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シューターに憧れ続けた、アシストしか出せないポイントガードとしての生き方と、点取り屋になるための決意

ポイントガードとは

バスケットボールにおける、司令塔だ。
戦局を読み、仲間の4人も相手の5人も、かつ自分すら俯瞰して見つめるポジション。基本的に求められる役割は、ボールをフロントコートに運び、パスを出しゲームをクリエイトする。
時には自らドライブで切り込みそのままシュートを決めたり、あるいは誰も予想しない場所にパスを出して仲間にシュートを打たせる。一流プレイヤーになればなるほど、中、外、どこからでもシュートを打てる資質も求められる。

人によっては華麗なドリブルスキルを身につけ、パスが出せない時には誰より率先してリングに沈める選手もいる。アシストに徹して自らは影武者にように動くプレイヤーもいる。何もかも完璧な選手は存在しない。が、それに近い選手というのも最高峰には存在するのも確かだ。世界は広い。

チームメイト

仲間の中には、癖の強いプレイヤーが揃う。これはあくまで人生における比喩だが、ポイントガードの意図しない場面でシュートを打ってしまい、オフェンスリバウンドが取れなくなってしまう。あるいは「決めればいいんだろ」と言わんばかりの無茶打ち、無理なドライブ、疲労による判断力の低下、そもそもの欠落。ポイントガードにとっての様々なジレンマがある。

バスケットボールも人間関係も、相手があって成立する。巧みなプレー、計算された戦略、時に必要なずる賢さ。それらと対峙する時に、誰かに自己中心的な動きとも取れる判断をされると、ヘッドコーチやポイントガードが体現しようとするゲームプランは崩れ、最もバランスを取ろうとするプレイヤーに皺寄せがくるものだ。これは私の人生そのものだった。

生き方はプレーに現れる

これは私の持論だ。
これまでの私は、ポイントガードの視点は持つが、ボールを自分で運ぶ勇気はなく、ドライブに行っても潰されるのがわかるので切り込めない。自らシュートを沈めるほどの自信もスキルも持たない。スペースを見つけて飛び込むことは得意だった。けれど自ら切り込むことのできるプレイヤーに邪魔者扱いされる。
当然そんな選手は使ってもらえない。ベンチを温めて応援するのが関の山。プレイヤーとしての私はずっとそんな感じ。だからそれらができるポイントガードの選手にばかり憧れる。

一方で私の生き方の話に視点を移すと、唯一自信を持って出せるのが、アシストだった。だがそれも、相手の状況によっては受け取ることができなかったり、自身ももっとシューターであれと求められたり、苦しいことが多かった。

できない。自信がない。スキルが足りない。どう努力して良いかわからない。自分の良さとは?何ができる?何を求められている?私は本当は何がしたい?やりたいことは否定され、取り合ってももらえなかった。そこで強行突破できるほど、自分を信じる力もなかった。何もできないと思い込まされていたからだ。

可愛げがない。生意気。反抗的。生まれてくるのはお前じゃなくてもよかった。誰でもよかったんだ。

肯定より否定が刺さるのは、それを言われ続けた相手が相手だからだ。肯定されたことなんてあっただろうか。正直記憶にない。そんなことを言うとまた否定されるのだ。出口のない迷路をずっと生きてきた。そんな感覚がある。


そんな人間が、主役になりうるシューター、あるいはスコアラーになれるはずもないし、なろうと思ったことすらない。

私が子供を産んで心底ほっとしたのは、ひたすらアシストに徹底すれば良くなり、自分が主役でなくてよくなったからだ。そのために産んだわけではなかったが、「こうして生き延びればよい」という明確な目標が見つかったからだ。

子育ては苦しかったが、楽しくもあった。打てば響く素直さ。時代の先端を行く感性。RPGをプレーするような感覚で、子供と言う存在を攻略するのは、最高に知的好奇心をくすぐられた。
そのための、自分のトラウマを解消する書籍も読み漁った。同じような人の体験にもとても助けられた。数々のイラスト系育児ブロガーさんたち、特にアメブロやライブドアブログには感謝しかない。

しかし子供は親の生き方を模倣する

このことに気がついてからはまた葛藤が始まった。私が脇役でいる限り、子供は脇役でいることに安心するようになる。長女はバスケットボールを数年続けたが「試合に出たいと思ったことはない」と話す。まるでかつての自分を見ているようだった。

親の欲目でなく、冷静に1人のプレイヤーとして長女を見たとき、私と違って体現するだけの能力も視点も持っていると思った。だが、「自信」と「主役になれる」という気持ちと、「体力」がない。

「体力」というのは同時に「気力」でもある。
たった6歳にして、父親の喪失、友人あるいは生まれた場所、すなわちアイデンティティの喪失という大きな体験をしてしまった彼女は、患う私にも気を遣い、ひたすら周囲に気を配りながら生きてきてしまったがために自分のために使う力を残せない。そんなとこ似なくていいのに。

まだ子供だよ

よく言われたが、彼女はそうではない。2歳には私の言うことを全て理解し、年齢以上の行動を実行する能力があり、私は彼女を一度として「子供」だなんて感じたことはなかった。ずっと大人と会話をしている感覚だったのだ。

そのことに気がついた大人は私にこう言う。「よく見てあげてください」「気をつけや」わかる。わかりすぎる。その通りだと思う。

だが、そのケアをすべき私も枯渇している。これ以上自分の中から湧き上がらせることは不可能なところまで追い込まれてしまった。42年というあまりに長い年月、人生のほとんどを自ら他人に差し出してばかりいた。それが生き方だと思っていたし、みんなそうだと思っていた。
人は与えられた舞台で生きるしかない。そう思っていた。

立ちたい舞台に立っていい

そう思えたのが、やっと今日だ。私は、アシストしか出せないポンコツポイントガードをやめる。これからは、セルフィッシュなスコアラーとして生きていく。

これを宣言するために、この長々とした回りくどい文章を書いた。誰が読もうと読むまいと関係ない。ここが人生の折り返しだと思って、この先の42年、搾取させ続けてしまった分を取り返すために、自分が主役の人生を歩むと決めたのだ。

誰になんと思われても構わない。嫌われようと関係ない。なぜなら彼らは、私の人生を1ミリも知らないからだ。私の行動には全て理由と根拠がある。納得させられるだけのものがある。でも、いちいち説明する必要などない。誰にわかってもらわなくても結構だからだ。私さえわかっていれば良い。娘たちにだけ伝わればいい。

私の大切な娘たちへ。
脇役になるな。あなたたちは主役でいい。だが、人を決して踏み躙るな。人は皆、誰しもが主役だからだ。それを絶対に忘れるな。これは母からの遺言である。

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