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心を以て読む本の読み方 その二

 前回に引き続き、「木を見る西洋人 森を見る東洋人/リチャード・E・ニスベット著/村本由紀子訳/2004年6月10日発行」から「矛盾」について、西洋人と東洋人の思考の違いを考えてみる。
 「アメリカ人の学生は、矛盾を含まないことわざを好み、中国人の学生は、矛盾を含むことわざを好む。」
 前者のことわざとして、「半分でもないよりはまし。多勢に無勢では勝ち目はない。『たとえば』では何も証明されない。」後者のことわざとして、「謙遜も過ぎれば自慢のうち。敵よりもまず味方を疑え。人は鉄よりも強く、ハエよりも弱い。」この両者を提示し、より心に響くものは、いずれかを尋ね、その結果を検証している。
 私は、四十代のとき七十代の知人から聞いた〔謙遜のうぬぼれ〕という言葉が好きである。〔いやいや、私なんてとんでもない・・・・〕日本人がよく使う言葉で、逆説の本音として捉えているので、これを矛盾とは考えない。〔敵が味方に転じ、味方が敵に転じる。〕ことはさほど珍しいことでもない。強弱もまた見る角度によって異なる。私は、後者のことわざが、いずれも矛盾とは考えない。
 たとえば、〔がん細胞の進化が人の進化をもたらした。がん細胞が生まれていなければ、猿のままだったかもしれない。〕と検証しつつ、がん細胞を消滅させる医療の研究は、矛盾だと考える。人間が手を付けず、このままがん細胞が進化し続ければ、200年後、人は、はるかに進化しているに違いない。もっとも、その頃には、人のがん細胞によって、生成AIが進化し、あらゆる生命体を支配しているだろう。

弁財天石楠花の丘

 矛盾とは、同一場所、同一時間、同一空間、同一次元において、同時に存在し得ないことをいう。矛盾は、解消し得ない。解消することができれば矛盾ではない。過去は、現在ではなく、現在は、未来ではない。しかし、過去現在未来は間断なく繋がっている。したがって、過去と現在、そして、現在と未来は、それぞれ同時に存在している。それは、過去と現在と未来が同時に存在していることでもある。西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一である。この思考は、西洋では生まれない。
 この思考に共通したものが東洋にある。陰陽相待(対)性原理である。陰と陽は、対立しながらも、陰は陽を待ち、陽は陰を待つ。陽を以て分化発展し続けると、いずれ崩壊してしまう。それを避けるため、陰を以て統一含蓄する。そして、また分化発展し、これを繰り返してゆく。さらに、陽の中に陰があり、陰の中に陽が存在する。陰と陽が同時に存在することは、矛盾として捉えない。
 古代中国思想の四書五経の一つである易経から発展した思考であり、易経は、東洋人の思考に独自性を与えている学問の一つである。
 また、天の思想は、古代中国の代表的な思想であり、西洋の神の存在とはまったく異なる思考である。
 「東洋には、弁証法と呼ばれる古代中国以来の推論の様式がある。矛盾に焦点を当て、それを解決する、超越する、もしくは両方の側に真実を見出そうとする様式である。」これが正に、陰陽相待(対)性原理天の思想を基にしている東洋の包括的思考である。
 これに対し、「西洋では常に、矛盾を受け入れる、超越する、矛盾を利用して事態を把握するといったことよりも、むしろ矛盾を消し去るための努力がなされていた。」西洋の分析的思考を象徴することである。
 「中国では、老子(道家)を好む。そこには、『矛盾の原則』がある。
1.美は醜の相対的な概念にすぎない。2.善は不善の相対的な概念にすぎない。3.有と無も、お互いがあって、初めて存在する相対的な概念。」
 これが、仏教になると、善悪不二(大乗仏教の空の思想からすれば、善と悪などの相対的な区別はない、そういうものに拘泥すべきではないということ。-仏教がわかる四字熟語辞典/森章司・小森英明編)という覚りから矛盾は存在しないことになる。

弁財天石楠花の丘の石楠花

 本書を訳した村本由紀子は、そのあとがきに「私たちが生きるこの世界には多様な文化をもつ社会があり、人々の考え方もさまざまに異なっている。人や情報が国境を越えて行き交う現代において、そうした『文化差』に思いを馳せることは極めて重要な意味をもっている。」と記述している。ましてや歴史ある文明を否定することは、実に愚かであり、無知であり、恥ずかしいことである。
 また、訳者は、「皮肉なことに、『西洋VS.東洋』という二分的なモデルを用いることは、ニスベット自身がやはり分析的な思考の持ち主であることの現れでもある。・・・・より多角的で包括的な視点から、絶え間なく変化する世界の動き、人々の動きをダイナミックに捉えていくことも大切だろう。」と述べている。この発言に大いに共感するのは、私が古代中国思想や大乗仏教に興味を抱き、お山を始め自然を愛し尊崇しているからだと思う。
 ところで、私が矛盾に頗る興味があるのは、二十代前半に、人間純粋論の根幹をなす三大矛盾論を考え出したことにある。人間がこの世に誕生し生きていくうえで、三つの矛盾と対峙することになる。社会の矛盾・人間の矛盾・自己の矛盾であり、これらは完全に独立したものではなく、相互に重なり、関連し合っている。とりわけ自己の矛盾と向き合い、これを解消する方便を模索するも、木っ端微塵に粉砕され、雲散霧消と化した。それから約40年、陰陽相待(対)性原理絶対矛盾的自己同一によって、封印していた三大矛盾論を復活することができた。
 そろそろお茶を飲みながら矛盾と対話しても良いかと思う。

弁財天石楠花の丘に鎮座する金刀比羅神社

【包括的思考と分析的思考】
包括的思考とは、人や物といった対象を認識し理解するに際して、その対象を取り巻く「場」全体に注意を払い、対象とさまざまな場の要素との関係を重視する考え方である。他方、分析的思考とは、何よりも対象そのものの属性に注意を向け、カテゴリーに分類することによって、対象を理解しようとする考え方である。言い換えれば、東洋人は「森全体を見渡す」思考西洋人は「大木を見つめる」思考の様式をもっているということである。(「訳者あとがき」より)
 出版から22年も経っていながら、決して色褪せておらず、人間の思考の基本を認識する一助となる書物である。

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