空を飛ぶダキニの、召喚
昨晩、ダキニの儀軌(カンドォ・デチェン・ギェルモ)を修していて1つ、気づいたことがありました。
(といっても大したことではないので、軽く読み流してください)
修行上の体験は口外しないのが基本ですが、これは体験ではありません。
この行のもつ役割のようなものです。
1年以上前、この行について私はnoteにこう記していました:
詳細は書けないのですがこの儀軌には、浄土から召喚したダキニの眷属たちが軽やかに歌い踊りながら私自身の体に宿る観想を行ないます。どんなダキニが体のどの場所に宿って・・・といったプロセスを経て、自分自身も清浄になり、智慧のダキニと化すのです。こういう楽しく華やかな描写は、ダキニ独特です。
当時の私はこう書いておきながら、その意味がよくわかっていませんでした。ただ儀軌の内容が不思議だなぁ・・・と思ったわけです。
それが昨晩、行をしていて気付いたのです。
ひょっとしてこの箇所は、憑依のパートなのか・・・!?
とっさに思い出したのは、我々の祖師、ギャルワ・ロンチェンパのある逸話です。
あるときツォク供養をしていたら、女性修行者の一人にダキニが憑依して踊りだした・・・という話。
それは大昔の逸話として片づけられていて、今ではそんな風にトランスする人は見たことありません。
しかしそれは、儀軌が理性(という戯論)でコントロールされているのです。寺院でトランスする人が続出したら、大変ですからね。
古代インドならともかく今の時代、実際に五肉や五甘露を用意することはないわけで、すべて模造品や象徴です。
とはいえ儀軌には小文字で、今もこう書かれるのです:
「歌い、踊れ」 と。
昨晩、法会で打ち鳴らす太鼓のビートに合わせながら、儀軌を歌のようにゆっくり唱えていたとき、やっとこの箇所は「そういう類の行」だと気づいたのです。
もともとダキニが絡む儀軌には、これが多い印象あります。
もちろん儀軌の目的はトランスではないので、それは誤解なきよう。
あと「憑依」という表現は、実際は正しくはないです。
この場合、上から何かが降りてくるのではなく、己の内側(もっといえば己の脈管・風・心滴の曼荼羅)から湧き出てくるものです。
さらに、この儀軌は夜や夜明け前といった、暗い時に行ずることが多いのも、何か関係あるのかもしれません。
空を飛行するダキニよ
ツォクの集いに降臨し給え
頭上に纏めたお団子が揺れる デム・セ・デム
三つ編みを飾る瓔珞は流星の如く タ・ラ・ラ
耳飾りの放つ閃光が キ・リ・リ
身体を飾る鈴の音が ト・ロ・ロ
でんでん太鼓と金剛鈴の音を響かせて
金剛の歌を歌い、舞踊しつつ
五欲を享受する供物を捧げん
三昧耶戒の違犯を懺悔せん
内・外の障害を法界にて解放させ
通常・最勝の悉地を与え給え
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