ラテン語・古典ギリシャ語一節034
ποταμοῖσι τοῖσιν αὐτοῖσιν ἐμβαίνουσιν ἕτερα καὶ ἕτερα ὕδατα ἐπιρρεῖ·

(本に赤線引いていないよ。画像にペンタブしただけ)
po-ta-môː-si | tôː-sin | au̯-tôː-sin | em-baí̯-nuː-sin | hé-te-ra | kaí̯ | hé-te-ra | hý-da-ta | e-pi-rːêː
ポタモォーイシ|トォーイシン|アウトォーイシン|エンバイヌーシン|ヘテラ|カイ|ヘテラ|ヒュダタ|エピッレー
Denen, die in dieselben Flüsse hineinsteigen, strömen andere und wieder andere Wasserfluten zu.
同じ川々に足を踏み入れる者たちには、別の、そしてまた別の水の流れが押し寄せてくる。
Denen strömen Wasserfluten zu.
その者たちに水の流れが押し寄せる
Denen,[die in dieselben Flüsse hineinsteigen], strömen[andere und wieder andere ]Wasserfluten zu.
[同じ川々に入る]者たちに、[別の、そしてさらに別の水の流れ]が流れ寄る。
ドイツ語解説
Denenは指示代名詞(それら、その者たち)の複数3格
「~する者たちに」と訳す。英語だとTo those who ...
dieは関係代名詞で複数1格関係節の主語。先行詞は Denen
「~する者たちに」と訳す。Denen, die ... hineinsteigenで一組
inは前置詞で、方角・移動の4格
「~の中へ」と訳す
dieselbenは指示形容詞(同じ)の複数4格
「同じ」と訳す
Flüsseは名詞der Fluss(川)の男性複数4格
「川々へ」と訳す
hineinsteigenは分離動詞hinein + steigen(中へ入る)
「中へ入る」と訳す。関係節では動詞が文末に置かれるので、分離せず一語strömenは分離動詞zu + strömen(押し寄せる)strömen ... zu3人称複数現在
「押し寄せる」と訳す
andereは形容詞ander(別の)の複数1格
「別の」と訳す
undは接続詞(そして)
「そして」と訳す
wieder は副詞(また)は、wieder andereで形容詞句を形成。
「さらにまた別の」と訳す
Wasserflutenは名詞die Wasserflut(水流)の女性複数1格
「水流どもが」と訳す
zuは分離前綴り、zuströmenを構成要素
「押し寄せる」と訳す。strömen ... zuの一部
ドイツ語逐語訳
Denen
その者たちに、
die in dieselben Flüsse hineinsteigen,
同じ川々の中へ足を踏み入れる者たちに、
strömen
押し寄せてくる、
andere und wieder andere Wasserfluten
別の、そしてさらにまた別の水流が、
zu.
古典ギリシャ語解説
ποταμοῖσιはイオニア方言の名詞 ποταμός(川)の男性・複数・与格
「川々に」と訳す。
τοῖσινはイオニア方言の定冠詞τοῖςの男性・複数・与格
ποταμοῖσιを修飾しているので、特に訳さない。
αὐτοῖσινはイオニア方言の形容詞 αὐτός,(同じ) の男性・複数・与格
「同じ」と訳す。
ἐμβαίνουσινは動詞 ἐμβαίνω(中へ入る)の現在分詞・能動態・男性・複数・与格で、形は同じだが、直説法・能動態・現在・3人称・複数ではない。
「中へ入る者たちに」と訳す
ἕτεραは形容詞 ἕτερος, ἑτέρα, ἕτερον(別の、異なる)の中性・複数・主格
「別の」「異なる」と訳す。後続の ὕδατα を修飾
καὶは接続詞(そして)
「そして」と訳す
ἕτεραは前出同上だが、ἕτερα καὶ ἕτεραで一組で、強調表現となる
「別の、そしてまた別の」と訳す。
ὕδαταは名詞 ὕδωρ(水)の中性・複数・主格
「水ども」と訳す
ἐπιρρεῖは動詞 ἐπιρρέω (に向かって押し寄せる)直説法・能動態・三人称・単数・現在。中性名詞の複数形を主語に取る時は、単数形でもよい。
「に向かって押し寄せる」と訳す
古典ギリシャ語逐語訳
ποταμοῖσι
川々に、
τοῖσιν αὐτοῖσιν
その同じ、
ἐμβαίνουσιν
足を踏み入れる者たちに、
ἕτερα καὶ ἕτερα
別の、そしてまた別の
ὕδατα
水が
ἐπιρρεῖ
押し寄せてくる。
構文
与格語句+主語+動詞
ποταμοῖσι τοῖσιν αὐτοῖσιν ἐμβαίνουσιν(与格語句)
同じ川々に足を踏み入れる者たちに
ἕτερα καὶ ἕτερα ὕδατα(主語)
別の、そしてまた別の水どもが
ἐπιρρεῖ(動詞)
押し寄せてくる
同じ川々に足を踏み入れる者たちには、別の、そしてまた別の水が、押し寄せてくる。
今回、徹底的にディールス/クランツのドイツ語訳と古典ギリシャ語の原文を品詞分解して、構造を比較してみたが、構造も近い形で写せているので、よい訳なのだろう。ドイツ語として自然かどうかは分からないが。
ディールス/クランツの断片集は、本人の発言とされているから、ヘラクレイトスの有名な万物流転説は、これが大元だと推定される。なおディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第9巻第1章では以下の通りだ。
γίγνεσθαί τε πάντα κατ’ ἐναντιότητα καὶ ῥεῖν τὰ ὅλα ποταμοῦ δίκην.
万物は対立に従って生成し、また、全てのものどもは川のように流れるという事。

ディールス/クランツ『ソクラテス以前断片集』だと、ヘラクレイトスのAで伝承や言い伝えを集め、ヘラクレイトスのBで本人の発言と思われる断片を取り上げている。ここではディオゲネス・ラエルティオスは分類Aだ。
他にもヘラクレイトスの万物流転説について以下がある。
πάντα χωρεῖ καὶ οὐδὲν μένει
万物は進みゆき、何ものも留まらない。
κατὰ τὸν Ἡράκλειτον πάντα ῥεῖ.
ヘラクレイトスによれば、万物は流転する。
以下、年代を時系列でまとめてみよう。
ヘラクレイトスの万物流転説形成の順番
ποταμοῖσι τοῖσιν αὐτοῖσιν ἐμβαίνουσιν ἕτερα καὶ ἕτερα ὕδατα ἐπιρρεῖ·
同じ川々に足を踏み入れる者たちには、別の、そしてまた別の水が、押し寄せてくる。
πάντα χωρεῖ καὶ οὐδὲν μένει
万物は進みゆき、何ものも留まらない。
γίγνεσθαί τε πάντα κατ’ ἐναντιότητα καὶ ῥεῖν τὰ ὅλα ποταμοῦ δίκην.
万物は対立に従って生成し、また、全てのものどもは川のように流れるという事。
κατὰ τὸν Ἡράκλειτον πάντα ῥεῖ.
ヘラクレイトスによれば、万物は流転する。
こうやって並べてみると、ヘラクレイトスから1,000年くらい経過して、そう言われるようになった。論理の拡張に留まっているので、ミスリードではない。解釈としては正しいだろう。万物は流転する。
ヘラクレイトスの万物流転説を、仏教の諸行無常と比較する人がいる。ヘラクレイトスが川の中に入って、流されて行ったら、諸行無常だろう。川の中に留まったら諸法無我だろう。前者が時間論で後者は空間論だ。
川を客観的に見て、ヘラクレイトスが川に流されて行けば、諸行無常で、時間論となり、川を主観的に見て、彼が川に留まって、流されないように頑張っても、それはただの空間論で「諸法は無我である、悟れ」と言われる。
この主客全体の状況を指して、πάντα ῥεῖ、万物は流転するなら、仏教とコンフリクトしない。正しい見解となる。仏教の方が、分類が主客に分かれ、ヘラクレイトスの万物流転説は分かり易く、主客が統一されている。
ヘラクレイトスの万物流転説を、諸行無常寄りに解釈して、時間論として見た時、現在という視点がよく分からなくなる。今、今と言っても、絶えず川の水は押し寄せて来るから、今を区切れない。現在が定まらない。
ヘラクレイトスの万物流転説を時間論として見たら、現在という観測点は消失する。今という視点が立てられず、便宜的なものになる。ただ現在という視点は消失しても、観測者まで消える訳ではないし、過去と未来もある。
ヘラクレイトスは川の中に立って、川の上流(未来)と下流(過去)を見ているのだ。ここで今とか、現在という視点を無理やり立てるなら、ゲーテじゃないけど「時よ止まれ、お前は美しい」と言わないといけない。
ただ時間を止めて、今ないし現在を固定化しても、観測者自身も止まってしまったら、意味がない。だからヘラクレイトスだけ動けるようにしないといけない。たがそこは万物が流転しない世界だから、美しくはないだろう。
では、ヘラクレイトスが、タイム・マシンに乗って、世界を見たらどうなるのか?自分も世界も時間が止まるパターンと、自分は動けるが、世界の時間が止まるパターンは除外する。両方動くパターンを考える。
タイム・マシンで、別の世界線、別の因果の流れに、ヘラクレイトスは入る訳だが、そこでも時間は川のように流れているから、結局同じ事になる。下手に因果に干渉すると、自分が消えたりするパターンも考えられるが。
条件を変えても、結果・状況が変わらず、観測者は、時間を止めない限り、今もしくは現在という視点を得られないなら、ヘラクレイトスは相変わらず、時間の川の中にいる事になる。まさに川ども(複数形)だ。
名詞ποταμός(ポタモス=川)が複数形になっているのは重要だ。並行世界的に時間の川は複数あって、流れている。そしてそれぞれの世界に、ヘラクレイトスがいて、川の中で突っ立っている。πάντα ῥεῖ(パンタレイ)だ。
傍から見れば、川の中に立つヘラクレイトスは諸行無常で、川の中に立つヘラクレイトスは頑張っているが、諸法は無我であると言われる。もういっその事、何もしないで川の外で無為自然にしている方がいいかもしれない。
どうせなら、老子に弟子入りして、道(タオ)を極めた方がいいかもしれない。道には生死の分類がなく、イモータルで、エターナルな世界で、桃源郷入りを目指す。冷たい川の中に突っ立って、頑張る必要はない。


以上
