たぬき農園の記憶 序章
― 心の故郷から始まる、小さな命の物語 ―
二十年ほど前、山あいの小さな畑を借りました。
そこには、特別なものはありませんでした。
長く見捨てられた畑があって、草が生えていて、土がある。
季節が来れば風が吹き、雨が降る。
ただ、それだけの場所でした。
初めて畑仕事をした日のことを、細かくは覚えていません。
けれど、一匹のたぬきが来たことだけは覚えています。(けっこうデカい)

畑の近くに、ふっと姿を見せたのです。
「なぜ、来たの?」
たぬきに聞いてみたけど、彼は答えてくれませんでした。
ただ、その姿が妙に心に残りました。
そうだ、この畑を「たぬき農園」と呼ぶことにしよう!
少し変な名前ですね。
でも、その名前がよかった。
当時は、野菜を育てるために畑へ通っていました。
土を耕し、種をまき、草を取り、水をやる。
季節が変われば、また次の作業が始まる。
そんなことを繰り返していました。
畑では、思うようにならないこともたくさんあります。
草はすぐに伸びるし。(これがとても早い)
雨が続けば土の様子も変わる。
種をまいたからといって、こちらの都合で芽が出るわけでもない。
それでも、土に触れている時間は嫌いではありませんでした。
むしろ、畑にいると、普段考えていたことが少しずつ少しずつ遠くなっていきました。
仕事のこと。 他人とのこと。 これから先のこと。。。
草を抜き、土を触り、風の音を聞いているうちに、頭の中に詰まっていたものが少しずつほどけていく。
何かを教えてもらったわけではありません。
自然は、こちらに何かを語りかけてくるわけでもない。
草は伸び、雨は降り、季節は変わっていく。
その中にいると、自分のほうが少しずつ元に戻っていく感じかな。
今になって思えば、そんな時間だったのだと思います。

今でも、その畑へ通っています。(もちろん)
二十年ほど前に借りた場所なのに、なぜか離れられない。
季節が変わるたび、畑の様子も変わります。
草が伸びていることもあれば、土が乾いていることもある。
けれど、そこへ行けば、いつもの畑があります。
そして、そこに立つと、自分の中にも何かが戻ってくるような感じがします。
たぬき農園は、ただの畑ではなくなっていました。
長い時間を過ごした場所には、そこで見たものや、触れた土や、風の感触まで残っています。
それは場所に残っているだけではなく、自分の中にも残っているのだと思います。(きっと)
だから、また帰ってくる。
特別な理由があるわけではないのに、足が向く。
そんな場所が、自分にとっての心の故郷なのかもしれませんね。
あの日、畑に来た一匹のたぬきのことを、ときどき思い出します。
彼は、もう私のことなど覚えていないでしょうね。
そもそも、あれが「出会い」だったのかどうかも分かりません。
私がそう思っているだけなのかもしれない。
それでも、今も、その姿を思い出します。
野菜を育てるために借りた畑でした。
けれど、振り返ってみると、そこで育っていたのは野菜だけではなかったように思います。
自分もまた、そこで少しずつ育てられていたと。
そのことに気づくまでには、ずいぶん時間がかかりました。
そして、たぬき農園から始まった小さな時間が、今の「命環の森」へとつながっています。
大きな思想から始まったわけではありません。
一つの畑と、彼(たぬき)。
そして、そこへ通い続けた時間。
まずは、その小さな記憶から、この森の話を始めたいと思います。
