目的も理由もはっきりしないのに「休学」した
2024年9月
締め切り間近で「休学願」を郵送した
今でもその時の景色を鮮明に覚えている。
「私ほんとに休学するんだ」
まだ現実を受け止め切れないまま、封筒が手から離れた瞬間を。
同時に
自分の人生が突然停止したように感じられた
休学して何をするのか自分でもわからない
「目的」はないし
「理由」もまとまっていない
どんな感情も湧かず
「休学」という事実そのものだけが心の中に存在していた。
表向きの理由は「持病の悪化」
実際、持病は再燃した。
「もう限界、どうしたらいいの」
自分でも自分がわからなかった時に、
わざとかと思うタイミングで。
身体と心が繋がっていることを実感した瞬間だった。
しかし再燃は偶然起こっただけで
休学することになった本当の理由はもっと別にある気がした。
でも当時の私には説明できなかった、自分で自分のことがわからなくなっていたから。
再燃するより前から
「どうしたらいいのかわからない」という気持ちがずっとあった。
「わからない」をわかりたくて
解明しようとしても、
空回りしてしまって結局根本にはたどり着けない。
とにかく
今の自分には大学生活を続けられない、続けたら取り返しのつかないことになるかもしれない、それだけだった。
こんなはっきりしない理由で休学するなんて
許されないんじゃないかと思った。
「そんな休学は認めない、甘えだ、弱さだ」って誰かに言われるような気がした。
そうやって思ってるのは誰よりも自分自身だった。
今だから言えるけれど
「大学生活を続けられない」も立派な理由。
全てを綺麗に言語化する必要があるのだろうか。
言語として表に出てこない理由があってもいいと思う。
休んだり、立ち止まったりしようとすると
その都度理由や目的を求められる。
とりあえず建前の型にハマった理由を並べる、
するとハンコを押してもらえる。
でもそれでいいのかとモヤモヤした。
結局休学した原因を整理するのに
書類を提出してから1ヶ月くらいかかった。
いや、
休学中はずっとその原因を整理し続けているかもしれない。
休むことに胸を張る。休めることに感謝する。
申し訳ない、と思う必要ない。
自分の心を犠牲にして誰かのために頑張ってきた人こそ、頑張らない、を覚えて身につける。
そんな期間があってもいいんじゃないでしょうか。
