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未来は確定している

こんな事について、議論も反論も無しで行きたいのだけど、
例えば昨日食べた晩御飯は今から見れば既に決定されている。

もちろん、朝の時点では迷っていたかも知れない。
だけど結果としてはカレーを食べた。
他の可能性だってあったし、TVでパスタのCMがやっていれば
パスタになっていたかも知れない。
だけど結果としてはそうならなかった。

それはつまり、晩御飯はカレーと決まっていたと言える。
様々な可能性の事をパラレルと言いたいかも知れないし、
それももちろん間違いでは無い。
ただ、今の私達から見た時、結果は既に確定している。

「今」から見た時に未確定なのが未来で、確定済みなのが過去、
なんて言う狭い見識で話すような事でも無いのだけど、
それはつまり過去は確定しているのかと言えば、
その過去を認知出来る主体が消えてしまった時、
本当にあったと証明出来る存在がいないのだから、
それはあった事なのか無かった事なのか、
そもそもそんな事に思いすら馳せられない事が多い。

自身に繋がる血筋というのは確実にあって、それを辿れば
もうほとんどの人が兄弟と言えるだろう。
だけど果たして本当にそんな単純な話なのだろうか。

僕達はあくまでこの3次元の中で解釈し得る多次元解釈をしている。
言語化出来る範囲もクオリアについては不可能のように感じる。

つまりは非言語領域は自身で感知・経験するしか無いと言う事だ。
このように言葉にする媒体でこんな事を言ってしまうと循環参照みたいに
永遠に答えの出ない問いのようになってしまいそうだけど、
結局の所真実は手の届きそうで届かない所にあって、
だけどそれは実は自分の内側にあって。

そう、だから結局の所、非言語領域になって来る。

難しい話でも無いのだけど、感覚に寄り過ぎているわけでも無いのだけど
伝えようとしている事の一端を話すと、つまりは安心して欲しいと言う事。

もちろん、とんでも無く悪い事は起き得る。
惨めでどうしようもなく悲惨な未来だってあるだろう。

だけどそうしたものも全て、既に決まった未来としてあるものであれば
受け入れる事が全てに対する敬虔な態度になる。

必要以上の力を抜いて自然体で本当に自分とは何者なのか、
ここに一心に集中して問いかけ続けて、答えを得られる者とそうで無い者。

だけど結局の所、全ては大丈夫。
宇宙は、僕の言う宇宙は空に広がってるアレの事じゃないけれど、
最初から完璧だし、愛が根本にある。

だからどうか、あるがままを受け入れて、作為をせずに
ただ、そのままで。

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