モジュラーシンセをやめた日。
うちのスタジオから、モジュラーシンセがなくなった。
正確に言うと、なくした。
さらに正確に言うと、潔いほど売り切った。
あんなにバカみたいに集めていたのに。
いや、「バカみたいに」は失礼かもしれない。
たぶん、かなり真剣なバカだった。
思えば、きっかけは10年ほど前。
日本人なら誰でも知っている、とある企業のCMソング案件だった。
当時の僕は、ギターを主体にしたオーガニックなポップスを得意としていた。
少し洒落ていて、少し温度があって、広告映像の中でちょうどよく空気になるような音楽。
ありがたいことに、一部の映像監督さんからは贔屓にしてもらっていた。
「こういう感じなら、MIDIBOYさんだよね」と言ってもらえることもあった。
もちろん職業作曲家なので、どんなジャンルにも対応できる。
対応できる、はずだった。
ただ、テクノだけは別だった。
その案件で求められたのは、とても個性的なテクノだった。
リファレンス曲を何度も聴いた。
けれど、どうしても近づけない。
電子的なのに、どこか生々しい。
機械なのに、どこか呼吸している。
冷たいはずなのに、なぜか湿度がある。
どうやって作るんだろう。
当時からAbleton LiveもPushも使っていた。
でも、僕が使っていたのは、ほとんど普通のDAWとしてのLiveだった。
横に流れるアレンジメントビューに音を並べていく。
つまり、Ableton Liveを使いながら、気持ちはかなり昭和のMTRだった。
藁にもすがる思いでNative InstrumentsのMaschineも買った。
テンプレートを開いた。
それっぽい音は鳴った。
でも、それは「それっぽい」だけだった。
自分の音にはならなかった。
度重なる修正の末、その案件はクビになった。
今思えば、初めての大きな挫折だったかもしれない。
職業作曲家として、自分の引き出しの少なさを、かなり強めに突きつけられた。
しばらく少し鬱っぽくなって、あてもなく車で走る日々が続いた。
北海道の道は広い。
落ち込んだ人間をどこまでも運んでくれる。
ただし、答えまでは運んでくれない。
それでも、頭の中ではずっとテクノのことばかり考えていた。
何が違うんだろう。
なぜ、あの音は生きているように聴こえるんだろう。
なぜ、僕の打ち込みはこんなにきちんと死んでいるんだろう。
そんなとき、Instagramで電子音楽系の動画を眺めていて、ふとモジュラーシンセの動画に目が止まった。
医療機器みたいな無骨な見た目。
意味のわからない穴。
意味のわからないケーブル。
意味のわからない金額。
なのに、そこから出てくる音は妙にオーガニックだった。
ピチャピチャと水のような音。
ジュワッと揚げもののような音。
生き物の鳴き声みたいな音。
機械のくせに、やたら生命力がある。
これだ、と思った。
そこから僕のモジュラーシンセライフが始まった。
Clockfaceさんに「こういう音を出したいんです」と動画を送ると、とても親身にアドバイスをいただいた。
あのオーガニックさはフィルターの仕業なのか。
レゾナンスを自己発振させて、トリガーで叩くとピンギングという音が出るのか。
ローパスゲートというものがあるのか。
モジュレーションとは、つまり音に対する悪ふざけなのか。
教えてもらうたびに、世界が広がった。
そして、財布は薄くなった。
見事に沼にはまった。
ビックリマンチョコのシールを集める子どものように、モジュールを買い漁った。
しかもビックリマンと違って、チョコがついてこない。
ついてくるのはリボンケーブルと、少しの不安だけだ。
ケースも増えた。
ケーブルも増えた。
電源容量という、人生で考えなくてもよかったことまで考えるようになった。
「あと2HPあれば入るのに」
という、普通の人には一生訪れない苦悩にも出会った。
でも、日々パッチングを繰り返す中で、僕は大事なことに気づいた。
今まで自分は、グリッドに縛られていたのだ。
BPM。
小節。
拍。
音符。
クォンタイズ。
もちろん、それらは音楽を作る上で大切なものだ。
でも、僕はいつの間にか、そこから外れることを怖がっていた。
モジュラーシンセにもクロックモジュールはある。
きっちり同期させることもできる。
でも、あえて発音タイミングがランダムに揺れるパッチを組んだとき、僕は初めて思った。
ああ、この不安定さこそが、テクノの肝だったのかもしれない。
完全に揃っているから気持ちいいのではない。
ほんの少しズレるから、身体が反応する。
規則の中に、予測不能なものが混ざるから、音が急に生きはじめる。
それに気づいてから、自分の音楽は明らかに変わった。
クォンタイズされたドラムに、ランダムに揺れるパーカッシブノイズを少し足すだけで、曲の景色が変わった。
たったそれだけで、自分の音楽センスが一段上がったような気がした。
もちろん、気がしただけかもしれない。
でも、作曲家にとって「気がする」はけっこう大事だ。
それでもう一案件の請求書まで書けることがある。
そこから数年、僕はDAWの制作にモジュラーシンセの要素を軽く取り入れるようになった。
曲の中に、少しだけ不確定な音を入れる。
整ったトラックの中に、少しだけ野生を放つ。
それは、自分の中で新しい武器になった。
でも、時代も自分も少しずつ変わっていった。
まず大きかったのは、Spliceの台頭だ。
これは完全に理性との戦いだった。
大変なパッチング。
DAWとの同期。
録音。
取り込み。
編集。
ノイズ処理。
レベル合わせ。
それらを乗り越えてようやく得られるグリッチやパーカッションが、Spliceなら数秒で見つかる。
しかも、うまい。
音がいい。
今っぽい。
悔しい。
とても悔しい。
自分で作らない背徳感は、もちろんあった。
でも、その背徳感を覆うほど、手頃で使える音がそこにあった。
人間は弱い。
特に締切前の作曲家は、かなり弱いのだ。
次にわかったのは、自分がマシンパフォーマンスに向いていない、ということだった。
モジュラーシンセを手にしてから、僕は数々のハードウェアを集めてきた。
そして当然、夢を見る。
マシンライブ。
暗いフロア。
点滅するLED。
手元だけで展開していく音楽。
酒を片手に、淡々とノブを回す自分。
かっこいい。
かなりかっこいい。
脳内では完全にベルリンだった。
でも、実際にやってみると、僕の心の中はベルリンではなかった。
ほぼ通勤ラッシュの地下鉄南北線だった。
焦る。
とにかく焦る。
いい音が出た。
気持ちいい。
でも、次はどうする。
このまま長いか。
飽きられてないか。
展開しなきゃ。
あ、ケーブル抜けたらどうしよう。
今の音、二度と出ないぞ。
ていうか、今どこだ。
音楽に没頭するどころか、自分の脳内アシスタントディレクターがずっと巻きの指示を出してくる。
「次の展開お願いします」
「そろそろ変化ください」
「このままだと尺が持ちません」
自分が楽しめていない。
それなら聴いている人も、きっと楽しくない。
そんな気がしてしまった。
そして、もうひとつ大きかったのは、自分の音楽性にあらためて気づいたことだ。
僕は、和声に基づいた「曲」としての音楽が好きなのだと思う。
メロディがあって、コードがあって、展開があって、タイトルがつく。
あとで誰かがふと口ずさめる。
そういう音楽を作ることに、やっぱり強く惹かれている。
もちろん、モジュラーシンセでもコードは鳴らせる。
美しい和音も作れる。
でも、自分の場合は、目的のコードにたどり着くまでに時間がかかってしまう。
鳴らしたいコードがある。
でも、その前にパッチを組まなければならない。
電圧を整え、スケールを合わせ、チューニングを確認し、発音を制御し、ようやく鳴る。
その過程自体がモジュラーシンセの醍醐味なのは間違いない。
ただ、自分にとっては、そこがピークになってしまうことが多かった。
鳴った。
すごい。
できた。
満足。
その先に、曲として組み上げる自分がなかなか出てこない。
僕は、出せた音そのものよりも、その音を使ってどう曲にするかの方に興味があるのだと思う。
一夜限りの、その場でしか聴けない音楽にも強烈な魅力はある。
でも、自分はやっぱり、タイトルを付けて、形として残る曲を作りたい。
誰かがあとで聴き返せる曲。
時間が経っても残る曲。
「この曲、昔よく聴いたな」と思ってもらえる曲。
そういうものを作りたい。
もちろん、モジュラーシンセでもそれは可能だ。
実際に、素晴らしい作品を作っている人はたくさんいる。
ただ、自分にとっては、その費用対効果が見えなくなっていった。
いつの間にか、興味は演奏するハードシンセへ移っていった。
Prophet、Oberheim、Moog。
鍵盤を押せば、音程が出る。
コードを弾けば、和声になる。
当たり前のことなのに、モジュラーを通ったあとだと、それがやたら尊く感じる。
鍵盤ってすごい。
文明ってすごい。
西洋音楽、だいぶ便利。
でも、モジュラーシンセをやっていた時間が無駄だったとは、まったく思わない。
むしろ、あれは人生観を変える体験だった。
テクノの本質を少しだけ教えてくれた。
音楽がグリッドの上だけにあるわけではないことを教えてくれた。
音は、揺れていい。
ズレていい。
制御できなくてもいい。
むしろ、制御しきれないものの中に、生命感が宿ることもある。
それを知ったことは、自分にとってとても大きかった。
モジュラーシンセをきっかけに、新しい仕事も増えた。
新しい仲間にも出会えた。
自分の音楽の引き出しも確実に増えた。
何より、あのとき挫折してよかったのだと思う。
クビになった案件は、当時の自分にはかなり苦しかった。
でも、あの悔しさがなければ、僕は今でも「それっぽいおしゃれポップス」の中で、そこそこ器用にやっていたのかもしれない。
もちろん、それはそれで悪くない。
でも、自分の知らない音に嫉妬して、自分の知らない機材に手を伸ばして、自分の知らない場所まで迷い込んだ時間は、たぶん必要だった。
ケースもないまま、初めてのモジュールを手にしたあの日のことを覚えている。
何をどうつなげばいいのかも、ほとんどわかっていなかった。
でも、あのとき確かに思った。
自分は変わろう。
あれは単なる機材購入ではなかった。
ちょっと大げさに言えば、自分への宣戦布告だった。
今、スタジオからモジュラーシンセはなくなった。
ラックもない。
モジュールもない。
もう、あのLEDの点滅を眺めながら、電圧の機嫌をうかがうこともない。
でも、パッチケーブルだけは残してある。
使う予定はない。
たぶん、もう何かにつなぐこともない。
それでも捨てられない。
あのケーブルは、過去の自分と今の自分をつないでいる。
挫折して、迷って、沼にはまって、少しだけ変われた自分の証拠みたいなものだ。
モジュラーシンセをやめた日。
それは、何かを諦めた日ではなかった。
音に迷った自分が、ようやく自分の音楽に戻ってきた日だった。
だから、パッチケーブルだけは死ぬまで残しておこうと思う。
いつか自分がいなくなったあと、誰かがそれを見つけて、
「なんだこのカラフルなヒモは」
と思うかもしれない。
そのときは、こう伝わってくれたらいい。
これは、ただのケーブルじゃない。
一度音楽に負けた人間が、もう一度音楽に戻るために使った、命綱だったのだ。
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