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これは、夢を叶える準備期間の話─最初の転職。

一番最初の転職を振り返る
1992年 
33年前の話だ

37年看護師として働いてきたが
もともと成り行きでなった看護師なんで
仕事に慣れても看護師生活は楽しくはなかった

看護学校卒業後、看護学校の系列の地元の公立病院で4年働いた
消化器外科、耳鼻咽喉科、皮膚科の混合病棟
看護師の人数不足で病棟閉鎖になり
外科の患者さんと共に整形外科の病棟へ異動
その後退職

奨学金をもらっていたので
いわゆる『御礼奉公』ってやつだ
決められた期限内働いて支払いがチャラになった
看護学校は3年なのに4年が期限
細かいことは忘れてしまったが、
(事情を書こうとしたら分かりにくすぎたので却下)
とにかく4年働いて退職し上京した
これが一番最初の転職になる

地元は茨城のはずれの海沿いの町
今は合併して『市』になっている
病院の敷地内に看護師の職員寮があった
実家から車で15分もかからないけど、寮にはいっていた
車がないと生活できない
今はマシなんだと思うんだけど
当時は出かけるところもなかった
わたしが車の運転や遠出があまり好きでなかったせいもあるが
スーパー、ホームセンターやTSUTAYAに行くくらいだった
地元では大きい本屋でジャケ買いのように
表紙買いで本を買い込んだりした
ネットもない時代
音楽を聴いて本を読むしか楽しみがなかった
大好きなライブにだって
休みの勤務希望とチケット発売のタイミングが合わなかったりして
なかなか行けなくなっていた

25歳のわたしは
このまま年をとって
この何にもないところで同じ毎日を繰り返して
30歳になってしまうのが怖かった
30歳になる前に死んでしまいたいとさえ思っていた
実際、そんな、死んでしまうわけにはいかないので
どうしたらいいのか考えた

実は中学生の頃から
少女漫画家になりたくて
高校では漫画同好会に所属していた
同好会誌に漫画を描いて売ったり
カラーイラストを描いて文化祭で展示していた
今思えば、絵のレベルも漫画のレベルも酷かった
かなり酷かった
話の構成も上手くいかず、雑誌に投稿したことはなかった
看護学校を経て就職してからも描いてはいたのだけど
仕上げることが出来なかった
ネットがなかった時代だからこそ
自分の下手さ加減に気が付かなくて描けて
夢を見ていられたのだと思う

就職して何年か経ち
少女漫画家は無理だとやっと気がついた
絵はダメだけど文章はイケるんじゃね?と勘違いして
小説を書こうと思っていた時期もあったが(笑)

中学〜高校生時代
美術の成績はよかった
美大に行きたいなって気持ちがあったけど
実家は裕福ではなく
私立なんて論外で
国立の美大を狙えるほどの才能も
受験する根性も勇気もなく
挑戦することもせずに諦めていた

そう
どうしたらいいのか?って考えたら
あぁ わたし絵が描きたかったんだ
ってことを思い出したのだ
そしたら
30歳過ぎて生きても大丈夫な気がした

上京していまさら美大に行くのは受験もあるし無理だけど、
デザインを勉強したいから
デザインの専門学校に行こう
看護師しながら夜間の学校に通おう!

受験なしで入れる夜間のデザインスクールに通うことを決めて
『週3日19:00〜21:00まで通学できる病院を探そう!』と決めた
学校は恵比寿
恵比寿に通学しやすい病院を看護雑誌の広告欄で探して
直接、電話して面接の日程を取り付けた
ネットのない1992年
こんな無謀な希望だったけど
面接を受けた3病院、全部、内定がもらえた
(1つの病院は週に3日間の通学は厳しいと言われたが内定は出た)
若かったし、看護師不足は昔も今も変わらないからな
マンション1室を寮として貸してくれる
当時は総合病院だった私立病院に転職を決めた

その病院は
雑誌に載ってた広告より古くて小さかったし
希望先の外科は高齢の常勤医師が一人しかいなくて
外来は大学病院から外勤で来てる医師で回していると言っていた
そんな病院に転職を決めたと地元の病院の外科医師に話したら
「そんな病院で大丈夫なの?」と心配された
(色々なことがあったこの病院の話は後で書きたい)

三交替をしながら週に3日通学する勤務
日勤の後、スクールに行って
そのまま深夜勤に入るっていう日もあった

グラフィックデザイン
デッサン
イラストレーション
ファインアート
カラーリスト
写真…
週に3日から2日のコースを修了したり
単科のコースは受講を継続したりして
7年間も通い続けた
3交替の勤務の隙間に課題もこなした
25〜32歳 若くて体力があったからできたんだと思う
で、この後どうしたかというとー

看護師の収入を捨てて、他業界に転職する勇気はなくて
イラストや写真でグループ展などはやったけど
結局、学んだことは趣味どまりとなり
看護師を続けた

職場は病院内の方針やシステムの変更と共に
消化器外科+産婦人科混合病棟
整形外科病棟
なんちゃってICU+脳外科病棟
外科内科病棟
と異動をし
最後の外科内科病棟(どっちも急性期)の忙しさに疲れたのと
当時、派遣ナースがバイトに来ていて

派遣ナースってなんでもできるスーパーナースだと思っていたのが
実際はそうでもなく
わたしでもできるんじゃね?と
派遣ナースをしてみたくなり退職を決めた

この病院は不満もあったが
スクールに通わせてもらえていたし
それ以外の推し活や海外旅行のための連休など
勤務希望もかなり通してもらえていたので
気がついたら12年働いていた

スクールについては
写真は推し活がきっかけで始めたし
イラストレーションは
後の推し活でとんでもないことが起こる

大金を注ぎ込んで新しいことを学んでも
転職に結びつけずに看護師を続ける
こんなことがこの後も続く

なんでなんだろうなぁ
どこでそうなっちゃうのかなぁ
と、いまだに思う

でも

このときは
まだ知らなかった
20年後にこの夢の続きを
推し活で回収することを

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