光を吸い込み、跳ね返すまで。〜真夏のフィレンツェから、250年前の象嵌細工に琥珀色の命を吹き込む日〜

Buonasera a tutti! (みなさん、こんばんは!)
フィレンツェの家具修復士のみっちーです。
イタリアは初夏のみずみずしい気配を感じたのも束の間、早くも街全体を包み込むような毎日の猛暑が続いています。ギラギラとした強い光がフィレンツェの古い街並みをジリジリと照らし、工房へ向かうわずかな道のりだけでも汗がにじむほど。
こちらの学校はすでに長〜い夏休みに入っているので、街中を歩いていると、微笑ましい光景によく出会います。バカンス前のこの時期、共働きの子育て世代に代わっておじいちゃんやおばあちゃんが、小さなお孫さんの手を引いてジェラートを食べていたり、広場でのんびりお喋りをしていたり。
街全体の会話も、今はどこに行っても「今年のバカンスはどこに行くの?」という話題でもちきりです。イタリア人はとにかく海が大好きなので、やっぱり一番人気は海辺のパラソルの下で過ごす時間。みんな、頭の中はもう半分海に浸かっているような、独特のソワソワとした、でも幸福な熱気がフィレンツェを包み、本格的なバカンスシーズンの始まりを告げています。
私は普段、午前中の涼しい時間帯に工房で集中して仕事をしているのですが、じわじわと室温が上がる昼頃に仕事を切り上げ、自宅に戻る頃にはもう、暑さでぐったり(笑)。正直、これだけ毎日暑いと、お家での料理も「一歩も火に近づきたくないわ」なんて思ってしまいますよね(笑)。
そんな我が家の最近の食卓を救ってくれているのが、トスカーナの夏の定番家庭料理「パンツァネッラ(Panzanella)」です。

冷たく冷やしたパンツァネッラです。
固くなったパンを水でふやかしてぎゅっと絞り、もぎたての熟したトマト、シャキシャキのきゅうり、赤玉ねぎ、そしてベランダのバジルをちぎって、たっぷりのオリーブオイルとバルサミコビネガー、塩と胡椒で和えるだけの、とってもシンプルなサラダ。火を一切使わずに作れて、酸味が効いていて、一日の終わりにほてった身体をすーっと冷ましてくれる最高の相棒です。
冷たい夕食を楽しみに猛暑の午後をやり過ごし、涼しい朝が来ると、私はまた新鮮な気持ちで、先週のあの「宿題」の続きへと向かいます。
そう、先週の記事で汚れを剥離した途端に、過去の雑で下手くそな修復跡が露わになってしまった、あの250年前のアンティーク・テーブルです。今週はいよいよ、不器用な過去のパテを優しく解きほぐした木肌に向き合い、美しく完成するまでの息遣いをお届けします。
今回の修復エピソードもラジオ(stand.fm)でお話ししています。タンポーネを滑らせる私の手元の音やニスの匂い、そしてこの手仕事に込めたリアルな臨場感を、ぜひ私の「生の声」でも受け取っていただけたら幸いです。
第一章:開いた木肌を守る、二度目のパテ埋め
先週の作業(古い不器用なパテを細いノミや適切な溶剤で優しく解きほぐす工程)を終えた天板。今週はまず、全体を一度軽く磨いてから、「二度目のパテ埋め」を施すところからスタートしました。

職人の繊細な手元の見つめ直し。

ここで「磨いてからパテ埋めを行う」のには、修復士としての一歩も譲れない大切な理由があります。それは、天板の木肌にある開いた導管(Poli di legno:木の気孔)の中に、余計なパテが入り込んで木目を殺してしまわないようにするため。
一度木肌の表面を磨いて滑らかに整えておくことで、パテは埋めるべき傷や欠けた部分だけにピタッと収まり、健全な木肌の美しさをそのまま守ることができるのです。この目に見えない一手間が、後々の仕上がりの透明感を大きく左右します。
第二章:小筆で紡ぐ、木目との対話(Ritocchi)
埋めたパテがしっかりと乾燥したら、余分なパテをきれいに削り落として表面を調えます。しかし、この段階ではパテの色が周囲の古い木肌から浮いて見えてしまいます。
ここからが、私の大好きな「Ritocchi(色合わせ・補色)」の作業です。

パレットの上で何色ものステインを調合し、250年の歳月が作り出した木肌の絶妙なグラデーションを小筆の先で再現していきます。一本一本の木目を繋ぎ、過去の傷をカモフラージュするのではなく、周囲の健全な木肌と「美しい調和」を結ばせていく時間。
このRitocchiを終えたら、色を完全に定着させるために、丸一日じっくりと乾燥の時間をとります。焦って次の工程に進むと、せっかくの美しい色が流れてしまうからです。職人の仕事は、常に木が求める時間との根比べでもあります。
第三章:スチールウールで施す、目に見えないフラット処理
Ritocchiを終えて一日が経ち、いよいよタンポーネ(フレンチポリッシュ用の布製の道具)を使った本格的な磨き上げの工程が始まります。ですが、その前に、私の手元にはもう一つの欠かせない相棒が登場します。
それが「LANA d'acciaio(スチールウール)」です。


表面のなめらかさを追求します。
工房の中でどんなに気をつけて静かに作業をしていても、空気に触れてニスを重ねる間、どうしても目に見えないほどの微細な埃が木肌に一緒に磨き込まれてしまいます。そのまま塗り重ねると、表面がわずかにザラついてしまうのです。
だからこそ、このスチールウールを優しく天板に滑らせ、表面の埃や微細な凹凸を優しく取り除き、触れたときに思わずハッとするような「すべすべ」の肌触りへとリセットしてあげます。タンポーネを滑らせるための最高のランウェイを、ここで完璧に仕立てるのです。
第四章:極上の琥珀色を宿す、Lucidatura a specchio
さあ、下地が完全にフラットに調ったら、ここからは今週のクライマックス。私の得意技でもある「Lucidatura a specchio(鏡面磨き)」を施していきます!
タンポーネに数滴のアルコールと最高品質のシェラックニスを含ませ、天板の上で円を描くように、流れるように何度も、何度も滑らせていきます。力を入れすぎず、かといって弱すぎず、ニスの膜が均一に重なっていく感触を手先で感じ取りながら。
みなさん、ピッカピカ感、画面越しに伝わっていますでしょうか……?

跳ね返すような極上の艶が姿を現しました。

見事な鏡面仕上がりです。
何層もの薄いニスの層が木肌の内側に光を吸い込み、精度高く鏡のように跳ね返す。先週まであれほどくすんでいた蔓草模様の象嵌細工(Intarsio)が、まるで水を得た魚のように鮮やかに、そして深く息を吹き返しました。
最後に、トップのヘッダーに載せた「修復前」の姿を、もう一度ここでお披露目させてください。これだけ傷んでいたテーブルが、職人の手仕事を経て、ここまで誇り高く蘇りました。


不器用な過去の傷跡や間違ったパテを責めるのではなく、優しく解きほぐし、新しいパテとRitocchiで調和を与え、タンポーネで何度も何度も磨き上げる。そうして生まれた琥珀色の「艶(パティナ)」は、真っ新な新品には絶対に出せない、この世界で唯一無二のストーリーそのものです。
今週末のラインナップ
今週末のnoteでは、ちょっと笑える出会いの秘話と、この「完成を迎えたテーブル」の磨き上げのリアルを起点に、人生哲学の物語へと繋げていきます。
明日・土曜日:【蔵出し裏話】
金曜日の家具修復のお話からさらに一歩踏み込んで、今週は特別なエピソードをお届けします!実は、私が夫の工房に「初めて呼ばれて、仕事をもらった」きっかけこそ、本日ご紹介した私の得意技『Lucidatura a specchio(鏡面磨き)』でした。夫にはできないこの技術が、どのようにして二人の職人の未来を繋いだのか。ちょっと甘酸っぱくて緊張感に満ちた、すべての始まりの裏話をコミカルかつ温かく綴ります。
日曜日:【人生哲学】
金曜日のこの磨き上げのプロセスから、さらに一歩深く潜ります。真夏の猛暑のなか、汗だくになりながら状態を確認し、何時間もタンポンをくるくる動かしてニスの層を少しずつ重ねていく。決して結果を急いではいけないフレンチポリッシュのリアルを起点に、世間のスピードに追われて「早く成果を出さなきゃ」と焦るあなたの心を優しくほぐす、大人のための心の調律をお届けします。
私の仕事場、フィレンツェの工房の作業台の隣へ、今週末もどうぞ遊びにいらしてくださいね。
エピローグ
初夏を感じたのも束の間、真夏のような暑さがやってきたフィレンツェの我が家。庭の片隅では、ギラギラとした太陽の熱気にも負けず、頑張って大輪の花を咲かせている紫陽花が、凛とした姿で私を迎えてくれています。
明日からは、完成したこの美しいテーブルをお客様へ送り出す準備、と言いたいところなのですが、実はお客様はすでにバカンスに出かけてしまわれていて、引き渡しは7月中旬以降になりそうです。それまでは、この琥珀色の艶を工房で大切に見守りながら、次は夫が私の不在中に製作したお客様の注文家具の塗装作業が待っています。
思い通りにいかない切なさも、完璧になれない不器用さも、すべてを丁寧に磨き上げていけば、いつか必ず美しい「艶」に変わる。天板にクッキリと映り込む真夏のまぶしい太陽の光を見つめながら、静かに筆を置きます。
今日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
Buon fine settimana! (素敵な週末をお過ごしくださいね!)
フィレンツェの工房より、感謝を込めて。
みっちー
