は見えない。

 イオンに入り、やれやれと思ったのも束の間。娘を見ると、いつも身につけている遠視用メガネがない。

「みゆちゃん(仮名)のメガネが、ない!!」
「ない!!ない!!」

 私と夫は目を見合わせ、声を上げた。

 娘は遠視のため、補正するための眼鏡をかけている。眼鏡を購入する際には、病院で施術を受ける必要かあり、1年に1回補助を受けられる。補助がなければ、4〜5万円かかる。

 今年で2年目なので、昨年購入したスペアもある。それでも、スペアはあくまでスペアだ。今の眼鏡がなくなったら、そのスペアを頼りにしなければならない。

 スペアがあるから大丈夫と思ってきたけど、その「大丈夫」がこれから先、なくなるのだ。

 スペア云々というよりも、あの眼鏡は娘のお気に入り。眼鏡は自分からかけるし、かけた自分の顔も好きらしく、鏡を見ていつもニコニコしている。……にもかかわらず、癇癪を起こすと急に投げることが以前からあった。

 娘は発達遅延だ。

 先日5歳になった。けれども、知能は2歳……いや、言葉が喋れないからどうなんだろうか。少なくとも4歳の時、発達検査を受けたら1歳と言われた。

 その日は、娘が眼鏡を投げる素振りも見かけなかった。ずっとご機嫌だった訳じゃないけど、移動中は穏やかで癇癪も起こしていない。

 普段なら、娘が眼鏡を投げた瞬間がわかる。落ちたらパサリとした音もする。床に眼鏡が落ちてるのにも気づく。

 この日は例外だった。

 あたり一面、人が密集していて地面が見えない。人の足音と声が充満した空間では、小さな物音に気づけない。

 迂闊だった。

 こんなことなら、人が密集しているところだけでもせめて、娘の眼鏡を外しておくべきだった。

 後悔してもあとの祭り。時間は戻せない。きっと人生の中には、そんな小さな後悔がいっぱいある。

 夫は眼鏡を探しにバンテリンドームへ。私と娘はイオンで待機。結局、眼鏡はみつからない。

「受付に紛失届をしたから大丈夫。見つかったら連絡くれるって。お腹すいたから、フードコートへ行こう」

 夫から促され、私たちはフードコートへ。ミスタードーナツを買ったものの、何を食べても味がしない。喉にドーナツが入らない。娘の眼鏡がどこにあるのか。気になって仕方がなくて、ドーナツどころじゃない。

「やっぱり、私探しに行く」

 私がそう伝えると「だから大丈夫だって!親切な人が見つけてくれるよ!!」と、夫はイライラ。

 そうだろうか。

 バンテリンドームから出てくる人たちの目は、みんな地面なんか見てなかった。自分たちが帰ることで必死だった。

 眼鏡は蹴られているかもしれない。踏まれているかもしれない。

「やっぱり眼鏡が気になるから探したい」

「大丈夫!眼鏡がなくても命落とす訳じゃないじゃん!家にスペアだってあるし!」

 眼鏡がなくても死にはしない。確かに。

「けれど、私はそれでも探したい」

 諦められなかった私は、夫と娘をフードコートに残し、1人でバンテリンドームへ戻った。

 空は霞んでおり、小雨はパラパラ。うだるような蒸し暑い気候の中で、腕に染みる雨水が体を気休めのように冷やしていく。

 遠方に、青い服を着た警備員の女性がいた。

「すいません。紛失届はすでにしているんですけど、子ども用の眼鏡ってありますか」

 私が警備員に尋ねると

「このあたりはすべてみましたけど、見当たりません」

と、ぼそり。

 もしかしたら、すでに誰かが届けてくれたかもしれない。そう思って、バンテリンドームの受付に行く。

「すいません。すでに紛失届は出してるんですけど、子ども用の眼鏡ありますか?」

「何色ですか」

「琥珀のような、少しピンクがかったまだら模様みたいな色なんですけど……」

 娘の眼鏡は、まだら模様のような特殊カラーなので、どう説明したらいいかわからず戸惑う。こんな時、無くした時のために「色の説明」がきちんとできるようにするべきだったと後悔。

 そう伝えると、女性スタッフ2人が目を合わせ、白い封に入ったものを開封し始めた。

 そこには、大人用の眼鏡が入っていた。スタッフの方は眼鏡を出すなり、「ああ、これは違うか」といったニュアンスで苦笑いをし、サッと封をし直した。

 受付には、私の他にも落とした車の鍵、財布が見つかったかどうかと尋ねる人がチラホラいた。

 もう一度外に出て、途方に暮れる。見つからないかもしれない。

 眼鏡をなくした時、多くの人が密集していた。ふと「Xで呼びかけたら、もしかしたら」と。

拡散協力してくださった方々、そして優しい言葉をかけてくださった方々へ。その優しさに救われました。

 本来なら、拡散希望をするのはあまり好きじゃない。フォロワーさんに気を使わせてしまうし、変な詐欺と勘違いされてしまう可能性だってある。

 けれどもこの時、すでに自分の足で探し、頭も体もふらふらで限界だった。藁にもすがりたい一心だった。

 バンテリンドームの外に、白髪で年配の警備員がいた。貫禄のある風貌に、「この人は眼鏡の在処を知っているかもしれない」と思った。

「すいません。子ども用の眼鏡知りませんか」

「あの、世界の山ちゃんの看板のところにある階段を下に降りてください」

 警備員の指の先には、世界の山ちゃん(手羽先屋)の看板がある。

「その階段を降りて、すぐ曲がってください。そこに南口という入り口があります。そこから前には絶対に進まないでください」

 警備員が力を込めて話している。逆に、南口の先に何があるのか。なんだかドラクエ展開になってきた。

「その南口には何があるんですか」

「ガードマンがいます。もしかしたら、モノが届いているかもしれません」

 警備員の声を頼りに、世界の山ちゃんへ向かい、階段を降りた。

 相変わらず小雨は降っていた。この程度なら傘をさすのが面倒だし、まあいいかと思っていた。けれども、長時間濡れ続けていくうちに「傘をささないのは、流石にキツい」ということに気づき始める。

 でも、傘を取りに行くにはフードコートへ戻らないといけない。地味に距離がある。

 小雨だからと舐めてはいけない。傘はやはり、さすべきだ。

 バンテリンドームは大きい。歩いても歩いても景色が変わらない。歩いてないつもりだったが、すでに足は棒だった。階段を降りるのがきつい。

 南口につくと、ガードマンが5人いた。眼鏡がないか尋ねると、ないとのこと。そこで夫から電話がかかってくる。

「なにやってるの!連絡もこないし、いつ帰ってくるのさ!!みゆちゃんも泣いてて限界なんだけど!!」

 何でこの人キレてるんだろう。

 こっちも限界なんだけど。大丈夫かとか、見つかったかとかじゃないんかい。だんだん腹立ってきた。

「こっちも必死なんだわ!今警備員さんに、忘れ物が届いてないか聞いてんだわ!!」

「こっちも限界なんだって!みゆちゃんが泣いてるよ!俺は紛失届を出したって言ったじゃんか!親切な人が届けてくれるって!早く帰ってきてよ!!」

 親切な人はいる。けど、ここにいた人は、みんな地面なんか見ていなかった。家に帰ることと、イオンで休憩することに必死だった。それに雨も降ってて、酷く蒸し暑い。

 みんなきっと、それどころじゃない。

「だから今、警備員さんに聞いてるんじゃんか!!待ちなさいよ!!!」

 夫と電話で喧嘩し始める私を見るなり、5人の警備員がチワワのような瞳をして怯えていた。

 私は電話を切るなり

「どうもお騒がせしました」

と一瞥し、頭を下げてその場を後にした。

 夫から「戻ってこい」と言われたので、フラフラした足取りでイオンに戻る。

 外はぱらりと、相変わらず雨が降っている。人の気配が嘘みたいにない。私は一体、何をやっているんだろう。

(何でこんな一生懸命探してるのに、夫からブチギレられないといけないんだ私は)


 情けなくて悔しくて、私はその場で泣いた。

 ここには誰もいないし、どうせ誰もみていない。さっきまで姿を見せていた警備員さんの姿も、すでになかった。

 きっと今、私の様子を見ている人は失恋でもしたと思ってるんじゃないか。

 ははは。笑えよ。眼鏡無くして探して、困って泣いてるんだぜ。

 気分はすっかり、屋上で舞う国宝の喜久雄だった。けれども、私はただ眼鏡を探しているだけで、別に喜久雄のような才能もない。美形でもない。森七菜も止めてくれない。曇った空の下で雨に濡れながらふらつく、ただの中年女性だ。

 人生は大なり小なり、頑張れば報われることも、報われないこともある。後者の方がきっと多い。その分、報われると嘘みたいに嬉しい。

 眼鏡、探せば見つかると思った。なのに、本当に見つからない。こんなに見つからないものなんだ。

 もう一度、バンテリンドームからイオンまでの道をくまなくチェックする。眼鏡はやはりない。

 諦めたらそこで終了ですよ。私の中のスラムダンク安西先生が囁く。諦めたくなかったし、血眼になって探したというのに。やっぱり見つからない。

 誰かに蹴飛ばされたか、踏みつけられて、廃棄されたのか。財布じゃあるまいし、盗む人はいないだろう。

 イオンに入ると、ミニ看板の下にきらりと光るものを感じた。もしかしてと近づくと、娘の眼鏡だった。

 諦めたらそこで終了ですよ。脳裏の安西先生が、ふっと笑う。厳密にいうと、諦めずに探していたけど、諦めて疲れ果てた頃に見つかった。

肩の力が抜けていた分、さっきまで見えていなかった「光」に気づいたのだろう。力を入れたら、緩めることも大切なのかもしれない。

 眼鏡は、イオンのミニ看板の支え部分(鉄と鉄の間)にあった。

 親切な人が踏まれないように避けてくれたのかもしれない。

 親切な人、ちゃんといたよ。

見つかった瞬間

 逆にいえば、「避けてあった」ので、紛失物としては届けられなかった可能性がある。諦めずに探して良かった。

 震える手で、私は夫に連絡した。

「め、めがね。あった。めがねあった」

 フードコートに戻ると、娘はニヤニヤした様子でドーナツを食べていた。そして私の顔を見るなり、安心したのかコテンと寝た。

 親の心子知らず。

 けれどそれでいい。動じる母と、動じない父と娘。

 私が心配性で、夫と娘は冷静。それぞれタイプが違うから、ちょうどバランスが取れているのかも。

 今回は、諦めずに探すことでモノが見つかった。


 時には、そうじゃないケースもある。動じない方が、精神的な面では気が楽なこともある。

 どちらにも良し悪しはある。なにはともあれ、娘は娘らしく。これからも自分の目で、物事を見てほしい。誰を信用して、どうしたらいいのか。

 もちろん、判断できないこともある。そんな時は自分の見えている世界を信じて欲しい。たとえ、遠視用眼鏡の力を借りながらでもいいから。

【完】


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