【危険⚠️】客観こそ正しいとする世界観への警鐘 量子力学と相対論の統一 【科学】The Removal of God from Knowledge
⚠️この記事は後述する最新の論文を
自分なりに読み取った上で書いた記事です。
僕たちはどのようにものを
認識しているのだろう?
自分の目で見たものこそが世界の全てだろうか?
きっとそうじゃない。
この世界には客観的に物事を見る
という言葉がある。
自分の主観で見たとしても、
それは必ずしも正確ではないし、
客観的に見ることこそが正解
という考え方。
しかし、それは本当だろうか?
今日は哲学的なお話。
僕たちは物事をどう捉えているのか?
自分という主体があって、
外の世界に自分が捉えることができる
客体が存在している。
だけど、どうして僕たち(主体)は、
客体を捉えることができるのだろうか?
目の前にある物事をどう解釈し、
どうそこにある意味を理解しているのだろう?
例を出すと、
目の前にある文章を読んで、
なぜ意味が分かるのだろうか?
今読んでいるこの記事はなぜ理解できるのか?
つまり、意味は一体どこにあるのか?
①文章そのものに意味があるとする。
これは一見正しそうであるけれど、
多くの例外がある。
例えば、法律。
同じ文章であるにも関わらず、
人によって様々な解釈を加えている。
例えば、指示語。
「あれとって!」と言って、
なぜ意味が通じるのだろうか?
意味は文章の中だけには存在していない。
その時の状況や、意味を受け取った人によって、
意味は様々に変わってしまうのだから。
②文章を読んだ人が意味を付けている。
それならば、意味というものには文章にはなくて、
それに意味を付けてる人たちがいる。
つまり、意味とは観測する側の主体、
人間側にあるとする考え方。
これにもまた問題がある。
同じニュースを読んで、
100人中90人以上は
ほぼ同じ内容を読み取るはず。
逆に解釈を間違えてる人がいたら、
それを周りの人が指摘することができる。
つまり、人間側だけが意味を生成しているとするのも、
これは無理がある話。
主体と客体の狭間に意味がある
文章という客体が意味を持つのでもなく、
人間という主体が意味を持つのでもない。
つまり、僕たちが現実を捉える時に、
そこに主体と客体を結びつける、
第三項が存在していないと、
説明がつかないのだ。
それをある論文ではO3と呼んでいる。
第三の位置である。
これは通常私たちに全く意識されないだけで、
必ず存在している。
というか、存在していないと
説明ができないはずなのだ。
文章を読み取るという例では、
O3は共通の前提であったり、
文脈であったり、目的だったりする。
私たちはその存在を意識することはない。
この存在を認めないことで、
一体どんな問題があるのだろう?
そう思いますよね。
その前に近代以前ではO3という概念がなくても、
問題がなかったという話をします。
絶対主観=神の存在が前提となった世界
近代以前の世界では、
O3がなくても問題はなかった。
なぜなら、現代と違って
神という存在が当たり前だったからだ。
神がいて、この世を創造した。
「なぜ私はりんごを見ると
赤く感じるの?」
「それは神がそう創造したからさ」
りんごという客体も、
それを感じる主体も、
両方とも神が創った。
だから説明ができてしまう。
つまり、主体と客体の間に神が存在していたのだ。
人間は、なぜ?を追求することができる。
そのなぜの最終到達点には必ず神がいたのだ。
言い換えると、知識の最終基盤には神がいた。
現代を生きる私たちにとって、
ある意味それは盲信とも言えるかもしれない。
しかし、それで安定していたのだ。
では、今の現実においてはどうだろう?
主体と客体という二項関係において、
その2つだけでは説明ができないことが
出てきてしまう。
つまり、知識の最終基盤が
揺れる状態になってしまったのだ。
絶対主観を排除して行き詰まった近代物理学
科学において主観というものは排除されてきた。
ニュートン力学に代表されるように、
物理現象とは誰が見ても、見ていなかったとしても、
ボールを手から離せば落ちるように、
同じ結果が出る世界観だった。
実際それは大成功を収めた。
多くの技術が発達し、生活を豊かにしてくれた。
揺るぎない科学法則に従えばうまくいくはずだった。
しかし、ある時大きな壁にぶつかってしまう。
量子力学の発見だ。
観測することによって初めて現実が確定する。
観測という行為が
現実に影響を与えることが分かったのだ。
つまり、誰が観測しても同じ結果が出る
ニュートン力学(古典物理学)では
説明ができなくなってしまったのだ。
観測という過程が結果の成立に
不可欠な要因であることが明らかになった。
しかし、科学が取った行動は何か?
それでも主観というものを排除してきたのだ。
既存の量子力学には主観は理論の中にはない。
観測が肝であるにも関わらず、
観測とは一体なんなのか?
それはブラックボックスのままだ。
観測を行うことで波動関数が崩壊し、
現実が一つに定まるといっているだけ。
主観・観測が前提となる物理学から
主観が排除されてしまったのだ。
観察されるもの(客体)と、
観察している人(主体)の
二項関係でとどまっており、
それ以上議論を進めることが
できなくなってしまった。
「黙って計算しろ」
これは実際にある言葉だ。
なぜ、その現実が決定するかは考えなくていい。
いいから黙って計算して、それを現実に適用しろ!
っていう意味だ。
先述したように、たしかにこれは大成功を収めた。
科学によって生活は豊かになった。
しかし、なぜその現実になるのか?
最も根本的な問いは説明されることなく、
量子力学誕生後100年以上が経過してしまった。
科学はただ現実を豊かにするツールとなった。
世界を記述する法則ではなく。
本当に主観を排除することが
正しかったのだろうか?
100年以上統一されない量子論と相対論
物理学は最終統一理論を探している。
物理学者は熱狂しているのだ!
ニュートン力学が絶対だった世界から、
よりそれを包括して説明ができる
量子力学が発見されたり、
この世界にはこの世界の全てを説明できる
理論があるのではないか?
と日夜研究が進られている。
その中の一つが量子論と相対論の統一だろう。
しかし、それは100年以上統一されないままだ。
そこには様々な理由がある。
重力の問題だとか時間の扱い方の問題など。
しかし、私が読んだある論文では
別の要因が原因としてあげられていた。
それは観測者の位置づけが両理論で異なることが
見落とされていることだった。
量子論も相対論も同じ観測者という言葉を使うが、
その実態は全く違う。
量子論における観測者は先述したように
能動的に現実を決定する構造である。
観測することで現実が一つに定まるから。
(特殊)相対性理論は
速く動く観測者なのか、
遅く動く観測者なのかで、
時間と空間が伸び縮みするという理論だ。
この理論においても、
主観はほぼ排除されてしまっている。
観測者はただの座標点となってしまった。
これは速く動く列車に乗っていると、
このように時間と空間が見えるはずだ。
列車の外で止まってると、
このように時間と空間が見えるはずだ。
というただの点であり、
実際にそこにリアルに主観を持っている人を
想定しているわけではない。
量子論と相対論は異なる観察者を
前提にしている。
だから、統一が難しいのだ。
世界は主観を排除しきれない所まで来ている
この記事は初めは、客観的に見ることこそが正解
という考え方に疑問を呈したところから始まった。
そもそも、客観的視点とはなんだろうか?
客観的って誰?って思いませんか?
それは自分以外の誰かの視点であるっていうこと。
自分以外の複数の人の視点であるっていうこと。
つまり、本当の意味で
客観的視点というものは存在するのだろうか?
ただの主観の集合体なのではないだろうか?
客観的というと主観を排除したように聞こえるが、
それは本当なのだろうか?
そもそも、量子力学の発見は、
主観・観察が現実に影響を及ぼしているということ。
つまり、主観を排除した上での
議論はそもそもできないはず。
だから、客観的が危険というわけではない。
主観の排除はそもそもできないが正確。
それは実はすでに科学においてもそうなのだ。
実験対象という客体と、
実験を行う主体。
科学においては再現性を求められる。
では、なぜその実験が再現したと言えるのだろうか?
客体だけでも実験結果は決まらない。
もちろん、主体だけでも実験結果は決まらない。
そこにはすでに暗黙的にO3が存在している。
だから、O3は新たに発見されたものでもない。
たしかにそこにあるものに名前をつけただけ。
主体と客体では説明できないところ、
関係が成立する場所にO3が存在する。
絶対主観=神を取り除いた
知識の基盤が揺らいだところにO3が導入される。
ここまで読んでいただいた人には
これが単なる宗教への回帰ではないことは
分かるだろう。
構造的に失われた第三項を
復活させるという話なのだから。
量子論と相対論がどう統一されたのか?
まで書くと長いので、それはまた別の機会で。
最後に参考論文を載っけておきます。
<知識から神を排除したことの論文>
◆The Removal of God from Knowledge: How the Exclusion of Absolute Subjectivity Shaped Modern Science and Its Limits
↓↓↓
https://www.researchgate.net/publication/398757987
<量子論と相対論の主観統一理論の論文>
◆Empirical Subjectivity Intersection: Observer-Quantum Coherence Beyond Existing Theories Unifying Relativity, Quantum Mechanics, and Cosmology
↓↓↓
https://www.researchgate.net/publication/398259486
では、また。
