見出し画像

“うるさい”じゃなくて、“ごがつばえ”と言える余裕が欲しい

五月頃から現れる、あの羽音のする虫のように、
ちょこまか、わちゃわちゃ、まとわりつく私たち姉妹。

「あぁ、ごがつばえ、ごがつばえ」

母はそう言いながら、顔のまわりを払うように手を動かして、周囲にまとわりつく私たちを笑いながらやんわりあしらっていました。

よみがえる “ごがつばえ” の記憶

最近、つい口から出てしまう「うるさい!」という言葉。

本当は言いたくないし、言われる方も嫌な気持ちになる。

そんなこと、頭ではわかっているのですが、どうにも耐えられなくて、反射のように出てしまいます。

そんな日々の中で、ふとよみがえったのが、30年近く前の、母のあの言葉でした。


私には、兄と妹がいます。
子どもが3人もいれば、それはもう毎日が賑やか。

「喋りたい!」「かまってほしい!」という欲が全開の私と妹は、
台所の椅子に座る母にまとわりついて、何やらギャーギャー騒いでいたのでしょう。

そのたびに母は、「あぁ、ごがつばえ、ごがつばえ」と。

少し困ったような、でもどこか楽しんでいるような顔で、笑いながら受け流していました。


母と姉妹、そして“ごがつばえ”な毎日


毎日喧嘩したり、布団で遊んで埃を立てたり、家中を走り回ったり。
忘れていましたが、幼少期の我が家は、とにかく騒がしかったです。

私の中の母の印象は、“いつも忙しく家事をしていて、怒っている人”。

「片付けなさい!」
「ちょっと手伝って!」
「こんなところで寝ないの!」

そんなことばかりを言われていた記憶が残っています。

けれど、「ごがつばえ」という言葉にまつわる記憶だけは、なぜだかどこか柔らかい。

あの時の母の表情は、たしかに笑っていました。

「うるさい!」ではなく、「ごがつばえ」と笑いながら受け流していた母。

今になって、その言葉にはユーモアと愛情が込められていたのかなと気づきます。


まさに “ごがつばえ” な息子と私


今現在、息子ひとりに手を焼いている私。

「見て!」
「こっち来て!」
「リモコンとって!」
「さけるチーズと今川焼き!」

どこの国の王様ですか?と問いたくなる横柄さに、
こちらのイライラはもう限界。

そして、気づけば口から飛び出す。
「うるさい!」

きっと息子を傷つけている。
言ってはいけないとわかってはいる。
それでも抑えられず、自責の念に駆られます。


少し年上のママさんがこんなことを言っていました。
「こうやってわちゃわちゃしてるのも、あと2年くらいかと思うと、なんか寂しいなぁ」

そんなふうに感じられる余裕が、羨ましく、尊敬すらしてしまいます。
今の息子の様子を見る限り、とても、そんな静かな日常が訪れるとは思えないけど……。

でもきっと、いつか来るのでしょう。
それも、思っているよりもずっと早く。


言葉の“温度”を見直す


朝は楽しく登園できるのに、
公園ではまぁまぁ穏やかでいられるのに、

家に帰ると、疲れがどっと押し寄せてくる。

その疲れが、「うるさい」という言葉になって口からこぼれてしまいます。

本当は、怒るよりも、笑っていたい。
その方が、自分自身も、きっと楽になれるはず。


そして、母の「ごがつばえ」という言葉を思い出す。
もう少し穏やかに、余裕のある言い回しを使って過ごしたいところ。


せめて明日は、
怒りの沸点を、1度だけ上げておこう…。




 


最近、神田ちあきさんの、こちらのキャンペーンを知りました。
素敵な企画だと思い、初めて参加させていただきます🕊️

いいなと思ったら応援しよう!