ポエマーのしっぽ
「じゅんくんってメールだとちょっとポエマーなんだよね。」
「え、どんな?見たい、見せて見せて!」
教室の後ろで繰り広げられる女子たちの赤裸々な会話。微笑みながら天を仰ぎ、心の中で顔も知らないじゅんに問いかける。
じゅんよ、なぜメールにした。形に残るポエムは危険すぎる。せめて2人の時に口頭で、付き合って1年くらい経ってからにするべきだ…君はまだ3日目だぞ、もう尻尾を出してしまうなんて…恐ろしい、恋というものはなんて恐ろしいものなのだ。
私はじゅんのようにはならない。
このしっぽは一生隠し通して生きていく。
このポエマーのしっぽだけは、絶対に。
広々とした石畳の道はでこぼこで、隙間からは雑草が生えている。
裏の道路は車通りも激しく、水のない噴水はもの悲しい。
決して素敵だとは言えないその公民館への道は、それでも私にとって特別な道だった。
生まれて初めて詩集を手にしたのは、この公民館の隅にある小さな図書館だった。
そこは本棚が6つほど並ぶ小さな所だった。カウンターには白いカーディガンを着た女性が座っていて、机の下で静かに本を読んでいる。
子供向けの本は数冊しかない。
しばらく本棚を眺めた後、棚の一番下に並んだ小さな本を手に取った。かわいらしい写真が表紙に並ぶ、小さな本だった。
どうにか自分でも読めそうな本を見つけカウンターに差し出すと、女性は「この本ね、とっても素敵な詩集ですよ」と教えてくれた。この人もこの本を読んだんだ。私もこの本を選んだ。それがなんだか嬉しくて誇らしくて、でも照れくさくって、消えそうな声でありがとうございますと伝え、その場を離れた。
図書館の横に置かれた丸いテーブルと、それを囲む白い椅子。そこに浅く腰掛け、借りたばかりの本を取り出す。ページをめくると、そこには植物の写真と言葉が並んでいた。
写真を見て、静かに文字を目で追う。
詩を読み終えたら、もう一度写真を見る。
見慣れた草や花が、少しだけ違って見えた。
何が起こっているのだろう。
自分の何かが変わってしまうような不安と、それ以上の胸のときめき。
本をカバンにしまい込み、駆け足で階段を降りて外に出た。
太陽がいつもの道を照らしている。でこぼこの石畳が、風に揺れる雑草が、全てに命が宿ったように輝いている。
足下の雑草が、急に秘密を抱えた主人公のように見えた。
頭の中で、色とりどりの何かが一気に弾けていくようだ。
フルーツポンチの海に飛び込んだらこんな感じだろうか。ゼリーでできた虹が爆発したらこんな感じだろうか。私の中で今起きたことを、うまく説明する言葉を私はまだ持っていなかった。とにかく何かが変わっていく。
生まれ変わったのだ、世界が。
ああ、生まれてしまったのだ、ポエマーの私が。
小学生のうちは、ポエマーである自分に困らされることはなかった。周りもそんな私に全く気づかない。私は相変わらずあの小さな図書館で詩集を読みながら、たまに宿題をし、その他の時間は、友達の家の庭で、豆を投げつけて遊ぶ豆戦争に全力を尽くした。
転校していった友達に、ポエムと共に海辺で拾った小さなシーグラスを送ったこともある。手紙のやり取りは何度も続いた。
そのうち、もっと大切なものを贈りたくなった私は、宝箱にこっそりと貯めていた、お気に入りの魚の目玉を送った。魚の眼の更に奥にある、真珠サイズの白い玉である。
いつかこれを集めてネックレスにしよう。そう思って大切にしていた目玉を一粒、ポエムと一緒に封筒に入れた。
ピンク色の封筒は、いびつに膨らんでいる。
友達との手紙のやり取りは、そこで途絶えた。
中高生になると、どうやらポエマーというものはイタいものらしい、と気づきだした。多くの友達が、友情や恋愛の詩とイラストを携帯の待ち受けにしながらも、ポエマーの後には必ず(笑)をつけて話す。
「うわっ、ポエマーじゃん(笑)」自分以外の場所で、このセリフに出会うたびに、ああ危なかった。ばれたら最後、こうして私もみんなの笑い者にされるのだと震え上がる。
ポエマーという言葉自体に、皮肉やからかいの意味がうっすらあるのだと知ったのもこの頃だった。
人間に化けたたぬきのように、ふさふさの尻尾を隠しながら世の中とのずれを少しずつ学習していく日々。
修学旅行では、行きの飛行機内で「ああー始まってしまった。まだ帰りたくない」と呟き「早すぎる!」と笑われた。
ポエマーにとって、恋は非常に危険だが、青春というものも同じように危険だった。今現在をリアルタイムでしみじみと味わったり、いつかこの瞬間を尊ぶのだろう…と先回りして感慨深くなりがちなポエマーは、青春のど真ん中を生きる若者たちの中でたまに浮いてしまう。
まさしく私だった。
それでも大人になるにつれて、しっぽを隠すことにはずいぶんと慣れていく。仕事中は厳重にしまいこんだ。しばらくは自宅に帰っても出すこともなく、しっぽのない毎日が淡々と過ぎていく。
ある日、外回りの途中で車から田んぼを見かけた。
それは生まれて初めて見る田んぼだった。テレビで見るたびに憧れていた、あの田んぼが今目の前にある。
風にそよぐ緑の稲と、光を反射して輝く水面。
暖かい風が、目に映る景色全てを平等に撫でていった。
車の窓を全開にして、その風を、その光景を、頭に焼き付ける。
きれいで、きれいで、なぜだか涙がぼろぼろ出た。
青空の中で煌めく田んぼは、風よりも風みたいで、光よりも光だった。
また今、世界が生まれ変わったのだ。
世界とはこんなにも何度も生まれ変わるものだったのか。
この日は家に帰って久々にしっぽを出した。
これを詩に書かずにどうやっていられようか。決して忘れてはならない。あの瞬間は何が何でも残さなくては。
仕事ではそのうちしっぽが重宝される場面が現れた。新規事業のコンセプト決めや、世界観を表現する場面だ。形ないものを表す時、ポエマーであることは想像以上に役立った。
それでもしっぽを隠したい私は、仕事だから書いてますよ、という顔をして、詩的な商品説明を書き、ポエム書いてきました!と自虐的に案を出す。
ある日ふざけ半分で、実は本気で書いてきました。というと、そうなんだーいいじゃん!と普通に受け入れられた。なんてあっけないのだろう。
しっぽが気になって仕方なかったのは、私だけだった。しっぽなんて最初から誰にも見えていなかったのだ。
今でも付き合って3日目の彼女に、ポエムメールを送るじゅんには同情しかねる。ただ当時はやめておけとしか思えなかったものの、今となってはそれでも送らずにいられなかったじゅんの気持ちもよくわかる。
私も一度だけ、初めてのデートの帰り道に浮かれて詩のような何かを送ってしまったことがあった。その後、非常にまずいと思いなおし「これって何かの歌詞だっけ?」とまるで何かを引用したかのようにとぼけてやり過ごしたあの日だ。
あれはやり過ごせていたのだろうか、全てバレていたんじゃなかろうか。そう思うとポエムを送っただけの方がずいぶんマシな気もする。
あの詩のような何かは、ほんのひとかけらだった。
恋とは恐ろしいものなのだ。息をするように言葉が浮かぶ。
手を振りながら階段を駆け下りてくる姿に、何度も胸が苦しくなったこと。お土産のボールペンに1時間も悩んだこと。思わぬメールの返信に、枕に顔をうずめて叫んだこと。結局一言も伝えずに、全て青春の中に置き去りにしてきた言葉たち。そんなものが山ほどあった。
たまに思う。そのまま伝えていたら、どうなっていたのだろうと。
何かが続いたり、何かが終わったり、
結局は何も変わらなかったりしたのかもしれない。
あの日ありのままを伝えたじゅんは、私の見れなかった景色を見ただろうか。しっぽを出したものにしか見られないその後の光景を。
願わくば今頃、じゅんにはふさふさのしっぽとうまくやっていてほしい。
窓の外を見ると、庭には雑草が茂っていた。
世界は秘密を抱えた主人公の集まりでできている。
一度、世界が生まれ変わる瞬間を知ってしまえば、もう元の景色には戻れない。心が震えた瞬間を、そこに置き去りにしたまま生きるのはもう終わりだ。
そろそろ私も「ポエマーですね」といわれても「そうなんです」と髪をかきあげながら返せる頃だろう。
ようやく私は、世界が生まれ変わる瞬間を、しっぽを隠さずに書けるようになったのだ。
