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Riddim Saunterを『尽未来祭』で観た

Riddim Saunterが2025年11月の『尽未来祭』から、1年限定で活動を再開している。復活ライブ当日は子どもの習いごとがあったものの、タイムテーブルが発表されて「間に合う!」と気づいてから(子どもとの話し合いなどを経て)チケットを購入。仙台から新幹線に飛び乗り復活の瞬間を見届けることができた。あの日から3ヶ月もたって、ツアーやフジロックへの出演など発表されるほど時は過ぎているけれど、やっと「noteに書く」という宣言を果たそうと思う(忙しくて時間がなかった……)。

私はリディムが復活するとはまったく思っていなかった。個々の今が充実しているように見えていたし、過去に幾度も行ったインタビューや足を運んだライブなどから、揺るがない彼らの姿勢を知っていたから。だけど、彼らの楽曲はずっと聴き続けていた。“日本の音楽シーンは、もっとカッコよくなる。それを現在進行形で体感している”と思ったワクワクや普遍的な至福感がパッケージされた楽曲たちは、今でも日々を奮い立たせてくれる。

だから復活はうれしい驚きだった。ただ正直、ここ10年はバンドの大切な瞬間に立ち会うのをあきらめることが多い。シングルだし、ライブに行くためには子どもを含めた周りを巻き込まなければいけないから。ライブが仕事になったら気合いを入れて手順を踏むけれど、自分自身だけの希望を貫くほどの気力体力を絞り出すのは難しい。
だけど今回は、「行けるんじゃないか」と思えた。少しずつふたりでライブに行けるくらい子どもが成長してきた状況も背中を押した。そして、そう思ったとたんに『尽未来祭』の別日のレポートの依頼も飛び込んだ。気持ちって伝わるのかもしれない。

さて本題。ライブで観たリディムは変わっていなかったし、変わっていた。変わっていなかったのは、名曲の鮮やかさ。幕張メッセという巨大な会場の最後方でも(子どもがいたので安全な場所にいた)、しっかり届いたし、なんなら子どもに「恥ずかしい」と言われるほど踊った。座って聴いている人が多いエリアだったので子どもには申し訳なかったけれど、仕方がない、勝手に体が動いてしまうのだ。三つ子の魂百までってのもあると思うけれど、体って正直だから、メロディやビートが風化していたら踊れない。リディムの楽曲は、今もみずみずしかった。それを叶えるエモーションをメンバーが宿していた証拠だと思う。

また、グルーブも不動だった。長いこと離れていたんだもの、バンドにとっていちばん大切なグルーブは、いくら個々の演奏力が高まっていても、噛み合わないパターンだってある。しかもリディムの楽曲はダンサブルなものが多いから、グルーブは必須だ。でも、さすが一丸となって復活を決めただけあって、めちゃめちゃグルーヴィな演奏だった。

変わったところは、リディム以外の顔も垣間見えたところ。あの頃はリディムとイコールで繋がっていたメンバーたちだけれど、今はそれぞれ違った居場所を持っている。その顔がチラチラと覗くことで、表現に広がりや深みが出ていたように思う。あの頃の100%ピュアなリディムもよかったし、今だって彼らは“リディムのステージでは100%リディム”という気概で挑んでいるんだろうけれど、やっぱり私はその時々を正直に生きている彼らが好きだ。

そして、変わってないし変わった、どちらも併せ持っていたところは、ラストの新曲。「既存の曲に留まらない」という攻めの姿勢はリディムらしい一方で、曲調にはしっかり今のリディムが表れていたから。フェスの短い持ち時間のなかで、復活の意味や、自分たちのこれまでと今とこれからなど、あらゆる物語を描き切った彼らは、とてもクレバーだった。

それでいうと、BRAHMANの30周年を祝う『尽未来祭』での復活も彼ららしい物語だった。リディムは、脈々と続いてきた音楽やカルチャー、身近な仲間を大切にしながら、前に進むことを恐れないスタイルで、BRAHMANなどのバンドが90年代から築いてきたシーンを推し進めたと思う。だからこそ先輩たちに愛された。個人的には、バンドシーンに彼ら直系の後輩がもっと出てきてほしい気がする。この復活の1年で若いバンドが生まれないかな?

最後に音楽ファンとしての我儘も含めて付け加えるなら、解散や活動休止をしたバンドも、やれるならば、やりたいならば、それが復活のときだ。どうにも叶わなくなってしまうことだってあるんだから。ファンだって、観れなく、聴けなくなってしまうことだってある。だから、今はツアーなどで今のリディムを観れる1年間が訪れた幸福を楽しみ尽くしたい。

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