愛する息子のために夫はお父さんMASKになった
「僕、お父さんMASKになるわ」
真剣な眼差しで夫は私にそう告げた。
***
我が家の繊細息子は現在小学3年生。
学校に行かなくなってから、もう2年になる。
とにかく自分の湧き出た感情でしか動けない彼は、「やらされること」を極度に嫌がる。
例えば、「お母さんの絵を描いて」とお願いしても、自分が描きたいとその時思わなければ彼は描かない。
勉強然り。
何のために「勉強」をするのか、まだその意味を見いだせない彼は現在学習ゼロである。
不登校の初めの頃はそれはそれは色々試した。タブレット学習、公文、ドリル、学習アプリ・・・しかし、どれもこれも彼には響かなかった。
何かをやらされることがとにかく苦手なのだ。
苦手というより、無理なのだ。
自ら考え、やりたいことをやる。
何か夢中になることを見つけた時、彼はものすごいパワーを発揮する。
並々ならぬその集中力に、大人がついていけないほどだ。
逆に、やりたいことが見つからず、何をしていいのかわからない時、「僕は一体何をすればいいんだ!」と私の周りでそのアピールが始まり、もれなく私の舌打ちが止まらなくなる。
私は夫と夜な夜な話し合った。
何とかその時間を持て余しているところに、「学び」を取り入れられないだろうか。
「やらされている」感をとにかく嫌う彼に、どんな提案ができるだろう。
私たちは考えた。
そこで、夫があるアイデアを思いついた。
「僕、お父さんMASKになるわ」
息子の自らの「やりたい」を引き出すためには、「笑い」にもっていくのがいいのではないかと夫は考えた。
お父さんMASK
夫のつぶらな瞳がいつもより大きい。
夫は本気だ。
愛する息子のため、そして妻がもうこれ以上舌打ちしないように、夫は体を張る決意をしたのだった。
その日から、夫は仕事が終わるとお父さんMASKのMASK制作にとりかかり始めた。
MASKはMASKでもかなりのクオリティが求められる。なんせ、相手は一筋縄じゃいかねぇ息子なのだ。
段ボールとアクリル絵の具、折り紙を駆使し、何日かかけてMASKを完成させた。
多角的に組み合わせたような幾何学的なデザインは完全に息子好みだ。黒いアクリル絵の具を全体に塗り、おでこの辺りには赤いサングラスのようなかたちのものがアクセントでついている。鼻と目元サイドには、金色の菱形模様のキラキラしたパーツが配置されていて、左右にはMASKを固定するための紐が取り付けられている。
MASKをつけると夫のつぶらな瞳と口元だけが見える感じになった。
完璧だ。
このクオリティ。
ものづくりが得意な夫、さすがである。
次は、動画撮影だ。
夫の中でもうシナリオはできているらしい。
「ちょっと、準備してくる」
意味深な台詞を残し、夫は2階の寝室に消えて行った。
私の担当は、カメラマンだ。
失敗は許されないぞ。
しばらくして、夫が降りてきた。
真っ黒の全身タイツで。
顔にはMASKをつけていた。
記念すべきお父さんMASKの誕生である。
私の前をゆっくりと通り過ぎるお父さんMASK。
くるっと振り向き、スタンバイオッケーのようだ。
私は込み上げてくるものを必死に飲み込み、スマホを構えた。
さぁ、撮影だ撮影。
ポチっとスマホの録画ボタンを押す。
「やぁ、 Yくん。私は、お父さんMASKだ。Yくん、やることを探してるんだって?・・・・・・」
「あ、ごめん!次なんて言うのか出て来なくなっちゃった。もう1回!」
ダメだ。
登場した時からずっと我慢していたが、もうダメだ。笑っちゃいそう。
クオリティ高めのMASKに全身タイツの夫が一生懸命お父さんMASKを演じていて、NGを出してる。
ああ、ダメだ。震える。
耐えろ、私。
夫は今、お父さんMASKと真剣に向き合おうとしているのだ!
その後何回かtakeを重ね、お父さんMASKの撮影は無事に終了した。
ゆっくりマスクを外した全身タイツの夫は、再び寝室に消えて行った。
あの時の夫の背中を私は生涯忘れないだろう。
息子にこのお父さんMASKを披露する日はいつになるだろうか。
タイミングとしては、息子が「やることがない!」と言い出した時だ。
しかし、こういう時に限って、なかなかこのワードが出ない。
私の緊張は続いた。
数日が経過し、「その時」は突然やってきた。
「ひまだ!!!!何もやることがない!!」
今、なんと?
言いましたね?確かに、今、「やることがない」と、あなた、言いましたね?
お父さんMASK!出番です!
私は脳裏でお父さんMASKと頷き合った。
「Yくん、面白いものがあるんだけど、見てみる?」
私はパソコンを息子の前に用意した。
ちょっと警戒する息子。
動画が流れ出す。
足元からゆっくり映し出される全身タイツの謎の人物。
腕を組み、顔にはMASKをつけている。
カットは変わり、今度は上半身だけが映し出される。テーブルに肘をつき、両手の指を口元あたりで組んでいる。
「やぁ、 Yくん。私は、お父さんMASKだ。Yくん、やることを探してるんだって?ならば、お父さんMASKから3つのミッションを君に与えよう。
1、「カラスアゲハ」を調べて絵を描く。
2、「ザンビア」という国を調べて、そこに生息する動物を粘土で作る。
3、縦10㎝、横15㎝、奥行き25㎝におさまる車を作る。
この3つの中から1つを選んで、トライしてほしい。できるかな?今日1日で完成させて、仕事から帰ってきたお父さんに見せて欲しい。これが、お父さんMASKからの、、
ミッションだ!では、いい一日を!また会おう!」
シャキーン!(きめっ)
「お父さんMASKってなにー!ミッション?えー!どれにしよっかなーーーー」
息子はお腹を抱えて大笑いしながら、ウキウキでミッションを選び始めた。
作戦成功だ。
私は脳内で、お父さんMASKとハイタッチをした。
というのは私と夫の想像の中の話である。
実際は・・・
お父さんMASKを前に息子の顔はみるみるひきつり、ついには動画の途中で耳を両手で塞ぎダッシュでその場から逃亡してしまった。
この予想外の展開に私は混乱した。
「やだやだやだ!!!!!何これ!!!!お父さん?何なの?何何何???」
ソファの向こう側に隠れながらプチパニックな息子。
いきなりお父さんに似ているなんか怪しい(変な)人が、お父さんMASKとか言っていることにショックを受けたのだろうか。
そして、彼はこう叫んだ。
「なんで、勝手に僕の気に入ってる折り紙使うの!うわーーーーーーーーーーーん!(大泣き)」
まさかのクレーム。
折り紙というのは、マスクの鼻と目元サイドに使用した金色の菱形模様のキラキラしたアレである。
どうやら、息子のお気に入りだったようだ。
息子、文句の嵐である。
なんか、思ってたんとちゃう。
しかし、どう思うかは、彼の自由だ。
こっちがどんな思いでとか、きっと喜んでくれるだろうという期待は、しったこっちゃない。
でも、さすがに凹む。
夫が仕事で疲れて帰ってきた後、夜な夜な一生懸命MASKを作っていたことを知っているから。
どんな思いでお父さんMASKになってくれたかを知っているから。
どんな思いで、
どんな思いで、
全身タイツに!!!!
私は役目を果たし、寝室に消えていった夫の後ろ姿を思い出していた。
しばらくして、落ち着きを取り戻した息子が再びパソコンの前に座った。
「もっかいさっきの見せて」
私は「もちろん!!」とこたえ、もう一度息子の前でお父さんMASKの動画を再生した。
お父さんMASKからのメッセージ動画を、指の隙間から見ている。
どうやらまだ受け入れられないらしい。
そして、全部見終わった息子が言ったことは・・
「体がなってない」
お父さんMASKへのダメ出しだった。
「顔だけかっこつけといて、もうちょっと体にいってほしい。なに顔だけ豪華にしてさぁ、もっと体に装備つけてほしい」
彼は厳しい人間だ。
質素な真っ黒の全身タイツが許せなかったらしい。
そして次に口にしたのは・・
「お父さんMASKって、・・お父さんなんでしょ?」
なんと、正体を暴こうとしてきたのだ。
「えー!お母さんわかんなーい」
私はテヘペロな感じで誤魔化した。
そのおちゃらけた母の態度に息子は再び怒り出した。
「どう見ても家じゃん!どう見てもお父さんじゃん!!お父さんじゃなかったら侵入者じゃん!!だから、お父さんじゃん!!そうなんでしょ!?本当はお父さんなんでしょ!?ねぇ!!」
あーーーもう、うるせぇーーーーーーーーー!!!!
「そうですよ!お父さんですよ!どっからどーみても、お父さんですよ!!」
「なんで、大人はさぁ、本当はお父さんなのにお父さんMASKとかいって、すぐ子供を騙そうとするの?」
「なに言ってんだ!浪漫じゃん!浪漫だよ!!」
「浪漫て、、、何?わかんない!」
浪漫🟰夢や冒険への憧れを満たすもの
一体、私たちは何を揉めているんだろう。
脳内で全身タイツのお父さんMASKが私に微笑みかける。
『まあまあ、いいじゃないか。見てくれたのだから(にこっ)』
そして、挙げ句の果てに、彼は・・
「 MASK見せて。あのMASKがどうなってるのか気になる。どこにあるの?ここかな。どこ?2階?」
と、MASKの在処を家中探し出したのである。
そこから彼の質問が止まらない止まらない。
「お父さんMASKに終わりはないの?お父さんMASK次のミッションあるかな。今夜撮影するの?お母さんが撮影するの?こうやって?こんな風にして?」
息子よ、あなた、ノリノリじゃないか。
「お父さんMASK、次はどんな登場するのかなぁ。こっから、飛んでくるとか?」
お父さんMASKのハードルが上がっている。
しかし、息子よ、それが浪漫だ!浪漫というものだ!
お父さんMASK。
嗚呼、お父さんMASK。
我が家の愛しき繊細息子は、私たちの予想を遥かに超えてきたよ・・。
息子をどうにかして楽しませようとした私たちの作戦は、お父さんMASKのミッションよりも、お父さんMASKのダメ出しと、お父さんMASKはお父さんであると全力で私に認めさせることで終わった。
その夜、夫に一部始終を話すと、「Yくんらしいな」と静かに笑っていた。
あの日から、お父さんMASKは一度も息子の前に登場していない。
でも、私だけはお父さんMASKがいつでも出番を待っていることを知っている。
なぜなら、寝室のクローゼットの扉を開けると、上の棚からいつもMASKがこちらを見下ろしているからだ。
息子はまだMASKの在処を知らない。
それだけは断じて明かしてはならない。
お父さんMASKは、もしかすると存在するのではないかという「浪漫」を、息子の心の中に残しておきたいのだ。
お父さんMASKの「浪漫」はまだそこで生きている。
いつの日か、息子がお父さんMASKになる時がくるかもしれない。
その時は、お父さんMASKについて大いに語ろうじゃないか。
その日まで、このMASKは大切にしまっておくことにしよう。
