感性が戻ってゆく
高野山の結縁灌頂(けちえんかんじょう)に参加させていただきました。
結縁灌頂とは、仏さまとご縁を繋いでいただく密教の儀式で、宗派を問わず一般的に公開されているものらしいのですが、ご縁あり今回参加することができました。
ここ一年くらいフルタイム勤務を始めたせいか常に疲れ切っていて、遠出が億劫になっていました。が、新幹線やバスなど乗り継ぎ、バスの中で眠りこけながらなんとか高野山まで行くことができました。ちょうどシャクナゲの花が満開で空も青く光が満ち、陽の光で木漏れ日が溢れ、そこかしこでお香の香りを感じ、天国に来たみたいだとうっとりしました。

得度されたいおりさんより、奥の院をご案内していただき、無量光院という宿坊に宿泊。こちらの宿坊の朝のお勤め(護摩焚き)に参加させていただきました。異世界に来たかのような幻想的で荘厳な世界。明かりは蝋燭と護摩焚きの炎だけなのか暗いけれども、それがまた神聖さを増す。僧侶の方々のお声が美しく響き渡り、炎の揺れと共に惹きつけられる。ひとつの舞台を観ているよう。こんなに美しい表現がアートの世界でない所にもあって、様々なものが想起され、それらが繋がっていく。想像が浮かんでは消えてゆくのでした。また、日本だけでなく、世界中の戦争や災害の犠牲になった人たちの供養を毎朝捧げている事にも驚き、自然と手を合わせ頭を下げずにはいられませんでした。

結縁灌頂の前に、「おねり」と言う僧侶たちの大行列?や読経等もあり、結縁灌頂中もずっと参加者の皆さんの真言が響き続け、身体の奥底に何か尊いものが染み込んでゆく感覚でした。目を閉じると、深い緑色の世界に文字のようなウネウネとしたものが沢山浮かんでいる世界に放り込まれた感覚。でも怖いとかなくて、ただただそんな感覚を味わっていました。

いろいろな方のお話を聞いたり、お話をさせていただいたり、お勤めや結縁灌頂を体験し、自分が多くのものを既に与えられている事を実感しました。表面的に頭では理解しているつもりでいて、ほんとうのほんとうに与えられているという事に全然気付いてないのだな、とまた改めて思い知らされた感じです。こういう事を何度も繰り返してるなあ。この繰り返しを螺旋階段のように登り続け、少しずつでも理解していけたら、と思います。
今回は久しぶりに写真を撮りたくなりました。もうずっと写真を撮っていなかった。他にも考えるべき事があるようにも思いますが、それよりも感性を取り戻す事が最優先なのかと、それが自分の一部なのだとも思った旅でもありました。

今回の機会をつくってくださった、じゅんこさん、いおりさん、ご一緒させていただきました皆さんに深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
