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「最期の祈り」 を見て🙏


「彼女にとって最良の選択をしたい」


「ここでは目を覚ます機会を失った人が機械に繋がれていきます」


「できることはなんでもしたい」


「死期を伸ばすために、効果が望めないのに苦痛を延ばすことはしたくない」


「本人が延命を望めば、助からないと分かっていても、手術をして、亡くなるまで機械に繋いでおくしかないんだ」

「大丈夫…  大丈夫だ…」

「家族に見守られながら穏やかな最期が迎えられます」


「絶対に諦めないと決めた…」

「回復の可能性はゼロではないだろ」

「本当に難しい」


「殺人と同じよ」


「虐待だわ」


「母は生きたいと願ってる」


「医者だって奇跡を望んでる」



これらの言葉は、すべて映画の中で語られたものだ。

どれも正しくて、どれも間違っているように聞こえる。

私はここ数年、何度も「死」と向き合う人たちを見てきた。
そのたびに思う。

何が正解なのか、と。

誰だって死にたくない。
でも、苦しみ続けることも望んではいない。

残される側は、なおさらだ。
最愛の人を失いたくない。
できる限りのことをしたい。

それが“普通”の感情だと思う。

けれど現実は、そんな単純ではない。

本人の意思を尊重したいと思っても、意識がなければ確認はできない。
医者は命を救うために最善を尽くす。

その結果――
人は、機械に繋がれたまま時間を生き延びることになる。

それは「生きている」と言えるのだろうか。

それとも――
ただ、別れを先延ばしにしているだけなのだろうか。

何度もこの問いに向き合い、何度も迷った。

「これ以上苦しませたくない」
そう思う一方で、

「まだ助かるかもしれない」
そんな可能性を、どうしても捨てきれない。

ぐるぐると巡る思考の中で、選択はいつも揺れ続ける。

そして気づけば、

「ごめんね」

その言葉を、何度も心の中で繰り返している。

―――

このドキュメンタリーは、明確な答えを提示しない。

けれど一つ、静かに問いかけてくる。

“あなたはどうしたいのか”と。

だからこそ思う。

いつか訪れるその時のために、
自分の意思を、きちんと残しておくべきだと。

大切な人を迷わせないために。

そして、残される側が
「ごめんね」ではなく
「これでよかった」と思えるように。





今日の自分の褒め17

昨日のエイプリルフールで皆さんのことを騙したにも関わらず、ほぼ全員がコメントをくださるという快挙を成し遂げた!!笑
いやぁ改めてごめんなさい!🙇‍♀️
でも少しは笑顔になっていただけたのでは?
😁😁😁🩷

今日も頑張りましょう😘👍

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