知恵
未来のためにできることは何だろう?
と考えた時に私が思い浮かべたのは祖父母の暮らしだった。
私は幼い頃、セメント工場で働き汗だくで帰ってくる祖父と1番風呂に入るのが楽しみだった。
大きな太い指で湯船のお湯を水鉄砲で私の顔にかけてきたり、湯船に浮かべたタオルに空気を入れ沈ませて私のお尻でブクブクを出しては
オナラしたなー
なんて言う祖父とのお風呂が大好きだった。
今思えば祖父は水を本当に無駄にしない知恵があった。
祖父は湯船のお湯を桶に一杯だけすくうと、その少しのお湯でタオルに石けんを泡立て、
私の体を洗ってくれた。
髪もそのお湯で洗い、二杯目のお湯で体と髪を流す。
そして最後に三杯目のお湯を桶にすくい、タオルを丁寧にすすぎ、ぎゅっと強く絞って私の体を拭いてくれた。
たった三杯の湯船のお湯だけで、お風呂は終わっていた。
次の日には、その残り湯は洗濯に使われ、
夏には私達姉妹が遊ぶ冷たい残り湯のプールになった。
祖母にも知恵があった。
ティッシュは一度で捨てない。使った部分を丁寧に折り、よく割烹着のポケットに入れていた。そして次に使う時に取り出して、残りの綺麗な部分を使っていた。
子どもの頃はそれを当たり前のように見ていた。
どうしてこんなに祖父母は、水や紙を無駄にしなかったのだろうと考えていた。
祖父から聞いた昔の話がある。
祖父が幼い頃は、水は井戸から汲んでくるのでとても大切な水だったそうだ。
食事のあと、お茶碗は毎回洗うのではなく、
お茶を注ぎ、たくあんで茶碗についたご飯粒をぬぐいながら飲み干して、最後は布で拭いて
伏せておき、次の食事でまた使っていたらしい。
今の私たちの生活からすると、少し不衛生で綺麗好きな人は驚いてしまう話だ。でもそこには、水を大切にする事と共に自然と共存するための知恵があったと思う。
便利すぎて今の生活はついつい洗剤や、水も物も使い過ぎてしまう。それが普通になってしまった。当たり前になってしまったのだ。
未来のためにできることは、難しいことばかりではないと思う、昔の祖父母の時代に生きていた人達が当たり前にしていたことなのだから。
蛇口を少し早く閉めること。まだ使える物を最後まで大切に使うこと。
その積み重ねが、未来の私達の暮らしや地球を守ることにつながるのではないかと、私は思う。

