他人の輝きは4K画質|すごい人を見て落ち込む比較グセの正体
家族のことで専門医に会いました。
「30年この病気しか診てないんです。
発熱とか鼻水とかは…専門外です^^」
その潔さよ。
こんな風に振り切れると、
逆に揺るぎない自信を感じるから不思議。
それまで3つの大学病院で
数か月かけて検査しても
はっきり診断がつかなくて。
そんな時にようやく出会えた一筋の光。
診察も説明もテキパキしてるのに穏やか、
専門を極めたプロの中のプロって感じで。
「これで少し前進できる…!」
と、ものすごく安堵しました。
…のに、
帰り道で
じわじわ落ち込んできちゃったんです。
「すごいなぁ…それに比べてわたしは…」
あー、また始まった。
すごい人に会うと
自分が薄っぺらく感じてしまう。
家族のことに集中せんかーい🤚
と内心ツッコミつつも
せっかく軽くなりかけた不安が
ちがう形で顔を出してきました。
別に比べたくて比べてるわけじゃないのに、
頭の中で勝手に比較大会をはじめてくる。
で、一人で勝手に敗者になってるやつ。
病気の心配、
崩れる生活リズム、
今後の不安。
いろいろはっきりしないことが
思ってた以上に
気力を消耗してたみたいで。
疲れてる日、
迷っている日、
不安が積もっている日。
そんな風に消耗してるときって
相手の輪郭がやたらクッキリ見えちゃう。
同僚の成果がやたら優秀に映ったり、
SNSのキラキラが心をえぐってきたり。
自分もあんな風にすごい人だったら
きっともっと良い形で
家族を支えられるのに、って。
けど、どこかで思ったんですよね。
これって本当に比較なのかな?
比較っていうと、
AとBを見比べてジャッジするイメージ。
でも、比べる畑がちがいすぎて
相手を評価してる感じでもなかった。
もっとこう…
別のところが騒いでる感じだったんです。

で、歩きながらふと気づいたんです。
あ、これ人に落ち込まされたんじゃなくて
自分への期待が裏切られたからかも。
これがしっくりきたんですよね。
すごい人を見たときに落ち込むのって、
「自分もあそこに到達していたかった」
って、自分への期待が砕けたから。
つまり、比較の正体は——
まだ叶っていない自分への期待の残骸。
他人の活躍がまぶしいのは、
その未消化の願望が照らし出されるから。
落ち込んだ原因は、
相手でも、自分の才能不足でもなくて、
自分の未来像との衝突。
「進んでいない自分」と
向き合わされたから痛かったんです。
落ち込ませてきたのは世界じゃなくて、
自分が抱えていた期待の残骸でした。
この「期待の残骸」という視点で見直すと、
日常の風景がちょっと違って見えてきます。
たとえばSNSで活躍している人を見るとき。
以前:すごいなぁ……(→私はダメ)
今 :あ、これ「やってみたいこと」を
刺激してくるやつね。
同僚がめちゃテキパキ仕事してる時も。
以前:え、無理。私とは別の人種だわ。
今 :そっか、わたしの「伸ばしたい野心」が
ムズムズしてるんだな。
すごい人がまぶしいんじゃなくて
まぶしさを発生させてるのは、
自分の中の「まだ形になってない願望」のほう。
皮肉にも、
それを照らしてくるのが他人の実力。
だから、まわりの活躍がまぶしい日ほど、
実は、自分の願望がちゃんと生きてる証拠。
そう思うと、
比較ですり減ることが少なくなる。
むしろ、
「お、この願望まだ消えてなかったのね」
ちょっと面白く見られるようになった気がしています。
専門医のすごさには、今も尊敬しかないです。
家族の病気についてもやっと前に進みはじめて、
本当に感謝しています。
そして、もうひとつ分かったのは、
わたしを落ち込ませていたのは、
その専門医じゃなくて
わたし自身の期待のほうだったということ。
なんか皮肉^^;
けど、わかってよかった。
最近落ち込んだ時はありますか。
それは比較だった?
それとも___?

2026.04 リライトしました
