【創作童話】勇太が金魚に乗った夜
ぼくの名前は森勇太。小学五年の十一才。
友達は犬や猫やハムスターとかを飼っていたりしてるけど、ぼくの家には金魚がいた。去年の夏のお祭りで、金魚すくいを初めてやって、その時すくった中の一匹だ。三匹とって、二匹はすぐに死んだ。ぼくは残りの一匹に、願いをこめて名前をつけてやった。
それがデカブイだ。
三匹の中で一番大きかったし、おでこの上に白いもようがあって、それが勝利のVサインに見えたからだ。
金魚がペットだって言うと、友達はみんな「ふーん」とつまらなそうな顔をするけれど、ひとりっこのぼくには、なんだか家族が増えたみたいで、毎日がすごく楽しかった。
学校から帰ると、ぼくは必ず水そうをのぞき、おやつのエサをパラパラまいてやる。
デカブイの食欲はものすごい。家に来たときは、ほんの三センチくらいだったのに、たった一年で丸太みたいに太って、もう十センチにはなっていた。
「勇太、知ってるか? 金魚ってなあ、いくらでもでかくなるんだ。食えば食うほど、長生きすればするほど、ドンドン育っていくんだぜ!」
鎌倉のおじさんが遊びに来た時、そんなことを言った。
「ええ? 本当かなあ?」
「ばかだなあ、勇太。うそだと思うなら水そうをもっとでかくしてみなよ。あっという間に二倍にはなるだろうな」
「うわあ、すっげー!」
ぼくはおもわず想像した。まっかなうろこをギラギラさせてゆうゆうと泳ぐ、マグロみたいなデカブイを。
「まてよ、そうなると、水そうだって水族館にあるサメ用のやつくらいは必要だよね。ようし、お年玉をためまくって、それをドーンとぼくの部屋の半分においてやるんだ。ペットショップの水草を全部買いしめて、デカブイのために最高のすみかを作ってやる!」
ぼくの夢はかぎりなく広がっていった。
夏休みに入ってからは、サッカーの練習から帰ると、まずシャワーを浴びて、それからえさをやるのがぼくの日課になった。
「おまえ、もうすぐおまえ二才だな」
いつものようにえさをやろうと水そうをのぞいたぼくは、おやっと思った。
デカブイの様子がなんだかおかしい。ぼくが手をたたいて合図をすると、いつもなら大喜びでパホパホいって口をあけるのに、水の底でじっとしていて動かない。
次の日も次の日も、デカブイはえさを食べなかった。ピンと張っていたはずのオレンジ色の背びれも、ペッタリ背中にくっついてしまい、ぼくがのぞいた時だけいっしゅんフワッと持ち上がるだけ。
そのうちにデカブイの体はユラアリ倒れそうになってきた。見ていると胸が苦しくてたまらなくなった。
デカブイが死ぬ?
「デカブイ! そんなの絶対だめだ!」
いったい何がいけなかったんだろう。二階にかけ上がり、本だなから “金魚の飼い方ハンドブック”を引っぱり出して見てみたけど、ぜんぜんわからない。
「この前かえた水が合わなかったのかな。かわいそうだけど、もうだめかもね」
水そうの前で、おかあさんが暗い顔をしてぼくをふりかえる。ぼくは悔しくてくちびるをかんだ。
「そうだ。お寺の池に放してくれば? あそこならコイもいるし、金魚も住めるかもしれないじゃない。デカブイももしかしたら元気になるかもしれないよ」
「バカいうなよ、あんなとこ! 金魚とコイは違うんだ」
思わず叫んだぼくだったけど、だからといってデカブイを助けてやれる自信なんてない。
そうだな・・もしかして、あそこなら・・・。
苦しそうにユラユラしているデカブイを見ているうちに、もうそれしかないように思えてきた。
このまま放っておくことなんかできない。
だって何もしなければ、もしかしたら明日の朝には、ポッカリとお腹を出して水面に浮かんでいるかもしれなかったんだ。
ぼくはおかあさんに一番大きなシチューなべをかりて、デカブイをそっと移した。銀色のなべの底で、色あせたデカブイは今にも倒れてしまいそうだ。
「がんばれ! がんばれ! がんばれ!」
ぼくは声をかけながら、水が揺れないように、そっとなべをかかえてお寺まで早足で行った。
池はくもり空を映して、なんだか不気味な緑色だった。池のふちに立って、ぼくは急に不安になった。
突然、デカブイがフーッと横にたおれた。ぼくは背中をゾクッとさせた。
だめだ! 迷ってる時間なんてないぞ。
ぼくはなべごと池につっこんで、デカブイが出るのを待ってやった。
「たのむぞ、池の水。デカブイを直してくれ!」
やがてデカブイはユラリとなべから顔を出すと、スーッと深い池の底に落ちていった。
「さよなら、デカブイ」
涙が目のすぐ近くまで上がってきたけど、ぼくは泣かなかった。だって、
デカブイは絶対に死なない。いつかコイよりも大きくなって、このお寺の名物金魚になるんだ!
その日の夕方から雨が降りはじめて、晩ごはんの時にはすごいどしゃぶりになった。
「すごいぞ、勇太! 排水溝から水がわき出てるんだ。道路が湖になってるよ」
会社から帰ってきたおとうさんが、頭をタオルでふきながら、ソファーにドサリと座った。いつもならワクワクしちゃうぼくだけど、なんだかますます気が重くなった。デカブイが心配だった。
「お寺の池はだいじょうぶかなあ」
寝る頃になっても、雨はバラバラとはげしく窓ガラスをたたきまくる。ベッドに横になり、ぼくは、デカブイを池に放したときのことを思いかえした。
「平気。平気。あいつは水の底にもぐっていったんだから」
タオルケットにくるまりながら、ぼくは何回も寝返りをうって目を閉じた。
真夜中のことだった。おかしな音でぼくは目を開けた
ボコリ。ボコリ。
青いカーテンを通して、ユラユラとあやしい光が部屋中に広がっている。
ぼくはベッドをはなれ、窓にしのびよって、カーテンのはしからそっと外をうかがった。
暗いはずの庭が青くかがやいている。花だんのすみっこから大きなあわがボコリッと生まれて、ゆっくりと上にのぼっていった。目の前に浮んでいるのは青白いサッカーボール。
「おおお!」
ぼくは驚いて、おもいきり床にしりもちをついた。窓の外は、なんと水の中の世界だった。
「たいへんなことになったな・・・」
あまりの大雨で、このあたりはいつのまにか水の底にしずんでしまったにちがいない。
その時だ。
青く深い庭の向こうから何かがやってきた。とてつもなくデカいやつ。ぼくはカーテンのすきまから、目をこらしてじっと見た。
近づくにつれてそいつの正体がはっきりした。
にぎったこぶしが熱くなる。まっかなからだをくねらせて、おでこには、くっきりと白くかがやくVサイン!
「おお、おまえは!」
大型のバイクぐらいに巨大化した、それはまぎれもなく、ぼくの金魚、デカブイだったんだ。
ぼくはカーテンをおもいきり開けて、デカブイを待った。デカブイは、スーッと窓に近づいて、ぼくの顔の前でフイッと向きをかえると、おぼんみたいな大きな目でぼくをギロリと見た。
「待って! デカブイ!」
おもわず窓まで開けてしまい、しまった! と思った。ここは水の中だ。
だけど不思議なことに水は入ってこなかった。透明な壁みたいに窓のわくにはりついて、まるで冷蔵庫の冷え冷えのゼリーみたい。おそるおそる指をさしこんでみたら、あっという間にからだが引っぱりこまれ、気がつくとぼくは水の中に立っていた。
頭のてっぺんからつま先まで、ひんやりしていい気持ちだ。ぼくはおもわずパジャマの上着を脱ぎ捨てた。ズボンは脱ぐのをやめておいた。誰かに会うかもしれないからね。
見上げると、かすかに光がゆれている。水面は果てしなく遠いらしい。
「とにかくあたりを見てこよう」
ぼくはグビグビと水の底を歩き出した。
門から道に出てみると、お隣の外ネコのラムとポンタが、眠ったまましっぽをからませて、街灯の下で幸せそうに浮かんでいる。
「のんきなやつらだな」
ぼくはあきれてちょっと笑った。それにしても静かだった。聞こえるといったら、ポコポコわきあがる、かすかな泡の音だけだ。どうやらまだ誰もこの大異変に気がついてないらしかった。
「デカブイはどこに行ったんだろう」
ぼくはバス通りに出る階段を下りてみることにした。足元の草がぼくの動きに合わせてワカメみたいにユラユラゆれる。ぼくはスローモーションみたいに階段を五つとばしで下りていった。

通りに出ると、デカブイがぼくを待っていてくれた。
「よく来たな、デカブイ!」
デカブイは大きなあぶくをポワンと出すと、目玉をギルリと回転させた。
ぼくはニヤッと笑ってみせた。
わかってるよ、デカブイ! おまえはこう言いたいんだ。
“いっしょに遊ぼうぜ、勇太。誰もいない水底の町で!”
デカブイはスイッとぼくの横に並び、やわらかい胸ビレでぼくの肩をたたく。
「いいのか? デカブイ」
ぼくはさっそくデカブイにまたがって、両手で背ビレにしっかりつかまった。
「よーし! デカブイ、出発だ!」
デカブイはビビッと尾びれをふるわせると、いきなり猛スピードで泳ぎはじめた。水がギュルギュル体にあたる。デカブイの背中はヌルヌルしてつかまるのがたいへんだ。
バス通りを下ってカーブを曲がると交差点だ。信号がチカチカと、青い町に黄色いレーザービームをつきさしていた。
交差点をつっきると今度は二色に輝くコンビニの明かりが見えてきた。その角を曲がると学校がある。
「そうだ、学校に行こう! 左だ! デカブイ」
デカブイはエラをバフンと動かして答えると、スピードを上げて左に曲がる。ぼくの両足はデカブイのからだを離れ、ブリブリと水中を飛んだ。
「うひゃー! 気持ちいい!」
ものすごいスリル!
途中にあるリス公園で、ぼくたちはひと休みすることにした。
さびたブランコや鉄棒が、夜の水底で眠っている。ときどき植えこみの間から、細かい泡がジュワっとわきあがり、公園の真ん中にある街灯の明かりが地面にチラチラ影を作る。ぼくは街灯のポールを伝って上へ上へ泳いでいった。真上からながめたら、どんなに不思議な世界だろうって思ったんだ。
その時だ。心臓がドキッと大きく鳴った。
すべり台の上に何かいる!
ウソだろ、でっかいザリガニだ!
ブランコがゆれた。フナの子どもが乗っている。
うしろを見下ろすと、公園の入り口に、ドジョウの親子がぼくをじっと見つめていた。
「デカブイ、来てくれ!」
ぼくはおもわず助けを呼んだ。だってみんなデカブイみたいに大きいんだ!
デカブイはぼくの隣にスーッとやってくると、デカ目をパクリとウインクして、口からポワリとあぶくを出した。
やってみろって言ってるの?
ぼくは口を丸くしてモワッと息をはいてみた。ぼくの口からも大きなあわがポワンと生まれ、ゆっくりと上に昇っていった。すると、ザリガニもフナもドジョウもみんな次々と、ポワリポワリあぶくを出しはじめた。夜の公園は、あっという間にキラキラのあぶくでいっぱいになった。たぶんこれが池のあいさつらしい。みんなデカブイの新しい仲間だったんだ。
「おまえを池に放して本当によかったよ。みんな、こいつをよろしくな!」
ぼくはみんなにそう言って、デカブイと公園をあとにした。
デカブイに乗って坂道を上っていく。校門をくぐった時だった。何だかモワっと温かくて、今までとはちょっと違う感じがした。
学校は黒々とそびえたち、まるで百年前に沈んだ難破船みたい。
ぼくはデカブイから降りると、昇降口に近づいた。ためしに扉を押してみたら、なんとカギがかかってない。砂を巻き上げながらゆっくり扉は開いちゃった。
「入ってみるか?」
ぼくはデカブイを振りかえった。強気のデカブイがいやだと言うはずがない。大きな目をクリクリさせてぼくを見つめてる。ぼくはゴクリとつばを飲み込んだ。
「よし、行くぞ!」
ぼくはデカブイを連れて難破船に乗りこんだ。校舎の中は思ったとおり真っ暗だけど、ずっと先に明るい光がさしこんでいる。窓から校庭の明かりが入りこんでいるせいだ。ぼくたちは手で壁をさわりながら、とにかくそこをめざした。
ようやくたどり着いて、大きな窓から外をながめ、ぼくは危なく息が止まりそうになった。
「うおお! いったいここはどこなんだ?」
そこはぼくの知ってる校庭じゃなかった。白い砂が遠くまで青白く続いていて、その上にピンクやオレンジや赤のイソギンチャクみたいなものをくっつけた岩が、ゴロゴロ転がっている。遠くに見えるサッカーゴールには、なぜか自動車のタイヤや、何かの看板が、ワカメみたいなものといっしょに引っかかってユラユラゆれている。
「待てよ! あれって、レストランの看板だよね!」
おととい家族で行ったばかりだ。信じられないけれど、まるで映画を見ているようで、ぼくはただただ見とれてしまった。
「勇太」
突然うしろから名前を呼ばれた。ギョッとして振り向くと、髪の毛を上にユラユラさせて青白い顔をした健太郎がいる。夏休みの前に転校していったはずだった。
「おう、おまえも来てたのか」
健太郎はコクリとうなずくと、深刻そうにまゆ毛をよせた。
「こんなことになるとはなあ」
ぼくは廊下の先にいるデカブイを呼び寄せて健太郎に紹介した。健太郎は目を丸くしながらも「すごいなあ」とため息をついて、すごくうらやましそうだ。
そりゃあそうさ! こんなでっかい金魚と友達なんて、世界で絶対ぼくだけだ。
「それはそうと、大変だよ。来てみろ。すごいのがいる」
突然健太郎はぼくの手をつかんで階段を上っていった。
「どうやらこのあたりは海らしいよ」
「海?」
健太郎に言われてぼくはやっと気がついた。校庭に出現したおかしなものはみんな海から流されてきたものなんだ。
「そうか。つまり、あまりの大雨で町はきっと大洪水になったんだ。川の水はどんどんあふれて、ついにぼくたちの町は近くの海と合体しちゃったってわけだ」
「ああ、そんなとこだろう」
健太郎は深くうなずいた。
「そうか、さっき校門のところで水がなんか違う気がしたのは・・・」
「うん、あそこが境目だろうな」
三階の踊り場につくと、健太郎は引きつった顔で窓から校庭を指さした
「見てみ。ここならよくわかるよ」
ぼくは、ウッと息を飲んだ。街灯の明かりにゆれる校庭に、ドでかいやつが泳いでいる。砂に黒い影を落として、輪になってゆっくり回っているんだ。それも一匹だけじゃない。
「サメ?」
ぼくは健太郎を振りかえった。ただでさえ冷える水の中だ。おもわず背筋が凍りつく。健太郎はうなずくと真剣な顔をした。
「あいつらが町をおそったら大変だよ」
ぼくは眠っているおかあさんやおとうさんや、幸せそうなラムたちを思い出した。健太郎の言う通り、やつらが校門を越えたらおしまいだ。ぼくと健太郎は顔を見合わせた。気持ちは同じだ。ぼくたちだけでやっつけるしかない!
「デカブイ、おまえはどうだ?」
きくまでもないさ。デカブイにだって守りたいやつはいる。池の新しい仲間たちだ。デカブイは尾ビレをブリッと力強く振った。
ぼくたちはとりあえず一階にもどり、作戦会議をするために一年生の教室にもぐりこんだ。
「相手は五匹。いいか、いっぺんにかかってこられたら一巻の終わりだ」
「う・・んぐ!」
健太郎の言葉に、ぼくはゴクンとつばを飲み込んだ。
死ぬのはごめんだ。計画は完璧じゃなきゃいけない。
教室の床に伏せながら、アイデアを出し合って、ぼくたちは最高の作戦を練り上げた。
まずはひとりオトリを決める。あとの二人は窓の下にかくれている。そしてそっと窓を開ける。ここでオトリがやつらの気をひくためにあばれまわる。やつらが気づいて、窓から教室の中に入るときがチャンスだ。かくれていた二人がおもいっきり窓を閉めて、はさんだヤツのからだをグイグイ締め上げてやるんだ。そうやって一匹ずつ倒してやる!
「デカブイ、おまえはオトリになってくれ」
危険な任務だけど仕方がない。魚のデカブイには窓を閉めることはできないからね。
「安心しろ! おまえは絶対守ってやる」
デカブイは体をグリグリくねらせる。
「おおお。コイツ、やる気満々じゃん!」
健太郎はデカブイをながめ、鼻からあぶくをシュワッと出した。
「いくぞ!」
ぼくたちは見つめ合い熱く燃えた。
デカブイが教室の奥にスタンバイすると、健太郎はうなずいてそっと窓を開けた。モアッとなまぬるい水が混じり合う。ぼくは、デカブイに合図を送った。デカブイがあばれ始める。
「うまいぞ! デカブイ」
デカブイはからだをピクピク震わせて、まるで本当にけがをして苦しんでいるようだ。
「来たぞ! 勇太」
健太郎が低く叫んだ。一匹が向きを変えてこっちに迫ってくる。心臓がバクバクいってほとんど口から飛び出しそうだ。
やるしかない!
サメはどんどんスピードを上げて、窓の真ん前でパッカリ口を開けた。ものすごい大きさ! ぼくたちなんてほんのひと飲みだ。
「今だ!」
「うおおおおお!」
おもいっきり窓を閉める。グワンと鈍い音がして、サメは見事にはさまった。
「押せー! 押せー! うおおおお!」
サメはものすごい力でからだをくねらせる。ぼくたちは死ぬほど力をこめて、やつをグイグイしめつけてやった。激しい戦いの末、とうとうサメは白目をむいてひっくり返った。
「やったぜ! 大成功だ」
「デカブイ、今の調子だ!」
黒板の長さくらいはある伸びたサメを前にして、ぼくたちはガッツポーズを決めた。こうしてぼくたちはばつぐんのチームワークで次々とやつらを倒していった。

とうとう最後の一匹になった。
「軽くひねろうぜ!」
ところが最後の敵は一番大きくて、力もとんでもなく強かった。どんなに必死に窓を押してもブリブリからだを振ってくたばらない。そのとき最悪なことが起こった。サメがあんまりあばれるんで、窓がガタリとはずれちゃったんだ。
「うわあああ!」
なんとぼくはサメといっしょに校庭にふっ飛ばされてしまった。
ぼくはかくれる所を探して水の中を走った。だけど魚じゃないんだ。おもうように動けない。
「勇太! 来るぞ! 早くかくれろ!」
健太郎が教室の中からあぶくをふりまいて叫んでいる。怒り狂った巨大ザメはブルブル頭を振ると、小さく不吉な目でぼくをにらみながら、ゆっくりと校庭を回っている。それからユラリと向きを変えて、いきなりぼくめがけて突進してきた。
絶体絶命とはこのことだ! 大きな口がぱっくりと開いた。
「わあ~食われる~! もうだめだあ~」
ぼくがおもわず目をつぶりかけたとき、
ドッゴーン!
鈍い音がして砂が舞い上がった。目の前にサメがひっくり返ってる。しりもちをついたぼくの横に、真っ赤に輝くデカブイがいた。
「来てくれたのか、デカブイ!」
「チャンスだ! 行け! 勇太」
健太郎の声にぼくはハッとした。サメはデカブイに不意打ちをくらってフラフラだ。ぼくは勇気をふり絞って立ち上がると、右足でサメの顔におもいっきり必殺トウキックを食らわせてやった。サメは頭を振りながら、よろよろとサッカーゴールに向かって泳いでいく。デカブイが猛スピードでサメめがけてダッシュした。
「いいぞ! 行けー、デカブイ! シュートだ!」
デカブイは弾丸みたいにサメの横腹に体当たりした。サメはブワリとひっくり返り、そのままゴールの網にからまってブリブリもがく。いまにもサッカーゴールを壊しそうな勢いだ。
「そうだ! そのまま絡まっちまえ!」
何分くらいたっただろう、ぼくたちが息を殺して祈るなか、とうとうヤツは力つき、お腹を見せて動かなくなった。
「やったー! やったぞー!」
ぼくと健太郎は大喜びで叫びまくった。
「ありがとう、デカブイ。おまえは命の恩人だ」
おでこのVサインは、だたの模様なんかじゃなかったんだ!
デカブイは黒目をグルリと動かして、得意そうに胸ビレをクルクル回す。
健太郎が教室からカエル泳ぎでやってきた。まだ興奮は冷めないらしい。
「なあ勇太、おれたちすごいことやったんだぜ! テレビに出たっていいくらいだ」
「なんたって町を救った英雄だもんな!」
そうしてぼくたち二人と一匹は、横たわる五匹のサメを見回しながら、あぶくを飛ばし豪快に笑い合った。
気がつくと、あたりがぼんやり明るくなっている。朝が近いらしい。難破船みたいだった校舎も、いつのまにか上のほうが白く光りはじめていた。
「そろそろ家に戻ったほうがよさそうだな」
もうすぐ町が目を覚ます。みんなこれからどうなるのだろう。
ぼくは健太郎をデカブイに乗せてやって、家の近くまで送っていった。別れ際、健太郎はデカブイの背中をなぜながら、最高の言葉をかけてくれた。
「おまえは地球上で一番強くてカッコいい金魚だ!」
デカブイとぼくは夜明けの町の上を、並んでユラユラ泳いで帰った。デカブイは庭の中までついてきた。
「またな、デカブイ。おまえもゆっくり休めよ」
水の中に入ったときと同じ方法で部屋に戻り、振りかえるとデカブイは、朝のまぶしい光の中に消えていった。ぼくは大あくびをしてベッドの上に倒れこんだ。
リリリリリリリリリリリリリ
目覚し時計の音で飛び起きた。明るい光が部屋いっぱいに広がってる。いい天気らしい。カーテンを開けてみたら、なんと水はすっかりひいていた。
台所に行くと、おかあさんが平和な顔をして、ベーコンエッグを焼いている。
(まったく人の苦労も知らないで)
ちょっとあきれたけれど、なんだかすがすがしい気分で、ぼくはテーブルについた。なにしろぼくは、町を救った影の英雄だからね!
コーヒーを飲みながらおとうさんが言った。
「すごい雨だったな」
ベーコンエッグを運んできたおかあさんが、ため息をついてぼくを見た。
「デカブイ、かわいそうなことしちゃったね」
「なんで?」
ぼくは口の中のパンをおもわず丸飲みした。
「お寺の池、あふれちゃったらしいよ」
「へー! そんなこともあるのかねえ」
おとうさんが目を丸くする。
「なにいってんの、だいじょうぶだよ。だってデカブイ遊びに来たんだよ。こんなにでっかくなってさ。それでぼくたち学校に行って・・・」
そこまで一気にしゃべったぼくは、ようやく何かおかしいって気がついた。おとうさんはあきれ顔で言った。
「なに? 夢の話か?」
そうだった・・。だって、ありえないことだらけじゃないか! バカらしくって涙が出そうだ。でも、それじゃあデカブイは・・・。
朝ごはんが終わるとすぐに家を出て、お寺の池に行ってみた。本当に境内はグショグショで、茶色い池にはいろんなゴミや木の枝なんかといっしょに、ひっくり返っておなかをみせた小さなザリガニが浮いていた。
大雨の中、池からあふれた水に飲みこまれて、葉っぱのように流されていったデカブイの赤い体が目に浮かぶ。ぼくはくちびるをかんだ。死にそうだったデカブイが、水の流れに勝てるとは思えない。
「デカブイ、いるんだろ? 姿を見せて!」
ぼくは長い間まばたきもしないで、じっと水面を見つめていた。だけど、やっぱりにごった水に、赤い色は浮かび上がってこなかった。

ぼくは肩を落とし、お寺を出てバス通りをくだった。コンビニの角を曲がって学校に向かう。昨日の夜デカブイと進んだ道を。
リス公園の横を過ぎ、校門をくぐると、夏休みの学校はまったくいつもと変わらない。あたりまえだけど、大岩も転がってないし、窓も外れていなかった。校庭はすっかり乾いていて、真夏の太陽に白く光ってまぶしいくらいだ。ぼくは校舎の壁に寄りかかって、昨日の夜の誇りたかい戦いを思い出していた。

「楽しかったよなあ、デカブイ」
デカブイのグルリと動く強気の目や、ひんやり冷たい大きな背中。
「またな」っていって別れたのに・・・。
誰もいない夏休みの校庭。
「ごめんな、デカブイ・・」
突然涙があふれてきた。
桜の木をザワザワ鳴らして、風が校舎をグルリと回る。
その時だ。
涙でユラユラゆれる校庭に、なにかがキラッと光って見えた。サッカーゴールの少し前、手のひらくらいの透明なものが太陽の光に輝いている。まるで魚のうろこみたい・・・。
(まさか、あれって?)
忘れもしない! あそこはデカブイがぼくを助けるために、サメに一撃食らわせた場所じゃないか!
ぼくは地面をけって、デカブイの落としたウロコにかけよった。砂も一緒につかみあげる。砂が指の間からサラサラ落ちて、手のひらに残ったもの。
ぼくはぼおっとそれを眺めた。光っていたのはペットボトルのかけらだった。
おもいっきりがっかりしたそのあとで、ぼくはかけらを力いっぱい地面にたたきつけて立ち上がった。くやしくて、心がやけどしそうなくらい熱くなる。
「デカブイは生きてる! あいつは絶対死ぬもんか!」
全速力でお寺までかけた。池の前にすべりこんで、もう一度ぼくは待った。
「出てこい! デカブイ!」
風が水面をなぜるたび、小さな波がうろこみたいにきらきら光る。
「あ!」
そのときぼくは確かに見たんだ。茶色い池の真ん中あたり。
ほんの一瞬だったけど、浮かび上がった赤い影。白く輝くVサインを!
今でも時々ぼくは、お寺の池に行ってみる。あの時以来、デカブイは姿をみせてはいないけど、あいつは絶対生きている。でかくなって水の底で潜んでるんだ。
池のふちに立って、ぼくはあいつに話しかける。
「大雨になって、いつかまた水があふれたら、そうしたらデカブイ、また遊びにきてくれよ。冒険の続きをしようぜ!」
それから不思議なことがひとつある。ぼくの脱ぎ捨てたパジャマの上着はとうとうみつからなかった・・・ってこと。
おわり
