「写真」とはなんなのか① こんなのphotographyじゃない
こんにちは。山内です。
やまのうちってよみます。
しがないカメラマン 22歳になりました。
常日頃、いろんなことに悩みます。
特に意味もない、写真についての悩みや考え事を吐き出す場所を作ってみようと思いました。
ぼく、こだわりが強いので「写真とはこうあるべき」という考え方がずっとなくならないです。
要は自分が「この写真面白くない」って感じたものに対して厳しくなりがちです。
こんなのphotographyじゃないって
自分主導すぎる考え方なので、よくないことは百も承知なんですが、
でも感じたこと自体は素直な感情なので、それに対して解析していけば、
自分の満足いく写真に対しての仕組みは理解できる気がするんですよね。
まあこうやって思い詰めたりするから具合悪くするんでしょうけど。
1.うまい写真じゃなくていい写真
プロの世界、うまいなんて当たり前、センスあるなんて当たり前で、うまいへたの話が出る事自体おかしいので、「うまい」と言われるとかなり複雑な感情になる。
でも割と最近まで、写真は理屈で完結する。と思ってました。
あながちそれは間違いではないのですが、とあるカメラマンは、
「いいや、俺は感性だと思う。感性あってこその表現の中に理屈や技術が活きてくるもんだと思う。」と仰ってました。
その場ではピンと来ていなかったんですが、しばらく経って理解できて
「そもそもイメージが頭の中で出来上がっていること」
「場の空気を感じさせる写真が感覚で撮れること」
って、確かに一般の人からしたら特殊能力みたいなもんで、プロの世界で生きてると当たり前すぎてわからないことだったけど、よくよく考えたらそうだなあって。
特に写真の仕事を始めた最初の頃って、いきなりめちゃくちゃ写真上手い人とそうでない人ってハッキリしてる印象があって、でも多分長年生き残ってる、または大成してる人って前者じゃないですか。感覚値的な話ですけど。
でも多分ここで言っている意味の素の感性の天井って変わりようがないんでしょうね。
それを才能って言うのかもしれないですけどね。
最近、写真学校出身のカメラマンと話をする機会があり、
「結局優秀だった奴は図書室に篭って一生写真集を見ている様なやつしかいなかった。」と言っていました。
僕も馬鹿みたいに写真集読み漁るタイプなので、ちょっと嬉しかったです。
業界には写真学校や芸大の出身の方で非常に優秀なカメラマンが沢山いますけど、
みなさんそういう所に行ったから優秀でいられるんではなくて、
成果物が100%の世界で、ただひたすらに才能のあった人間(ここでは感性が豊かであったとしておきます)が掘り起こされてしまったんだろうなぁって思います。
若干話が逸れました。
いい写真
いい写真とは、ただ綺麗であればよい、ということは決してないように思います。
そもそも写真は綺麗じゃないとダメなんてこともないと思います。
(ただ、個人的に綺麗と美しいは別の意味合いの言葉なので、あくまで”綺麗”といことばにだけ対してです。)
綺麗な女の人を不自然なポージングを取らせて撮っただけの写真はいい写真とは言わないと思います。
僕は美しい写真が撮りたい。
美しいってどういう感情か、特に理系の人には共感してもらえると思いますが、
僕の中での綺麗という言葉とは明確に違っていて、
構成が合理的で、画面が美しいのはもちろんですが、
伝えたいことが伝わる写真として機能的な役割を全うしている写真に対し、その写真の構成について非の打ち所がない写真こそ、美しいと感じます。
構図だけじゃなくて、写真から撮り手がどういう人物であったかがわかる様な写真はとっても「いい写真だな〜」と思いますよね。
すなわち撮り手がどのようにして被写体を見ているか、それを見る側の人にどうやって表現してあげられるか、が勝負のキーな気がします。
自分が美しいものに対しての基準を持っていなかったら(計算した)美しい写真って撮れないと思うので、いかにそこをブラッシュアップしていけるか、が
写真家根性の見せ所な気がしますね。
まぁ、はりきり過ぎもよくないですけどね。それで具合崩した気がします。
やっぱりこの一億総カメラマンで、かつデジタルフォトグラフィーな時代に、
昔の写真集を読むことってめちゃくちゃ価値のある過ごし方な気がします。
フォトグラフィーが写真家の特権だった時代の写真たちは、
今の時代の技術、機材、環境を圧倒して存在感を放つ様な写真ばっかりで
やっぱりこの写真って現代じゃ撮れないよなぁと思いながらも
こんなのが撮れる様になりたいと幻想を追いかけるものですね。
(写真は過去の記録でしかないので、二度と同じものが撮れるなんてことは理屈上ありえないわけですからね。)
最近はAIでそこそこ綺麗に画像が生成される様になって、素人の人から
「カメラマンの仕事も無くなるな」とか言われることあるじゃないですか。
でもAIに「伝えたいこと」って感情あるんですかね。
モナリザ動かしてみたりとか、そういった使い方をされる方も世の中にはいらっしゃいますけれども、あんなの制作者に対しての冒涜じゃねえかよ、って思います。
人が撮った写真とAIの画像が同列に扱われることなんて、絶対あったらいけないと思いますけどね。
写真って、僕が生きていた証拠なんですもん。
