江戸川橋のモンチッチと、「味海苔」のない世界
昨日の話とは打って変わって、今回は少し昔の話。
「江戸川橋のモンチッチ」
幼少期、私はそんな風に呼ばれて育ちました。……いきなり何の話だよ。笑
舞台は東京都文京区。
今でこそ高級マンションが立ち並ぶ閑静な住宅街ですが、ここは昔から印刷屋や製本所がひしめき合う「本の街」でもあります。
私の実家もまた、この街で小さな製本工場を構えていました。
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漫画と「ネタバレ」の宝庫
実家で作っていたのは、誰もが知る某出版社の少年漫画誌や週刊誌。
発売日の数週間前には完成品が工場にあるので、私は常に「ネタバレの宝庫」にいました。
友人からは羨ましがられ、社会科見学でクラスメイトが自宅の工場に来た時は、子供心にちょっと誇らしかったのを覚えている。
当時のあだ名は「江戸川橋のモンチッチ」。
理由はよくわからないけど、たぶん見た目。
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社長が「ホワイト」だった理由
実家の工場は、当時としては珍しい「完全週休2日・定時あがり・夜勤なし」という超ホワイト環境。
……といっても、社員のためではない。
社長である親父が、仕事が終わればパチ屋か飲み屋、土日は公営ギャンブル三昧という「超・自分ファースト」な人間だったから。
働き方改革の先駆け、みたいに聞こえるけど、それは、たぶん違う。笑
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流れてきたのは「味海苔」のない世界
(何のこっちゃ。笑)
そんな工場が、稀に土日に家族だけで稼働することがあった。
私が初めて手伝わされたのは小学生の頃。
流れるラインに紙を補充するだけの単純作業でした。
ただ、その日見たものは、ちょっと忘れられない。
製本される前の印刷物を見た瞬間——
流れてきたのは、「味海苔」という概念が存在しない世界だった。
「……えっちじゃん⭐︎!!!」
そこにあったのは、いわゆるビニ本。
修正なんて概念はどこかに置いてきたのか、全部そのまま載っている雑誌。
「これダメなやつじゃん」
という倫理観よりも、
「うわ、すごいもの見てしまった」
という興奮の方が勝っていた。
週刊少年漫画やトレンド雑誌を先読みできる環境ではあったけど、
別の意味でも、だいぶ“先読み”して育ってしまった気がする。笑
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ネジのぶっ飛んだ大人への序章
ちっぽけな町工場でしたが、なぜか親父の金遣いは荒く、母親は怒ったりもしていたけれど、そこまでお金に困った記憶はありません。
子供達には、好きなものは好きなだけ買ってもらっていたし。
子供ながらに「これは相当儲かるんだな」と、なんとなく察してはいた。
閑静な文京区の片隅で、少年誌とビニ本を交互に製本する日々。
時代がと言えばそれまでだけど、
今思うと、あの工場はちょっとおかしかったのかも知れない。
でも当時の自分には、それが「普通」だった。
江戸川橋のモンチッチは、そんな環境で育ちました。
大人になって、周りからはネジがぶっ飛んでるとよく言われる。
……まあ、そりゃちょっとは歪むよね。
これがおぢの礎。たぶん。知らんけど。
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