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もうひとりのお母さんへ|熟柿|佐藤正午

どうにかして我が子と再会したい。
でも子供の将来を思うなら、わたしは、
遠く離れていなければならない。

本編より

 佐藤正午の熟柿を読んだ。これはもう今の全力をもって自分の言葉で書くしかないとすぐにそう感じた。そうして本記事を書いたら16,000字になってしまった。

本作を読んでから1日、3日、そして1週間以上経っても市木かおりが、彼女が頭から離れなかった。僕もまた母を持つ、ひとりの息子だからだ。

 市木かおりの声も姿もわからない。とうぜん僕の母ではない。それなのに“母”として感じてしまう。いつしか僕は市木かおりを、自分の母と重ねていた。僕の母も、市木かおりと同じ立場なら息子へ同じことをしたと、かんたんに想像できるからだ。

 本作はフィクションだ。登場人物はだれひとり実在しない。それでも本作の主人公、市木かおりが今もどこかで生きているのを実感してしまう。彼女のたしかな息づかいを感じる。

何をやっても、何を読んでても、頭から離れない。内容を振り返りつつ、整理していきたい。


そんなに自分を責めないで

 本作を通じて、まず言いたいことはこれだ。主人公の市木かおりは、罪を犯してしまったことから抜け出せない。刑期を全うしても「犯罪者」「轢き逃げ犯」「前科者」の肩書きは永遠に彼女を苦しめる。服役中に息子を出産してしまったことがさらに罪の意識をつよめる。

不慮の交通事故であっても、うかつな自分もいた。それらを含めて刑務所で罪を償った。

彼女は出所後、自分を雇ってくれる働き口を見つけては一生懸命、働いて生きていく。殺人を犯した自分に働ける場所があるだけありがたいと感じながら。

 息子がお金に困らないように“普通の母親”らしいことを何ひとつしてやれない自分が唯一してやれるのはひたすら働くことだと。

死んだ母親として息子にお金を残すため、ただ働くだけの人生を送る。刑期を終え罪を償ってもなお、彼女は自分に懲役を科すような生き方を強いる。

 当然だ。市木かおりは轢き逃げを起こしさらに事故で傷ついた車を修理に出して隠蔽しようとしたのだから.…..又聞きで彼女を知ったらこう思うにちがいない。

もし僕だったら彼女になんて声をかけるだろう。どれだけ考えても「そんなに自分を責めないで」と言いたくなってしまうのは“甘い”だろうか。

犯罪者の彼女と目線を合わせて、そっと手を握りしめたくなるのは、いけないことだろうか。誰になんと思われようと。

久住呂さん、ありがとう

 久住呂さんと呼ばれる親子が登場する。娘の“くじゅうろさき”こと久住呂咲と久住呂百合だ。咲は市木かおりの息子、田中拓と同い年の幼馴染だ。

この2人は市木かおりにとって恩人の中の恩人。どれだけ恩人と言っても足りないくらい大切な人たちだ。

 市木かおりは息子をひと目見たい一心で小学校の入学式に密かに出席しようとして、それがばれてしまい警察沙汰になってしまう。彼女は拓の母と言えば自分だけで、元夫が再婚していたことを知らなかった。“拓の母”が自分ともう1人いることを。

「じゃあわたしは、教室へは行かないほうがいいですね。わたしはここで帰ったほうがいいですね」
「はい今日のところは」

市木かおりと久住呂百合

幼稚園の時と同じく、ほんのすれ違いの出来事が、周りに誤解を生んでしまった。

 この事態はあっさりと片付くのだが、記憶が途切れ途切れになるほど精神的に追い詰められ、弱りきった彼女に寄り添ったのが百合だった。

「昔は未来が見えた。けどいまは、一日先も見えないからつらい。」

鶴子

事故を起こすまえに市木かおりは親友の鶴子からこう相談される。市木かおりも同じ気持ちだったのではないか。

そんな中、「見て見ぬふりはできません」と手を差し伸べる百合。縁が繋がった瞬間だった。

「たっくんはさ、男だから、イクジナシでしょ」
「さきが、ヒソカに呼んできたほうがよくない?呼んできてあげるよ」

くじゅうろ さきちゃん

「はい、ようやく会えました」
「貴重なお時間を無駄にしてすみません」

久住呂咲さん

 百合の娘、“くじゅうろさき”こと久住呂咲も印象的だ。市木かおりとは2016年に出会う。そして2025年、10年ぶりに再会する。

市木かおりが自分の人生を生きるように、彼女もまた自分の人生をたくましく生き、立派に成長した姿を見せる。

 2人とも市木かおりとは血の繋がりもない、息子の同級生とその母親。赤の他人だ。それでも時として家族よりも固く結ばれた、たしかな繋がりがあったのではないだろうか。

夫について

 理屈抜きでこう言いたい。大概にしろと。調子が上がると一人称が僕から俺に変わるのは厭らしい人だと思う。

「かおり、わかる?僕だ」
「小学校の入学式で俺の妻のふりしてを騒ぎを起こしたんじゃないか。」

元夫

市木かおりは冒頭で夫、“てっちゃん”のことをこう評する。

一方が悪、一方があまりに正義の味方ふうで、単純に鵜呑みにするのはためらわれる面もある。

私の夫は違う。物事を直球で受け止めて直球で返すひとなのだ。

「そうは言ってもさ」などとあら探しの目つきで物事を見ない。

市木かおり

 悪く言えばそそっかしいとか、自分で咀嚼して考える頭がないと冷静に夫のことを見ている。市木かおりはそういった疑いの心を持たない夫は選ぶべくして警察官になった。そういうところに好感を抱いて結婚したと言う。

 たしかに味方でいるうちは、身内でいるうちは、これほど気持ちの良い人はいないだろう。全力で庇ってくれるからだ。

てっちゃんは市木かおりが彼女の大伯母、“晴子伯母さん”の養女になるかもしれなかったと聞く。「そうならなくて良かった。伯母さんの伝統を受け継いで生きてたら、女として可哀想だ。」と言う

 晴子伯母さんは作中ではすでに故人だ。僕が知るのは、晴子伯母さんはみんなの嫌われ者で、他人の不幸には冷淡、幸福には難癖をつける。寡婦のドケチで偏屈な老人ということ、そして腐りかけの熟した柿を真夜中にチュルチュル啜る人ということだ。

 しかし晴子伯母さんのことは市木かおりも、夫のてっちゃんも噂や又聞きでしか知らない。嫌われすぎて情報が盛られた存在ということに気づいておきたい。

例えば他人の不幸に冷淡というのは余計なことは言わず、そっと見守るようにも受け取れる。実際、彼女は市木かおりを引き取ることに躊躇なく手を挙げた。

それをてっちゃんが疑いも持たず、晴子伯母さんに貰われることを「可哀想」として言ってしまうところに、物事を直球で受け止めて直球で返す性格は、時として情け容赦ないと感じた。

市木かおりが刑務所から仮出所となった時、てっちゃんはこう告げる。

「母親が犯罪者の子供と、母親に死なれた子供と、どっちがより不幸か、考えてみろ。」

てっちゃん

そういって離婚を迫るのはあまりに残酷ではないか。実際に死ねと言っているわけではなく、“そういうつもり”でこれから生きてほしい。息子とはいっさい関わりを絶って生きていけと。犯罪者の夫として共謀を疑われ、警察官の職を失うことになった彼からしてみれば当然の怒りだ。

 一方でこう思う。妻が不慮の事故で人を轢いてしまい懲役を科されても、責め立てるばかりでなくお互いに励まし合って生きていくべきだったのではないか?と

自分は酒で酔い潰れて車で熟睡していたのに、豪雨の中、妊娠中の妻に、運転させたことは棚に上げて言っているのでは?と予感がする。

 しかし、市木かおりは「夫は寝ていて状況を把握していなかった。わたしが起こした事故に巻き込まれた」と同情的だ。同じ場にいた人がそう言うのであれば納得せざるを得ない。

ところが終盤になってとんでもない事実が発覚する。実は元夫はあの時、起きていたのだ。実際に元夫はこう言う。

「きみは車を降りて確認するべきだった。」
「ただ、そうしろと言わなかった俺も悪いといえば悪いんだ。」

元夫

これを聞いた市木かおりは、すべての辻褄があったように夫をこう問い詰める。

「あなたは卑怯だ」

市木かおり

元夫は子供を楯にして一方的に断罪した。あの夜、事態の深刻さに薄々気づいていた。おばあさんを車で撥ねた衝撃の直後、夫はすぐにこう言った。

「......かおり」
「なんで車を停めた?」

てっちゃん

 事故で傷ついた車を修理に出して、あわよくば“なかったこと”にできると。それが隠蔽した疑いに繋がり裁判でさらに不利になったと市木かおりは詰め寄る。それを「妻が車庫入れで傷つけた新車を修理に出しただけ。警察官の名誉に誓って何もない」と言い保身に走った。

一方で彼は罪を押し付けたことに責任を感じていると、市木かおりは推測する。実際に10年間、年に1度か2度電話をかけ、良心の呵責に苛まれながら元妻と接触をはかろうとしていた。それを薄々、市木かおりも感じていた。

 電話がつながらない度に「あぁ、今回もつながらなくて良かった」と免罪符を得たような気持ちを、それとは裏腹に重い罪の意識も噛み締めていると彼女は彼の胸中を察する。

そして元妻に罪を押し付けることは、息子の安全に直結していたと市木かおりは結論づける。つくづく自分でもお人好しだと思いながら。

 物事はそう単純ではない、と2人のやり取りを通じて僕は痛感する。それは市木かおり自身もわかっていることだった。

 いつの日か、市木かおりが働いていたパチンコ屋で彼女が貯めていたお金を盗んだであろう元同僚がいた。その時の店長たちも「確固たる証拠に欠ける」と明確な判断を避けた。

事実、本作は全編を通して“市木かおり”の視点でしか描かれていない。元夫のことは彼女の視点で語られる。僕はそれ以上、彼を知る由もないのだ。

つい市木かおりだけの視点だけを見て「元夫はひどいやつだ」と言いたくなってしまう。僕は最初に言ってしまったが。

僕は市木かおりの胸中を、これまでの苦しみをもう知ってしまった。なにがなんでも彼女の味方でありたいと、もう決まっている。

あわよくばと車を修理に出し、あの時見て見ぬふりをした夫が新しく家庭を築いてのうのうと過ごすのは許せないと、怒りを隠しきれない。市木かおりの視点でしか知らない元夫を、僕も卑怯者だと言いたい。

“物事を直球で受け止めて直球で返す”元夫と同じことを僕もしてしまう。

 “轢き逃げ”と“それを見て見ぬふりをした”これを嘘で隠し続ける2人を見て今も自分に問い続ける。我が子を思う気持ちは、おたがい本当だからだ。

そう感じる僕もまた“卑怯者”なのかもしれない。

平成から令和をたくましく生きる女性たち

 主人公の市木かおり、親友の鶴子、久住呂親子。元同僚の中乃森。福岡で新しく出会った友人の百崎と本作は女性が中心なことにも注目しておきたい。

「ほら、だったら会いなさい。てっちゃんの実家に押しかけてでも会いなさい」
「実の母親が息子に会えないなんて間違っている」

鶴子

「この学校の新入生たちが全員、シンプルな家庭の子供とは限らないんですよ」

久住呂百合

「一緒に行ってみない? ここに残って毎日ぐうたらしているよりずっとましでしょ?」

中乃森

「だらしないなあ、あのおじさんも。何ぐずぐずしてるんだろ、難しい漢字は読めるくせに」

百崎

特に親友の鶴子、久住呂親子が最初から最後まで彼女の味方だったことはあまりに大きい。

こういった女性たちに支えてもらいながら、市木かおりは次第に笑顔を見せるようになっていった。

 ここで本作で頼りになる男性たちの肩書きを挙げよう。大道芸人、パチンコ屋店長のゲイ、50代独身の料理人だ。

例えば“警察官”の肩書きと比べてみよう。すこし型破りに見えないだろうか?誤解なきよう伝えたいが、僕は彼らも立派だと思っている。

 そんな型破りな人たちの最大の強みは、“価値観は人それぞれ”だと物事を俯瞰できる視点が自然とできることだ。彼らもまた社会から“そういう目”で見られている存在だからだ。

“出所者”になってしまった彼女にはおおいに頼りになる存在だった。

辛抱だらけの人生

 市木かおりの人生は理不尽の連続だ。15歳で両親を交通事故で亡くし、次は自分が不慮の事故で懲役に服す。夫と離婚し、元夫は彼女の存在を無かったように、まるで上書きするようにすぐ再婚する。

息子と面会なんて高望みはしない。写真でも、遠目からひと目見れるだけでも良い。それすらも叶わなかった。それどころか息子にとって自分はもう存在しないものとされた。

親友やいとこはいても、前科者として社会を独りで生きていくことになった。

でも、じゃあいまのわたしはだれなのか。
本物のわたしはどこへ行ったのか。

市木かおり

 まさに辛抱を強いられるような人生になってしまった。前科者の自分にはそんな人生がお似合いだ、と未来に思いを馳せることさえできなくなっていた。

職場を転々とすることになってしまうが、彼女はどこの職場でも評価された。その都度、手を差し伸べてくれる同僚や上司がいるのは何よりも彼女が“良い人”だからだ。

どこか怪しい同僚に余計な穿鑿されたあげく、息子のために貯めていた“7桁”の貯金が“5桁”の貯金に減るほど盗まれても、彼女は深く落ち込みながらまた貯めていけばいいと割り切って生きていく。

 「拓、」と息子に毎日どんな時でも語りかける人が孤独に、辛抱を強いられるのを見て、呼吸が浅くなるほど胸が締め付けられる。

僕はいつだったか、テレビ番組で誰かがこう言っていたのをふと思い出した。

辛抱って、漢字で書くと「辛さを抱く」って書くの。
だから辛抱しろって、
辛さを抱きしめればいいのよ。
ぎゅって、なんかできる感じがしない?
辛抱って。

田中拓と市木かおり

 市木かおりの息子、拓はほとんど登場しない。拓は元警察官の父と、継母に育てられた。誰が見ても円満の家庭で、拓は弟をもつ“普通の男の子”として育っていった。“普通の母ではない“彼女を死んだことにして。

 そうして高校生になった拓と市木かおりは16年の歳月を経て再会する。あっさりと意外な形で。

市木かおりは久住呂親子に会うつもりで福岡から千葉へ、彼女のもとへ行ったのだが、咲が密かに計画し、拓を連れ出してきたのだ。

「さきが、ヒソカに呼んできたほうがよくない?呼んできてあげるよ」

いつかのさきちゃん

彼女がこれを意識していたのかは定かではないが、ようやく約束を果たしてくれた、と市木かおりは心から感謝していた。

少年が目を伏せ、爪先で足元の小石でも蹴るような仕草をみせる。

拓の様子

これほど的確に、思春期の男子高校生を表現した言葉はない。
そんな様子をみて久住呂咲はこう言う。

「田中くんとは幼稚園からの付き合いだし、彼の頭の中は全部お見通しなんですけど、いつもならそうなんだけど」
「だいたい、いつもはあんなうじうじした感じじゃないんですよ、もっと陽気で、お喋りな男の子なんです」

久住呂咲

 大人の細かい事情なんて知るもんかと言わんばかりに子供らしく、勢いとノリのある爽やかさで咲は、成り行きに身を任せて物事を進めた。

咲は「ふたりになったら田中くんに荷物を持たせないとダメですよ。市木さんはお母さんで、彼は息子なんだから。」と最後にアドバイスして去っていく。

息子と対面した市木かおりは何もかもがちぐはぐだったと言う。もっと感動的な再会を期待していたと。実際は道路を歩くばかりだった。

拓はなぜ、両親が離婚したのかを一番に知りたがった。そしてこう言う。

「それが離婚する理由になるんですか」
「なるんですか」
「元のままじゃだめだったんですか」

 裁判にかけられ、刑務所にも行って、罪を償ったのになぜ父は、罪を償った母を迎えに行かなかったのか、父は「警察官の妻としてふさわしくないから」だと言う。

子供のことを思い、大人同士の事情で離婚したことを拓は「それがどうした?」と言わんばかりに切り込んでいく。

“子供の母親としてふさわしくない”と産みの母はそう思って、自分のもとから去ったと拓は感じている。実際、彼女自身もそれが正しいと信じてきた。

そして彼女が自分を幼稚園まで迎えにいったことを不思議がる。

「一度捨てた子供なのに」

 そんなわけがないだろうと彼女も、僕も即座に言いたくなる。強い怒りが込み上げてくる。しかし拓は“産みの母“のことは父、継母、久住呂親子から聞くしかないのだ。

市木かおりをこれ以上悪く言うつもりはないと言いながら彼女に良い印象を持たない父と継母。厳密に言えば父はあえて“そういうこと“にしているのだが。

 それを聞いた、産みの母、市木かおりは燃えたぎる怒りのような悲しみをぶつける。「子供を捨てた母親などと、言われる筋合いはない」と返す。

「ひとの気持ちがきみには想像できないの?」

市木かおり

おそらく拓は人の気持ちが想像できる子だ。腹を痛めて産んだ我が子を思う、母親の愛情の深さに気づける年齢に達してないだけで。

自分にはない考え方にしどろもどろになる。それでも拓は「じゃあ、待てば良かったのに」と、もう取り返しがつかない過去について語り始める。

拓は“普通の母親”でなくてもよかった。
父だけではなくて、あなたも傍にいてほしかったと言う。

 そんな父の、元夫のずるいところをもう知っている彼女はもはや意味のない、あり得ない話だと断言する。拓の子供らしい純粋な意見を真っ向から否定する。

そして元夫のことをとやかく言える立場ではないと、自分もまた嘘つきだと、ずるいやつだと、自分の内面で息子に語りかけるしかなかった。

何よりも、もし……なんて話は、うんざりするほど彼女自身が考えてきたことだ。

拓が本当に伝えたかったこと

 ここで少し待ってほしい。市木かおりも、田中拓もうまく伝えられなかったのではないか。

拓は「じゃあ、待てばよかったのに」と仮定の話をし始める。市木かおりも仮定の話だと調子を合わせる。話の流れで彼女は自分の父のことを悪く言い始めた。

 拓は、実母の「子供を捨てた母親なんて言われるおぼえはない」という言葉に、最大限、応えようとしたのではないだろうか?

実母が自分を捨てたわけではないと前から推測していた。それを確かめるべく「一度捨てた子供なのに」と言ってみた。推測は当たった。しかし自分の予想を遥かに超えていた。実母からとてつもない熱量で返ってきた。

それを受け止めきれずに、とっさに精一杯返したアンサーが「じゃあ、待てばよかったのに」ではないか?

「未来が変わってた」

現状の不満がないと出てこない言葉ではないか。今の家族では満たされない、奥底にある何かを、拓は感じ取り始めている。

 そして仮定の話がしたいのではなく、実の母親と会ったら「僕の本当のお母さん」と胸を張ってなんのためらいもなく、本当はずっと、ずっと言いたかったのではないか?

実際に父が実母を迎え入れたかなんて仮定の話はいまさら意味がないと、拓もわかっている。

「父は、市木さんを許してた」「市木さんと、もう一度」も拓なりに喋りながら考えて、とっさに出てきた「子供を捨てた母親なんて言われるおぼえはない」へのお返しの言葉だと感じた。

「そんなはずないです」
「父が言ったんです。嘘じゃないです」

尊敬する父が、実母を見限った事実を受け入れられない。
たしかに父は実母を迎えに行くと言っていた。

同時にここまで意固地になるのは、拓自身の本当の思いまで、嘘だと言われているように彼は感じたからではないか? 言った本人さえも今は気づかない本当の気持ちを。

「きみは、未来が変わっていたら良かったと思う?」

市木かおり

拓は返事に困る。拓も話しながら少しずつ整理がついていく。本当はそんな話をしたいわけではないからだ。

何度かまばたきをしてわたしの顔を見ていた。

市木かおり

 そして顔を見られただけで満足したと、産みの母は自分の中で納得して帰ろうとする。今まで会ったことない実母の強がりを、弱さを、後ろ姿を見て、何かを察して追いかける。

彼女が元夫の真相に気づき始め追いかけた時のように、何かがしっくりこない違和感を彼もまた感じていた。

「なぜ嘘をつくんですか」

 喋りながら考えることで整理していく。「母も、自分も、いまさらこんな話をしたいわけじゃない。このために会ったわけじゃない」と気づいた。自分の本音を上手く伝えられないばかりに、本当に言いたいことがずれていく。

仮定の話が進めば進むほど、市木かおりを出所後に迎え入れてたら、と考えれば考えるほど、育ての母を否定することに繋がる。この時の拓はそんなことぐらい、もうわかっていた。

というのも市木かおりと会う前に、彼女のことは久住呂親子からもう聞いているからだ。

「お母さんがふたりいてもいい。ひとりもいない子だっているのに贅沢だ」

久住呂親子

 これに対して拓は黙ってしまう。当然だ、そんなことを言われてもすんなり受け入れられない。聞いた瞬間は市木かおりも容易に受け入れられる意見じゃないと思っている。

拓は自分の誕生日に、実母が車で人を撥ねて死なせ、2年半刑期を務めて罪を償ったことを聞かされている。拓の誕生月は8月で、市木かおりと会ったのはおよそ11月下旬ごろだ。

彼なりに実母の人となりを、さらに推測できるほど月日が経っている。

日差しは暖かいとはいえもうじき十二月だから

久住呂親子と会う前に鶴子と会っている時のこと

(拓はもうじき十歳の誕生日ですね。ちょうどその頃、笛吹川に河川敷では恒例の花火が打ち上がります)

そして08から始まる四桁の数字を試してみた。

岡山で市木かおりが回想している場面

 拓はしっかり実母が罪を償ったことをとっくに認めている。そんなことより今は“お母さんがふたりいる”ことの方が複雑だと感じていたのではないか? それでも拓は時間をかけて答えを導き出す。

「最後は自分で考えてそうだと思った」

本音では拓は、彼女こそ本当のお母さんだと思いたい、言いたい。しかしそれは深い恩がある継母を否定することに繋がる。今すぐ答えを導き出せる内容ではなかった。

間違ってもふたりの母を悲しませたくない。今はこう答えるしかない。

「市木さんもお母さんだし」

そして拓はこう喋りだす。

「市木さん、さっき僕が久住呂のお母さんからいろいろ話を聞き出したとか言ってたけれど、それはちょっと違ってて、あの人が勝手に喋っただけで、お母さんがふたりいてもいいって話のとき、僕が黙ってたら、あの人、田中くんのお母さんが、このお母さんは市木さんのことだけど、いままで一人でどれだけ苦労してきたか、誰のために、どれだけ一生懸命働いてきたか想像できる?なんて言い出して。一緒にいた久住呂が、それはお母さんがぺらぺら喋ることじゃないよ、市木さんが話したければ自分で話すことだよ、と注意したりもしたけど、止まらなくて、で、ほかにも」

と拓は別れ際に、自分でも上手く表現できない態度を、黙っていた時間を、会えなかった時間を取り戻すかのように喋り始めた。

 「黙ってたら幼馴染の母親が、よく知っているおばさんが、急に怒り出して、なにかが決壊したように喋り出した。意味わかんないまま、ずっと怒られてた」と。まるで継母に、ずっと一緒に過ごしてきた母親を前に、愚痴をこぼしているかのように喋り始める。

我が子が不毛なやり取りをするために会いに来たわけではないと、彼女もようやく気づき始める。自分も仮定の話をしたくて来たわけではないと、改めて持ち直す。

 飛行機の時間が迫ってくる。市木かおりも、拓も、まだまだ話したいことがあるのに帰らなければならない。

できることならもっと喋りたかったがもうお別れの時間だ。そのかわり拓は「じゃあ電話してください」「僕の電話にも出ると約束してください」と言う。

「もし会いたくなったら福岡まで会いに行ってもいいですか」

これは「もし会いたくなったら」ではなく、彼の中では「もう会いに行く」と決めているのではないか。

 このページを久住呂百合の台詞を見るたびに、何度でも顔がぐちゃぐちゃになって泣いてしまう。我慢できず1回本を閉じたら表紙が濡れてしまった。

 僕がずっと拓に伝えたかったこと、元夫と継母に言ってやりたかったことを、久住呂百合もずっと、ずっと思っていたのだ。それでも彼女は赤の他人だからと何度も自分に言いきかせ、つよく戒めた。市木かおりのよき相談相手としてたちふるまった。彼女もまた“子供を産んだひとりの母親“として何度もゆれながら。

「今朝ね、ちょっと咲と言い合いになったんだけど」
「なぜ市木さんと田中くんが会ってはいけないのか、産みの母親と息子の関係なのに。という咲の疑問に、うまく答えられなかったせいで」
「まあ、もっともな疑問よね」

久住呂百合

 市木かおりに会えなかった10年間もずっと彼女に思いを馳せていた。娘の幼馴染の“市木かおりの息子“を見て、彼女の面影をずっと感じていた。“見て見ぬふりはできない“彼女はもうこれ以上、堪えきれなかった。それを市木かおりも知る。

 彼女は涙が出るのを必死で耐え、息子に情けない姿を見せないように「バス! 晩ご飯の時間だから行きなさい」と無理やり話を切り上げ、息子に背を向け、歩き出した。息子が見送ってくれているのを背中で感じながら。

田中家について

 最初はあとがきに含めていたのだが長くなったので項目を追加した。久住呂百合と同じく、もうこらえきれない思いが止まらなかった。

田中拓の今の両親についてだ。本作は市木かおりの視点でしか語られない。それでもどうしても思わずにいられない、言いたい。

 もう警察官ではない彼が、元妻との離婚理由を「警察官の妻としてふさわしくない」とは、いくらなんでも見栄っ張りではないか?

市木かおりとのやり取りで薄々感じていたが、他人を侮っている。自分である程度、物事をコントロールできると思いこんでいる。

「話したと思う」
「せめてもの情けだ」
「俺も悪いといえば悪いんだ」

元夫

 そして福岡で会った時、元妻にすべてを見抜かれ、逃げるようにして帰った。その後、彼女とは1回も電話をしていない。

この際だ、ついでに言わせてもらう。

「自分が轢き逃げ犯の息子として生まれたなんて、いまさら、あいつに重荷を背負わせたくない」

元夫

「裁判にかけられ、刑務所にも行って、罪を償ったのに」と息子は言った。

 彼は息子のためを思って言っているが、自分がそう思いたいだけではないだろうか? そして「いまさら」と言った。そう「いまさら」なのだ。たしかに轢き逃げを隠している市木かおりもやりきれない思いがある。

しかし彼女は既に法の下で裁きを受けた。それに最近まで存在を無かったことにされた。それこそ拓も「いまさら」と感じるのではないか? この期に及んで体裁を保つために嘘をつき続けている、元夫こそどうなのだろうか。

 次に継母のことだ。拓は自分の意見をしっかり受け止めてくれる良い母だと感じている。そして兄弟分け隔てなく接する、誰が見ても文句のつけどころがない継母。

だが僕はこう思う。

一方が悪、一方があまりに正義の味方ふうで、単純に鵜呑みにするのはためらわれる面もある。

市木かおり

これが頭にあればあの時の、入学式の市木かおりだけを見て、「彼女にあまりいい印象を持てない」と、当時から10年以上経った今も言わないはずだ。

 そんな彼女が息子から“ふたりのお母さん“の問いかけに対しては「私は正解がわからないから、息子の意見を尊重する」とは、ずいぶんと都合が良い、と感じる。

ひょっとしたらこの人も「物事を直球で受け止めて直球で返すひと」なのでは? と勘繰ってしまう。そして継母は市木かおりを認めておらず「ふたりの母」としてまとめてほしくないと、言っているようなものではないかと。

「私はどうかと思うけど、息子が自分で考えることだから」と言っているふうにも見えるのは、僕が市木かおりに肩入れしすぎだろうか。

 赤の他人だと遠慮しながらも、言葉を選びながら「お母さんがふたりいてもいい」と言い切った久住呂親子とはまるで違う。そう言い切れるのは市木かおりもまた、田中拓の母親にふさわしいと思っているからだ。ろくでもない産みの母だとわかっていれば、そんなこと言わないだろう。

“産みの母“が小学校の入学式の時、継母は勘違いが起きていたと少しも想像しなかったのだろうか? 突進するように取り乱すばかりで。

 入学式の前に、元夫は市木かおりに電話をかけている。家で「こんなことがあった」と会話をすれば夫婦でいくらでも擦り合わせができたはずだ。そんな時間も設けなかったのだろうか。それとも元夫と継母で話し合い、元夫の言うことをそのまま鵜呑みにして、“そういうこと“にしたのだろうか。

結果、今も市木かおりに良い印象を持っていないということは“そういうこと“ではないだろうか。

「本人が会いたければ会うのは認めるが、できればその場に妻と俺も同席したいとも考えている。むしろ妻はそっちを望んでいる。本音をいえば

元夫

 そして"誰が見ても文句のつけどころがない"とは悪く言えば、八方美人ではないだろうか? 夫婦そろってよく似ていると思うのは僕だけだろうか。

 自分が腹を痛めて産んだ拓の弟と、夫の連れ子である拓を分け隔てなく育てている継母はたしかに立派な母親だ。継母みんながそうできるわけではない。

それでも市木かおりのように物事をそのまま鵜呑みにせず、ふと立ち止まって考えてみようとはしなかったのだろうか?

拓の母のように、彼女も腹を痛めて産んだ“拓の弟”と引き離された時、自分は母としてどうするのか、少しの想像もできないのか?と思う。

 そしてこうも考えられる。もし究極の選択を迫られる時、自分が腹を痛めて産んだ“拓の弟“と“拓“どちらかを必ず選ばなければいけない時、継母はどちらを選ぶだろうか? 彼女自身も認識していない、奥底にある無意識の選択があるのでは? と。

“警察官の妻としてふさわしい“とはこういうことで良いのだろうか?

もちろんなんとでも言えるし、どうとでも受け取れる。それでも僕は継母も卑怯者だと言いたい。

……怒りでつい言葉が強くなってしまった。

あとがき

ではどうするべきだったのか?

 正直どうしようもない。さんざん言っておいて僕も卑怯者だ。浮かぶ理由はふたつ。

ひとつめは、何事も紙一重だからだ。鶴子が不倫相手を刺したとき、相手に致命傷を与えていたら間違いなく罪に問われただろう。しかしそうはならなかった。元の鞘に収まり、子供を産んで穏やかに暮らすことができた。言ってしまえばそういう運命だったのだ。

ふたつめは、取り返しのつかないことをいつまでも堂々巡りしていることだ。市木かおりの"たられば"と、元夫の"そそっかしさ"が物事を複雑にしている。ただこればかりは性質なので変えようがない。

 それでもどうすればよかったか。しいて言うなら、そこまで他人の目を気にしなくて良かった。すぐに縁を切ろうとしないで、恥にまみれてでも根気よく生きていけばいい。市木かおりはそうして生きてきた。だから希望がみえてきた。

「これだ」と思って選択した瞬間に、別の選択肢が見えてくる。そして選択した方が間違いで、別の選択肢が合っていた。...人生とはこんなことばかりだ。

 本作はいつまでも出口のないトンネルを歩いている気になる。僕たちも決して他人事ではない。言ってしまえば“ごくありふれた話“なのだ。それだけ身につまされる。

 思い出話を少ししたい。小学生だった時、僕の友人の兄は犯罪を犯し、周りの大人たちの間で知れ渡った。

僕たち子供は当然知らず大人たちだけが知っていることだった。もしかすると親からきいて知った子はいたかもしれないが、まったく変わらない態度で彼と接していた。

兄が捕まっても僕の友人はまわりから人がはなれるどころか、いつも大人気で遊ぶ時はとり合いになるほどだった。子供の間で大人が心配するようなことはなにひとつ起きなかった。

 これを僕が知ることになるのは時が経った27歳の時。およそ17年以上前の出来事を聞かされたのだ。聞いた感想は「ふぅん、そうだったんだ」である。それを打ち明けた親も「当時は驚いたけどね」と笑いながら言って話は終わった。

何が言いたいかというと人はいがいとそんなものではないか? ということだ。

 それとこれとは別だと分別できる。猟奇的な凶悪犯罪は別としていつまでも義憤はつづかないし、赤の他人であるほど忘れていく。当事者も罪の意識は残りつづけるが、否応なく心の整理がついていく。

正しく生きていても、人から嫌われ離れていくこともある。逆にどれだけ失敗しても、いつでも応援してくれる人や、付き合ってくれる人もいる。

まとめ

 15年以上の歳月を経て、“人を轢いた”ことと“轢き逃げ”は薄れて混ざって行き、当事者の2人以外は区別できなくなっていくのかもしれない。ただ“人を死なせた”という結果が色濃く残るのみで。

そんな結果に市木かおりは法律上は罪を償ったとされても、まわりの人が、実の息子が許しても、生涯をかけて罪を償う覚悟で生きている。あの時死なせてしまった認知症のご老人がいるような、介護施設で働くことを決心する。

 拓は実母から早々に真実を告げられるのか、まだ先なのかわからない。しかし久住呂百合と土居が言うように、必ずその時はくる。

嘘をつき続けていたことを、産みの母を上書きするように再婚した父を、拓はどう感じるだろうか? 轢き逃げを隠している市木かおりを、拓はどう感じるだろうか? 風見鶏のような継母を、拓はどう感じるだろうか?

 物事を俯瞰せず、不誠実だと強く非難するかもしれない。かつての父と同じように。それとも致し方ないことだった、と清濁併せ呑むかもしれない。産みの母と同じように。

一方が悪、一方があまりに正義の味方ふうで、単純に鵜呑みにするのはためらわれる面もある。

市木かおり

拓は、実母を見限ることはないと考えたい。彼は実母をとっくに認めている。何より市木かおりと血が繋がっているのは拓しかいない。

 そしてこう思う。人生は子供より大人になった時の方がずっと長い。大人になった拓は実母とどう向き合うだろうか。思春期真っ只中でも市木かおりと会って素直に自分の目で確かめようとしたあたり、拓はきっと今までの時間を取り戻すように実母と親しくなると信じたい。

そして物語は意外な着地で終わる。

 市木かおりは元同僚の土居に電話をかける。土居はベテランの料理人で、穏やかで思慮深く、愛情に満ち溢れている人だ。彼は市木かおりに好意を持っている。

そんな土居の好意を知りながらもずっと避け続けてきたのに彼女は自分から電話をかけ、本作は幕を閉じる。

 我が子と再会したいという人生の目的があっけなく、意外な形で叶ってしまった戸惑いと興奮、10年ぶりに恩人と再会でき、息子と縁が繋がった喜びを静かに受け止めてくれる人を、無意識に探していた。

待ってみるもんだなあ

土居

彼のひと言が物語を締めくくる。人生をがむしゃらにもがくのも良いけれど、長期戦を覚悟で生きても良いのだと、彼は言う。

このひと言で、閉塞感ただよう本作に新しい風が吹き込む。

 その時々で正しいと思っていたことが、後になって間違いだった。それどころかかえって面倒なことになった。こういうことは人生たくさんある。その時に焦って行動するよりも、待ちの時間が必要な時もある。それをようやく彼女も理解し始めた。

「焦れよって思った?」
「思いません」

土居と市木かおり

 そして市木かおりはこの土居と共に人生を歩むのか、わからないまま本作は終わり、結末は僕たちに託される。

「土居さんともまだ出会って2年目。息子とは今日ようやく会えたばっかりなのに色々焦ることはない」と将来を信じるようになった。

市木かおりは「そこからの人生は驚くほど順調だった」と書き始めるのか、「結局、土居さんとは特に進展もなく今もたまに電話をするだけだった」と書き始めるのか、わからない。

 これからの進路を「拓、どうしようか」と息子に電話をかけるかもしれない。心の中で語りかけるのではなく今度こそ、本物の息子に。

「どうしよう、帰りに間に合わなかったら」と心配する市木かおりに「市木さんなら大丈夫」と返す土居。そして「よかった間に合った」とひと息つく。

 市木かおりはこれまでの人生で、自分の将来に少しの自信を持つことさえできなかった。それを土居は「市木さんなら大丈夫」だと言うのだ。その言葉に根拠はない。それでも大丈夫なんだと彼女はようやく信じられた。

不幸なことが突然起こるように、幸せなことも突然起こると期待していいのかもしれない。僕は、息子の拓は、市木かおりから、母から電話がかかってきたらどう話すだろうか。自分はこう決めている。

「かおりさんだって幸せになってもいいじゃないですか」と。

追記:"熟柿"を待っていたのは

「ほんとはママがいて、卒園の日までに、ぜったい迎えに来てくれるって、たっくんが」

いつかのさきちゃん

 “機が熟すのを待っていたのは、実は田中拓なのではないか。何回も読み直すうちにそう思うようになった。当時まだ小さい頃だったとは言え、子供心に違和感を感じていたはずだ。

「たっくん、ママが迎えに来たよ!」と久住呂咲に呼ばれてついてきたのに、迎えに来たママが、そこにいたはずのママが忽然と姿を消す。

 そして卒園式の日に、“何事もなかったように迎えにきた母親“その時はそこまで思わなかったが、歳を重ねるたびに、成長するにつれて膨らんでいく違和感。そしてまいにち父親の姿を、母親の姿を、弟の姿をみて感じるもの。

ちょっとした仕草、顔つき、立ちふるまいに違和感を感じた時があったのではないか。

「もうひとりのお母さんがどこかにいることは、子供心にもうすうす気づいていたでしょう。おおよその事実を知っていると思ったほうがいい」

久住呂百合

 久住呂百合の言うことは正しい。しかしもっと前から、拓は推測していた。そして久住呂百合の言う“おおよその事実“は、限りなく真実に近いところまで推測できていた。とはいえさすがに実母が「刑法上の罪に問われた人」とまでは推測していないだろう。

それでも拓は「何か隠されている。父ともうひとりの母親との間に、どうしてもやむを得ない事情が、何かが起きた」ところまでまわりの大人が想定しているよりも早く、とうの昔にたどり着いていた。

 しかし今の両親に聞けるわけがない。育ててもらっている恩、真実を隠してまで自分を守ってくれていること、弟ができてしまったこと、自分もまた今の家族を守らねばいけないことに気づいてしまった。下手に自分が動けばとり返しのつかないことになるかもしれない。

 なぜここまで自力で辿りつけたか?あの市木かおりの息子だからだ。
実際に久住呂百合から、拓はこう評価されている。

「繊細で頭のいい子。まわりの大人たちの言動もちゃんと見ている」

久住呂百合

実母と違うところは拓はもっと賢く、慎重だった。機が熟すのを待つしかない。徐々に判断材料が揃い始めるまで。いつか自分の近くに実母が来てくれる時まで。多少は自由が効く年齢になるまで。

 そしてようやくその時機が来た。待ってましたといわんばかりに風穴を開けるように幼馴染の咲が行動した。

「晩ご飯の時間までに家に帰らないとマズい」と、咲に連れられて親には内緒で拓は産みの母と再会する。この時の拓はまだ半信半疑だと思う。

「それが離婚する理由になるんですか」
「なるんですか」
「元のままじゃだめだったんですか」
「何も答えないじゃないですか。全部答えると言ったのに」

次々と問いかける。抑えきれない怒りと悲しみ、今まで抱えていた切実な思いを実母にさらけ出す。そしてこう吐露する。

「子供の母親としても」
「ふさわしくないと思ったんですか」

「その子供である僕はそう思わない。何もかも勝手に決めないでほしかった」と悲しげに見える。

 そして推測は裏切られた。産みの母からは「子供を捨てた母親などと、誰にも言われる筋合いはない」と予想以上の思いをぶつけられる。

彼の中ですべてが繋がった瞬間ではないだろうか。そうでなければ実母と別れ際になって、答えが合ったかのように興奮して、急に喋り出さないはずだ。

「久住呂親子から聞いていた実母の情報は正しかった……自分の推測は間違ってなかった……」と。

「最近のあいつの様子から、時間の問題だろうと妻は見ているし、俺もそう思う」

拓の様子を見た元夫

 これは最近になって気づき始めたというより、16年間自分の中で膨らみ続けた問い、それに合う判断材料が揃い始めたことへの緊張感があったのではないか。

子供のためと言いながら、周りの大人は自分の都合を織り交ぜて自分勝手に彼の胸中を解釈した。身を案じ勝手によかれと思って遠ざけていた。
それでも尊敬する人たちだ。だが裏腹に“そういうこと“にする大人の都合にも薄々気づいていただろう。

 機転を利かせ“今の両親”には内緒で実母と会った方が良いと判断した。これがすべてではないだろうか。

市木かおりと田中拓の親子関係はまだ青い。気長に時機を待てばいいのだ。辛抱強く生きてきたのは親子同じなのだから。

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