『教皇選挙』 (CONCLAVE)が良すぎた!ー “確信”と“疑念”
「光る君へ」でひたすら呪詛りまくっていた明子を演じた俳優・瀧内公美さんの「奇麗な、悪」を映画館で見逃したことがショックで、「気になる映画は時間をつくってちゃんと行こう」と気持ちを新たにし、今度こそは!と「教皇選挙」を観てきました。
昨年最も印象的だった映画は「関心領域」なのですが、それと似た感動と興奮を覚えました。本当に観てよかった。
父親にも勧めたら感動していたので、日本酒に関係なく書きなぐらせていただきます!
ちなみに、できればゼロ知識で観に行ってほしい!
私はてっきり中世が舞台かと思っていたら現代だった〜♪くらいの浅さで行きました。
社会から隔離され行われる「コンクラーベ」
映画の冒頭はシンプルで、ローマ教皇の逝去から始まります。
信頼する教皇の死を充分に悼む時間もなく、首席枢機卿であるローレンスは、各国の枢機卿たち(最高聖職者)をコンクラーベつまり「教皇選挙」のためバチカン市国に集めます。
なおローレンスは管理者としての仕事が自分に合わないと感じており、前教皇の生前に辞職を申し出たことがありました。そういうキャラクターです。
私はバチカン市国に行ったことがありませんが、本作は現地の空気感、世界観をシャープで無駄のない映像で表現しています。直線的、絵画的に撮られたカットが多い印象でした。
音響の点でいえば、序盤は特にスリリングというか、ダークな効果音も多かったです。少しヒヤヒヤしました。
序盤ではこの選挙がいかに重く、(責任者であるローレンスの立場からすると特に)ストレスフルなものであるかを随所で表現します。
選挙が始まり新教皇が決まるまで、枢機卿たちは「隔離」されます。
スマホをはじめとしたデジタルデバイスを預け、同じ宿舎に寝泊まりし、ひたすら票を投じる。食事は見る限り豪華でしたが、精神的にしんどそうなのであまり美味しくないかもしれません。
コンクラーベの前夜、ローレンスは緊張と苛立ちで、外泊用に持参した洗面用具ケースのチャックを開けるのに手こずってぶっ壊していました。
その他、コンクラーベ開始前に枢機卿たちがしばらく吸えないであろう煙草をひたすら吸いまくった吸い殻(たぶん20本はあった)が敷地内に捨てられているカットも入っていました。シスターが片付けるのかなと思うと、それもストーリーの一部かと。
そして各国のカトリック教徒トップが集まっているとはいえ、彼らは人種も母語・公用語も異なります。
ローレンスにはとても信頼できる側近がいて、彼が主にローレンスへ最新情報を届けるのですが、その彼自身も中盤で「私がスペイン語が堪能でないのもあって」と、情報取得に言語の壁が大なり小なりあることを吐露する様子もありました。
現代社会から遮断される状況以上に、言語・文化背景・生活スタイル・思想等すべて異なる人間が一堂に会する場の空気や緊張感を理解するのは、日本で生まれた我々にはなかなか難しいと思います。
選挙の進行は想像に容易く、「複数の候補者がさまざまな理由で絞られていく※」わけですが、保守派か変革(リベラル)派かという対立は前半からわかりやすいです。
なかでもとある枢機卿とシスターの間に起きたトラブルをきっかけに、ストーリーは一気に加速します。
※コンクラーベでは一人の候補者の票数が過半数を超えない限り続きます。そのため最初は「我こそは!」と気合充分だった候補者や「あの人が適任だ!」と決めきっていた人も、選挙の風向き&長引くストレスで投票先が変化していきます。
鑑賞中、反芻せずにはいられない名言の数々
(以下語りますが、真のネタバレはしません)
「確信」と「疑念」
ローレンスによる説教のテーマ、「確信」と「疑念」。
とても心に残りました。絶対に覚えてここに書き記したくて、鑑賞中は定期的に反芻しておりました。笑
一字一句覚えているわけではありませんが、ニュアンスを紹介します。
ローレンスは選挙前の説教で、「いま、教会は多様性を認めるべきである」と語ります。その上で、
「“確信”してはいけない。私たちは自身の正しさを不安に思うからこそ信仰が存在する。私は“疑念”を持ち続けるリーダーを求めたい」
と説きました。
いや、何度思い返しても良すぎる!この説教シーンだけYouTubeで公開してほしい!
今日ちょうど聴いた田村淳さんのラジオ「田村淳のNewsCLUB」でも偶然本作の紹介があっていたんですが、ゲストの古谷経衡さんもこの説教がテーマだと話されていました。嬉しい。そりゃそうか。
私が先日Eテレで出会った「100分 de 名著「精神現象学」ヘーゲル」の啓蒙と宗教の箇所を読んだ直後ゆえ、ビビっときたのもあるのかも。
(宗教は、)
ワインやパンや木片を牧師に騙されて信仰しているわけではなく、私たちが日常的に知覚することができないものを感じたり表現したりするために、ある種のメタファー(隠喩)として、意図的にそれらを用いているのです。
少し話は逸れますが、「確信」に通ずるワードとして「絶対」があります。何かを明確に象ると、そこからはみ出るものが必ず現れる。これを「疎外」とし、同著書内にはこう書かれています。
ヘーゲルは、フランス革命が恐怖政治に陥ったことを引きながら、近代の「疎外」が究極的に行きつくところは「絶対的自由」だと述べます。
(中略)
「絶対的自由」のもとでは、自己意識にとって、それ自体で意味や価値をもつものが何もなくなってしまう。伝統だけでなく、名誉も、財富も、言葉も、法も意味を失っていく。最後には、人間の命さえ。
人やモノはすぐに移動でき、インターネットに溢れかえる情報は信憑性に欠けるものも多い。個人の生き方や思想は細分化され、それらをグルーピングすることは難しく、寧ろナンセンスとも思えてしまう。
そんな目まぐるしい現代にどのような教皇がふさわしいのか。その思想は誰にとっての自由で、誰のための正義なのか。
最近、自分が見聞きして印象に残っていた内容が一気に押し寄せてくるようで、ものすごいテーマの映画だと改めて感じました。
ちなみに「絶対的自由」と聞くとホッブズの「万人の万人に対する闘争」あたりも思い起こされるので、興味のある方はCOTEN RADIOの民主主義編をどうぞ❣️笑
「自分たちは理想を追うただの人間であって、理想そのものではない」
もうひとつ、心に残ったのはこの台詞でした。
いよいよ投票先を絞らなければならないというとき、階段の踊り場でローレンスたち3名が話し合った際のことばです。
「理想でいえばこうだけど、今この状況を鑑みるには致し方ない」というある種妥協めいた発言なのですが(すみません、これを発言したのが誰だったかはふんわりしてます)、
作品の中では一見理想を諦めたようであっても、自分たちは理想を追い求め続ける姿勢を持ち続けるべき存在だというふうにも聞こえました。
「本当はこうありたい(あるべきだ)、できないとしても」というエモーショナルなところで、私はこの感覚がめちゃくちゃ好きです。How to beの話ですね。
そもそもコンクラーベがいかなるものかを知れるだけでも学びになるほか、自分たちが生きる社会を考えるきっかけになります。どんでん返しも待っているので、ストーリーとしても退屈しない作品かと!
「教皇選挙」はもう一度観たい映画のひとつになりました。パンフレットも買ったよ。

