SS 『Everyone gathers』
デイバンの夏は、訪れが早い。
アメリカ東海岸、ニュージャージー州 デイバン市――
6月のデイバンは、 熱波が来るほどの気候ではなくとも、晴れ間が数日続くと日中の最高気温はたやすく30度を超える。そこに陽射しで蒸されたラリタン湾の南風が街を覆い尽くし、湿度が建物と、道路と、人々にまとわりついて……これからやってくる真夏を想起させる。
「……暑ゥい。――ちょっと係のモノ=サン、まだ6月なのに、これどうなってますのん」
一人の男が、送迎の車から降りたとたんに襲ってきた熱。
午後の、ほぼ垂直から照りつける陽射し。
アスファルトからの輻射熱。そして市街から這い上ってきた湿気を帯びた生ぬるい風に包まれて……聖書のヨブのように、天に、太陽に訴えかけた。
「おっかしーな。このあいだまで、ピクニックびよりの天気が続いてたのに。ま、こっちはずっと書類仕事と会議でセルフ監獄生活、生っ白くなっていたわけですが。……暑い」
落ち着いた縞の生地、それを時代ものの仕立ての上下揃いにしたスーツを身にまとった男が、護衛の黒服たちのお辞儀に手を振って笑顔で答えながら……建物へと、急ぐ。
「うー、シャツどころかネクタイまで汗、しみてますよこれ」
一般の配車場、駐車場から離れた場所にある――この敷地で、最も大きな、横に倒した巨大な墓石のようなビルの駐車場におりたその男は、建物の影を進みながら。
独り、言葉を並べながら。
「でも、カポ。しってるんだからね。どーせ、昼間はこんだけ暑くても、夜になると。うっかり腹出して寝たりすると風邪引くくらい、冷え込むんでショ。もうダマされねえから……夜風、はやく」
その男は――
「彼の立場で」「周囲に」失礼にならない程度に伸ばし、綺麗にカットした髪。
汗ばんで、車の中の手ぐしでかきあげてぼさぼさ気味にはなっていても――建物の影、そして護衛とホテルマンのような部下たちが居並ぶ、薄暗い巨大な出入り口をくぐっても――
そこにだけ、5月の陽射しが琥珀のように凝固して輝いているような、金の髪の男は。
「ただいま。……と言っても、今日は――俺しかいない予感」
本来は、今日もデイバン市街のホテルで会合、明日まで気が抜けない相手と胃の痛い難しい話、そして会食、酒、酒、酒の席の油断ならない面倒なハナシで夜が開ける……はず、の彼だった。
「まさか、先方の面倒で俺が明日までフリーとか。信じられん、もう明日の昼まで男寝りに寝るわ。いや、久々のソロだから部屋で滅茶苦茶オナニーするわウソ」
「……隙あらばちんちん勃てて、酒のんで煙草吸ってたころが懐いわぁ」
「……まあ、今日はここには俺だけ、だしな。……みんな、予定みつしりだもん。めし、くったら。久々に漫画読んで寝落ちすっぺ」
「……!? 今ごろ気がついた! すげえ、通路も部屋も! 冷房! エアコン効いてる!? うっそ、ごめんベルナルド。でかしたベルナルド。今年は故障してねえ! すげー。これなら『冷気』の博士もニッコリだぜ腐ってるけど」
男は――その建物の主人である、彼は。
デイバン郊外の丘陵地帯――
その丘の一つをまるまる敷地として、そこに多数の大型倉庫、施設内道路、スタッフ用の居住ビルや住宅、そしてプールや水路まで備え……そして。中央に、不気味なほど無機質で巨大な、横に倒した墓石のような黒っぽいビル。
これはB級映画製作会社「デイバン・シェイディング・ピクチャー」《のスタジオ、……に偽装した、デイバン市を闇から牛耳る悪の組織、泣く子ももっと泣くマフィア、CR:5の本部。
その悪の居城に……。
CR:5二代目ボス。ジャンカルロ・ブルボン・デルモンテは。
ひとり、とぼとぼと照明された通路を進んで……帰宅、していた。
二代目カポ、ジャンの午後は孤独だった。
本部に戻り、護衛と連絡担当の部下たちに、自分が予測外の出来事で本部に戻ったこと、明日まではここに滞在することを伝えた彼は――
「さて。まだ、部屋に戻ってシャワー浴びてパンイチにはなれんのよねえ」
本日、「デイバン・ホテル」での会合がキャンセルになったことを、役員会、そして会合の結果を報告する手筈だった長老会に、電話で報告を済ませ。
デイバン市庁舎に、市長閣下にも会合の不発を伝える必要があったが……そちらは、まさかヤクザの本部からの回線で、悪名高い「ラッキードッグ」の自分が。
「――ハァイ。ローレンツ=サン。よっ、今日もいい美中年をしていますねお世辞です」
などと電話をするわけにはいかない。
会合の件を、ジャンは専門の、「カタギさんとの交渉」専門の部下に伝えて、然るべき市内のおきれいな場所から連絡をさせ――そして、ようやく。
「ふぅう。昼めし、ちゃんと食えなかったから腹、へってきた。シャワーの前に……」
ジャンカルロは、自室に戻る前に。
半ば、習い性で。
――今日は、予定では。前日での幹部会の会合の打ち合わせでは、この日、この週は、カポのジャンを始め、幹部の四人全員がいつものように多忙、ここ本部には戻れないか居ても深夜、という話しだった。
だが、半ば習性で。
ジャンは、会議室へ――
その広間とU字型の大型卓がある部屋は、幹部たちとの会合でよく使う部屋だ。
その部屋に入り、無人なのに常時、点灯されている天井の灯りにジャンが目を細めた。
――そこに。
「んっ? んっ、ん? あら。あら、あら」
「……えっ。ジャン? ジャン、おまえ。今日は会合のはず――」
「うん。さっき情報担当に報告して。今から説明すっと3度目ですが。あらら、ハハハ」
「ふふふ。なにか、面倒、というか――そのジャンの顔だと、悪い事態じゃなさそうだ」
その会議室には。
背の高い、男が。痩せた長身に、黒のコンプレート。痩せた身体をカバーするためか、夏でも方に光っけているコート姿の……髪を長く伸ばした男。黒縁眼鏡の、レンズの奥の目を笑みで細くしている男。
――CR:5 幹部会筆頭 ベルナルド・オルトラーニ。
彼は、突然現れた彼の上司、カポにゆるく両の手を広げ。
「とりあえず。おかえり、ジャン。今日の会合のことは、あとからジョバンニに聞いておくよ」
「ただいま、おとっつあん。そうしてもらえると助かる。つか、ベルナルド……たしか」
ジャンカルロも、彼の右腕の幹部筆頭に笑みを返し、右手を最近新調したピストルを持つ形にしてベルナルドを狙う。
「ベルナルド、今日から北に、マサチューセッちゅーのほう、あのマダム一家と難しいお話しに行く予定だったんでは?」
「ああ、それがね――」
ベルナルドは、彼もつい先刻まで外回りで汗をかいていた、と無言で物語る湿った長い髪を手でかきあげ、
「ついさっき、先方から急電が、ね。なんでも、欧州に予約していたブツが予定よりはやく、ボストンに到着してしまったそうで。それの受領のため、ヴェルサーチ一家の『ミカーサ』は出港。沖合でランデヴー、せどりだね」
「なるほど。そりゃ、ボストンまで行っても波止場で煙草すうしかすることないわねえ」
「そのとおりでございます。だから、こうして戻って報告……と思ったら、ね」
「ハハハ。まさか、俺とベルナルドが同じドタキャンとはね。でも、その流れですと」
「さすが、聡明なる我が君。――うん、あのヴェルサーチが、あの毒蠍が、あちらの都合でドタキャンとは珍しい、というか初めてだね。それだけ、欧州のブツは欲しかったわけだ」
「イイハナシダナー。ドン・バルトロが、あの奥サンが、自分たちの不手際を知らんふりするわけないもんな。つか、あの美魔女、借りを作るのが3度死ぬより嫌いだそうだから。次のベルナルドのボストン出張、ちっとは肩の荷が軽くなるんじゃないかな」
「そう。急電受け取ったときに、思わず指を鳴らしそうになったが耐えたよ。褒めてほしいね」
ベルナルドは、両の手のひらを天に向けて……いい顔で、笑う。
「よっしゃよっしゃ。褒めて使わす。褒美はなにがええかのう、言うてみい」
「もうご褒美は……もらってるさ」
ベルナルドは、うま味のある顔で悪徳中年頭領のまねをしていたジャンのほうへ、手を。
――カポの、昔なじみの……自分の弟分だったこともある男の髪に、顔に、手を。
「ん? ダーリン、まだ日が高いわよ。そういうのは子どもたちが寝てからにシマショ」
「ふふふ。白昼に、シャワーの前というのも。たまには気分が乗らない?」
同じジョークを交わした、二人の男が、笑い。
ベルナルドが出したシガーケースから、細巻きをつまみだしたジャンは、ライターで火も付けてもらったそれを……一服。
ベルナルドは、卓から大きな灰皿をスライドさせ、自分も同じ細巻きに火を付ける。
「まさか、ジャンも急な空き時間が発生、とはね。俺の褒美は、それで十分さ」
「ありがとちゃん。ベルナルドも、ほとんど寝ないままボストン行きの予定だっただろ? ま、今日はお互い、どか食いで栄養補給して寝落ちしようず」
「それも魅力的だね。……しかし、この天啓のような――」
ベルナルドが、何事か考えて天井に紫煙を揺らした、そこに。
会議室の扉が、ノックなしに開いて――
「……。……ん? なっ、ジャン? おまえどうして――ベルナルドまで」
「……? えっ、そういうアナタは」
「……うん? ルキーノじゃないか、あれ、たしか」
会議室の扉を開け、入ってきたのは――
ベルナルドと同じく、背が高い男。そしてこちらは、肩幅も、身幅も大きな筋肉質の男だった。
この汗ばむ陽気の中、汗じみなどまったく気にしないと豪語するかのような白を基調としたコンプレート姿で、上着を脱いで手に引っ掛けているせいで……シャツ、チョッキの金ボタンがやけに目立つ胸板と太い腕が、いやおうなしに目に入る……ライオンのような赤髪の、男。
――CR:5 幹部会 ルキーノ・グレゴレッティ。
彼は、突然現れた彼は。
「今日は、予定がめちゃくちゃになった俺だけしか居ない、と思っていたが――ベルナルドに、ジャンまで。ここはいつから、ハイスクールの校庭裏になったのやら」
「空気中にいきなり、イイ男粒子の濃度が濃くなったと思ったら、おめえか。な、ルキーノ=サン。おつかれさまです。……って、もしや?」
「ルキーノ、おまえはたしか……幹部候補生たちを集めて、懇親会という名前の合法的なシゴキをする予定だったはずだが。……まさか?」
「……ファンクーロ。ああ、この俺が――忙しいのに、明日まで時間を作ったというのに、な」
ルキーノは、ジャンとベルナルドの間に漂っていた、ぶどうとブランデーが共に天に昇るような香りの細巻きの煙に目を細めると、自分も煙草の箱を。紙巻きを出してくわえ、火を付ける。
「……カンパネッラ、あのばか。会場に向かう途中で、交通事故にな」
「えー。あいつに、あほの子に運転させちゃいかんでしょう。それはルキーノが悪いわ」
「カーヴォロ、ぬかせ。あいつ、あれで運転は上手いんだ。違う、あいつ、途中で事故っているカタギさんたちの車を助けてな。病院まで手配して、それは褒めてやるんだが……」
「それにしては、煙草の煙が目に染みている顔だな、ルキーノ」
「……ああ。あいつ、律儀に市警まで呼びやがって。……うちの車のナンバー、みんな市警に控えられているだろう? あいつ、「任意」で連れて行かれちまった」
「あらら。……でもねえ、カタギさんの難儀、ほっとけと言うのもねえ」
「しかも最悪なことに――市警に混じって、デイバンを内偵していた捜査局の連中まで出張って来てな。……なんと言ったか、ジャンにつきまとっているあいつら。よりによって、連中にカンパネッラ、連行されちまった」
「なに? ……面倒になるといけない、ジョバンニをすぐに、弁護に向かわせる」
「そうしてもらえると助かる。……まったく、おかげで懇親会は延期だ」
「……無期限延期にならないようにしねえと、な。……まあ、ロイドたちなら大丈夫だろ。……大丈夫かな。……いや、いろいろだめかな。……ジョシュアが居てくれてるなら平気かな、かな」
三人の男たちは、煙草を喫み――
「じゃあ。あれですか。まさか、ルキーノも明日まで、オフってこと?」
「そうなってしまうな。……も、って。まさか、ベルナルド、ジャンまで?」
「……どういう奇遇、というか。逆に、気味が悪くなってきたよ――また、何かの攻撃を受けているんじゃないかってね」
「まさかあ。……ないよね、ちがうよね? やめてくれよ……久々のオフだと思ったのに、そんなの泣くわ」
ルキーノが、しょんぼりしたカポになにか声をかけようと。そこに。
会議室の扉が、ノックなしに開いて――
「……コラァ! 兵隊は、モクやりたいときは喫煙室って何回…… って、あ?」
「あっイヴァン」
「驚いた、いきなりカチこまれて何事かと思ったら」
「イヴァン、おまえ。……おい、おまえいま、ニューヨークに――居るはず、いないとまずいだろ? どうして本部に」
男たちの声、そして困惑の視線が交差する。
カポの、ジャンよりは背丈は高いが。巨漢と長駆のルキーノ、ベルナルドと比べると長身な成人男性程度の男が。黒いスラックスに革靴、長袖のシャツに黒いカフス、そして黒い紐タイ。年長の老人に付き従うときの、従者のスタイルに身を包んでいたスマートな男が、短髪の男が。
――CR:5幹部会 イヴァン・フィオーレ。
彼は、突然現れた彼は。
会議室に集まっている男たち、彼の上司、カポであるジャン、そして同じく幹部のベルナルド、ルキーノに訝しそうに目を向け、そして。
「どういう集まりだよ、この三人は? おい、おいおい、今日は本部、兵隊しかいないはずだろ」
「ソウデスネ。そのはずでしたね。……って、イヴァン、おつかれ。ヴェスプッチ爺ちゃん、元気ー? っていうか俺たちより長生きするよね、あのじじい。絶対」
「元気もクソも。元気すぎて、くそっ、ファック」
イヴァンは、ズボンのポケットにねじ込んでいたソーダの小瓶を掴むと、プシと涼しげな音を立てて栓を抜き、その中身で喉を洗う。
「あの爺、自分の車と運転でニューヨークいく!とか。カヴァッリ会長に挨拶しに行くとかフカシやがって」
「うん。NYにいるカヴァッリ爺ちゃんとこに、ヴェスプッチ爺がアイサツがてらに難しい話をしに行くから。イヴァン、その護衛で――」
「おう、そのつもりだ! つもりだったよ! そうしたらあの因業爺、俺には、戦乙女でベントレーの排気ガス吸ってろデュフフ、とか抜かして。ベントレー飛ばしやがって」
ソーダで喉を鳴らすイヴァンを、男たちの目が……煙草で癒やされなかった渇望で、見る。
「あんのじょう、アンボイの橋、渡る前にベントレーはオーバーヒート。今日は暑いから、無理すんな、無茶やめろってあれほど! そもそも、英国車で長距離とか、仕事に使うとか。なんべん言っても、あの爺、聞き分けねえからこうなる」
「じゃあ、イヴァン。ヴェスプッチ殿は――ご無事なのか」
「ああ、無事も何も。仲間のクルマ呼んで、そいつに引っ張らせてベントレー、ガレージに入れてたさ。そのあいだ、いい年してずっとむくれてやがって。ニューヨーク行きは、ベントレーのラジエーターの部品が来て直ってからだな」
「それ、来年になりませんこと? あのベントレー、めっちゃ格好ヨシ、むちゃ速なんだがなあ。そっかー。天は三物くらいまでしかくれないかー。……イヴァンちゃんの戦乙女は?」
「ハッ、あいつが暑いくらいで潰れるかよ。しかも――爺のベントレー牽引したのが、あのフランケンシュタインの怪物爺のポルシェでよ、そっちもピンピンしてたからあの爺、ますますご機嫌斜め。笑うわ、こんなの。ファック、笑えねえ」
「……あのアルファロメオを未だに手放せない俺が言えた義理ではないが。……ヴェスプッチ顧問も、その。そろそろお年相応に、だね」
「まあ、ヴェスプッチ顧問の御身が無事で何よりだ。……カヴァッリ会長のほうには?」
「ああ、速攻で俺が電話でわび、いれた。おまえだけでも来い、って言われたがな――独居老人の湿っぽい話、聞かされる気分じゃなかったんでな」
「そっか、お嬢はもう上流サマ学校の寮だっけ。――ひどいなー、イヴァンちゃん。カヴァッリ爺ちゃん、会いたがってたんだべ。いいじゃん、たまにはサシで飲んできなよぅ」
「うっせえ。だからな――今度は、ヴェスプッチ爺がゴッサム行くときは、予定くんで。ジャン、おまえも行くんだぞ、ニューヨーク。カヴァッリ爺ちゃんにアイサツにな。どうせ、マンガーノ一家にもそろそろジャン、おまえが見舞いに行ったほうがいい頃合いだろ」
「えー、カポのこと売ったのね、ひどい。……ま、たしかに。あっちのビッグ・ボス爺ちゃんもなー。最近、温かいんでだいぶいいとは思うんだがなー」
遠く――とはいっても。
北に、ラリタン湾を挟んで十キロほどの距離にあるニョーヨークの摩天楼のことを思い、ジャンは二本めの細巻きを吸い切り、唇で紫煙を揺らめかせながら灰皿で火を消す。
「しっかし、まさかイヴァンまで……不測の事態とは、ね」
「……さっきも話したが、まさか――とは思うが」
「いちおう、警戒はしておいたほうがいいか」
「んー。この暑さまで『やつら』の仕込み? んー、でもまあ。頼みますわ、ベルナルド」
ジャンが、ちょいちょい、と指で誘って。
イヴァンの飲んでいたソーダの瓶を、半分ちょうだい、とねだった。そこに。
knock knock knok
会議室の扉が、礼儀正しいノックの音ののち、開いて――
「えっ」
「――失礼、します。……ああ、ジャンさん、こちらに……!」
「えっ、ジュリオ? え、ナンデ、どうしてジュリオまで」
「ジュリオ? どうなってんだ、こりゃ。まさか襲撃でも――」
「ジュリオ、おまえ、今日は屋敷で昼食会の予定と」
「ジャン、まさかジュリオをここに?」
「うんにゃ。そもそも俺、今日はドタキャン即ヒマで、ぼっち寝の予定でしたし」
男たちが、突然現れた男に――
やはり、背の高い男。ベルナルドに並ぶスマートな長身に、完璧に仕立てられたスーツ、否、礼服に身を包んだ。この暑さで、急いでここに馳せ参じた感を全身にまといながらも、汗一つかかず、髪もしっかりとまとまったままの男。
粋なコンプレート、スーツ姿で居ても……どこかヤクザが香る他の幹部たちとは違い、少女が夢見る世界の中から、うっかり三次元に突出してしまったような姿形の男。
もし、鉱物が、宝石が人間のような意思と知性を持ち、文明を築いた世界があるとしたら――そこにいる紫水晶の王子が、きっとこんな姿形のはずだ。
――CR:5幹部会 ジュリオ・ボンドーネ。
彼は、ノックとともに現れた彼は。
「……そ、その。すみません、ジャンさん、いきなり……」
カポを見つけ、その紫の瞳に歓喜と恍惚を浮かべていたジュリオは。
周囲の男たち、幹部会の仲間、そしてカポに詰められるような言葉と目を向けられて――スン、と身体が小さくなったかのようにうなだれる。
「その、ジャンさんが――急な予定の変更で、その、本部にお戻りなったと屋敷で聞いて、俺……。その、ジャンさんがお疲れでしょうし……あっ、その」
――まさか。それで。
――東海岸の財界、大物が賓客として招かれた昼食会をドタキャン?
そんな視線で照射されていたジュリオは、ハッと。
「――もちろん。ベルナルドたちも、突然のトラブルに見舞われている、との連絡も受けた。ジャンさんだけなら偶然の可能性もあるが――これが、何かの意思、陰謀によるものだった場合……ジャンさんの身に、万が一でも危険があってはならないと俺は判断した」
幹部たちに、氷のように冷たく雄弁になったジュリオに。
「たしかに。それは俺たちも話していたところだ」
「まあ、もしこれが――俺たちを集める、ジャンを狙うための陰謀だとしても。ジュリオがここにいるのなら……相手の目論見は失敗とイコールだが」
「でも、大丈夫なのかよ? 屋敷のパーティの主人がいきなり抜けてよ?」
「それは問題ない。ベレットたちに命令してある――」
「それならいいんだけど。でもさー、たしか。今日の、ジュゥウリィオオゥ、んちのパーティ、政治屋とか。あとドン・タルボットも来てたでしょ。へそ曲げたりシねえべかな」
自分の祖父の下手なものまねをしたカポに、ジュリオは叱られた犬のように。
「すみません、ジャン、さん……。勝手に動いてしまって――でも、その。あのパーティは、懇談は名目。実際は、その……」
目に見えない尻尾を、スラックスの足の間に隠れるくらいしおれさせたジュリオは、
「ボンドーネの財閥、もはや名目だけですが――慈善団体に切り分けたぶんの資産、その運営企業が来年、株式を上場します。本来、それを公開するのは年末の予定でしたが……あの会場で、「うっかり」流すようにとベレットに」
「あ、なーる。あー、あー、あー。そりゃ、主人が消えてもそれどころじゃありませんわ。逆に、ジュリオが見当たらないんで、お客人、腹のさぐりあいで誰が人やら狼やら、だろうな」
「……ジュリオらしい奥の手だが。話を聞くだけで、背中が寒いよ俺は。幾ら動くやら……」
「それなら、問題ないだろうが。……インサイダー取引を疑われると厄介だぞ」
「ハッ、それを取り締まるはずの連中も。その会場に居るんだろ、ジュリオ?」
意外と。立場も、立っていた、立っている世界も真逆に見えるのに――仕事の話になると不思議とスムーズなイヴァンとジュリオが、笑い声と小さな頷きで、事態を完全に把握する。
「ま。さすがジュリオ、ということで。ここに、俺たちがこうして……」
「あっ、ぜんぶ飲みやがった、このタコ」
「正直すまん」
ジャンは、カラになったソーダ瓶をイヴァンに返しながら。
「ここに。デキルスタイルの幹部会が揃い、ちっちゃくて可哀想なカポもいる。――この現状、今のところは……明日の昼くらいまでは、どこからも文句言われる筋合いはない、ということでおけ?」
「まあ、そうなるかな」
「ジョバンニがあの馬鹿を連れ帰ってくれたなら、まあ」
「俺は明日の昼は無理だぜ、朝に輸送のシノギがある」
「……俺は、ジャンさんがお命じになるのなら――」
部下たちの声を、両手のひらでまとめ、
ぱん! と叩いたジャンが。
「決まった。おまいら。今日の晩めしの予定は?」
「特に決めていないが。ふふふ、ひさしぶりにカポの悪い顔をみたよ」
「屋敷に戻ろうと思ったが。ここに居たほうがよさそうだな」
「ばんめしか。そのソーダのぶん、うまいもの食わせてもらうとするか」
「……その――」
ジャンは、手もみしながら。……だが、はたと。
「……アッ。まって。今日ってさ、厨房。料理長、休みの日じゃね?」
「……そういえば。たしか、そのはずだよジャン」
「……あの――」
「……やっべ。ちょ、てことは食料庫と冷蔵庫、空っぽじゃありませんこと?」
「……まあ、そうだろうな。フフ、ジャン、おまえ。また自分でなにかするつもりだったか」
「……うん。えー、ちょっとお男子ー。そういうのは先に言ってくれないと困るろ」
「……あの――」
「……なんだよ、浮かれていてこれかよ。まあ、酒と缶詰くらいはあるだろ」
「……さすがに、それじゃ寂しくありませんこと? ま、野郎どものメソメソパーティには――」
「……あの――」
三度目に、ようやく。ジュリオの、カポの袖を引くように声を細くしていたジュリオに、ジャンの、全員の目が向いた。
「どしたん、ジュリオ」
「……あの、勝手にしてしまって――すみません、ジャンさん」
「俺、ここに来る途中に。本部、今日の厨房は、誰も居ないと思い出して」
「デスヨネ。本来、俺たち誰もここに居ないはずでしたし」
「だから、俺。車から電話で、その。ジャンさんの召し上がるものを、と手配しておきました」
なにっ!? と。立ち話だが、男たちのケツから ガタッと椅子の動く音がした。
「でかした、ジュリオ! さすが、電話ついた車持ってる大大尽。グッボーイ!」
「ありがとう、ございます。その、勝手をしてしまって……」
「よっしゃよっしゃ。ういやつめ。さすが、神様がその手で、手がこなれてきた6日目の最後に造ったようなど美形なだけはあるわい。キャージュリオサーン」
「ハハハ、さすがというところか」
「いまから、車を出して市街の店を押さえても、な」
「ちょっと待てよ。あるのはジャンのぶんだけだろ、くいもの? 俺たちは――」
イヴァンの声に。
ジュリオは余裕の氷の顔で、指をすいと立てる。そこに。
knock knock knok knok
会議室の扉が、慎重で慇懃なノックの音ののち、開いて――
ガラゴロ、と。アルミ合金の大きな手押し車が、会議室に入ってくる。
?? となっている、ジュリオ以外の男たちの目に。
「――ドーモ。失礼いたします。ご注文の品、お届けにあがりました」
手押し車を押しているのは――
これも、背の高い男。そして、ひどく、不気味なほどにこの男が部屋の中で大きく見えるのは。男が、北洋の漁船で働く男たちのような、分厚いフード付きのヤッケを――この暑いのに、着込んでいるせいだった。
その男は、手袋した手を振ってカポにお辞儀すると。
「どーも。みなさん、おそろいで。あ、自分はいつもの仕事ではありませんのでご安心を」
手押し車を、男たちが見守るそこに押し出して。
ヤッケの男は、色付きの丸眼鏡の下の瞳を細くし、またお辞儀をする。
――CR:5契約『掃除屋』 ラグトリフ・フェルフーヘン。
「ありゃ。掃除屋=サン? どして、ん、ん? まさか、その車の中身は――」
「ラグトリフ、どうして……まさか」
「ひさしぶりだな、掃除屋。……ん。その氷の詰まった車は、まさか」
「オイオイオイ、おい。ジュリオ、まさか」
「すみません、ジャンさん。うちの屋敷の兵隊を呼ぼうかと思ったのですが、すぐに動けて、冷凍設備を持っている……となると、この男が。……独断で、使ってしまいましたが……」
「あー。そういう」
腕組みし、うなずきながら。
ジャンは、ニコニコしている掃除屋と低めのハイタッチをしてから。氷の詰まった手押し車の荷台を覗き込む。
「ラグトリフ、あんたがいろいろ買い出ししてきてくれたわけか」
「はい。ちょうどこちらの事務所に来ておりましたので。すぐにご用命いただけて、なによりでした。――とりあえずは、ドン・ボンドーネのご注文とお支払いでいろいろと、ええ」
「なるほどねー。って、ジュリオ、すまん、ごちになります」
「いえ、ジャンさんは近頃お疲れで……これくらいは」
「……ほう。氷の下に、でかいシイラが見えるぞ」
「ええ。魚市場はもう閉まっておりますので。顔見知りのレストランの厨房から買ってきました」
「この時期のシイラは最高だぞ。……それは、それとして、なあ掃除屋」
「……なあ。まさかと思うが。んなこと、ねえとは思うが」
「ああ。ご心配もごもっとも」
ラグトリフはほほ笑み、その手で荷代の氷をかき分けながら。
「問題ありません。この買い出しは、専用の――食品、食用氷を輸送する専用の冷凍車を使いました」
「……めちゃくちゃホッとしているカポがここにいる件について」
「あはは。以前、カポに『いつもの車』で凍らせた菓子を振る舞ってしまって、鉄パイプもって追いかけられましたので……きちんと、使い分けておりますよう」
――懐かしいハナシしやがって、この野郎。
ジャンは、満足そうに腕組みし。そして。
その両の手を、スポットライトが当たったかのように広げて――
「よっしゃ。食材も揃った。よーし、カポ。今日はひさびさに、包丁とフライパン握っちゃうぞー。最近、書類のペンとマスかきちんちんしか触ってなかったからなーウソ」
「……ジャンさん! そ、その、ジャンさんのご厚意に甘えてしまうようで……」
「ジャンも疲れているだろうに。大丈夫かい、誰か調理担当を――」
「ジャンの料理か、ひさしぶりだな。ハハハ、なんだかもう腹が減ってきたぞ」
「ちょっと俺、倉庫からビールのケース出してくるわ」
「デュフフ。盛り上がってまいりますた。……ラグさんや、ちなみに魚の下には?」
「はい、ラムの半身。あとチキンいくつか。ベーコン。卵のケース。チーズ、グレープフルーツ。野菜各種。あとは食用の氷が2ガロンほど」
「でかした。じゃあ……」
カポの手指が、ビシ、と。
会議室からの出口、扉を指さした。
「じゃあショクン、まずは……厨房、食堂ホールに移動しようか。あ、着替えとシャワーしたい子は先に済ましてきてね」
「いいね、俺も着替えさせてもらうよ、ジャン」
「しまったな、俺もシャワーしてからここに来れば面倒がなかったな」
「他の子はみんな脱いだよ。はやく。待ってるわよ、ルッキーニ」
「俺はこのままでいい。さっきシャツを換えたばっかりだ」
「……その、俺は……着替えたほうがいいですか、ジャンさん」
「ジュリオはそのままで。場がゴージャスになるオーラー力、よろ」
「では。自分は、この車を運び終わりましたら、失礼を。――車は、後日回収を」
「はあ? おまえはなにをいっているんだ」
ジャンは、会議室から男たちを追い出すようにして急かしながら。
ばん! と。掃除屋の、ヤッケの尻を平手でぶっ叩いた。
「ヤクザの根城まで来て、独りで戻れるとお思い? おまえも食うんだよ、カポの造った創作めしをな! 逃げるのは許るさん」
「それはそれは。恐ろしい。――光栄で身震いがしますよ」
深々と、掃除屋はお辞儀をすると。
絨毯の敷かれた通路を、ガラゴロ、手押し車を笑顔で押してゆく。
その周囲を歩く、コーサ・ノストラの男たち。
CR:5のカポと、幹部会の男たちは――
この日。どのような偶然か、あるいは運命か。
この場に揃い、集まった男たちは――
お祭りの屋台の周囲ではしゃぐ小児たちのような笑みと、歓声で。
廊下を行ってしまった。
-おしまい-
いいなと思ったら応援しよう!
もしよろしければサポートなどお願いいたします……!頂いたサポートは書けんときの起爆薬、牛丼やおにぎりにさせて頂き、奮起してお仕事を頑張る励みとさせて頂きます……!!