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「まぁいいや」の蓄積と、突然のドアスラム


日常の中にある気づき #4


私は、友人が少ない。

けれど、友達と呼ぶほど近くはなくても、顔を知っている人や、時々話す人、その場だけで関わる人は昔からたくさんいた。


私にはペルソナも多く、相手に合わせた自分、その場に合わせた自分を使い分けることが得意だった。
演じている感覚すらあまりなく、むしろその方が楽だと思って生きてきたと思う。


けれど、内観を深めていくにつれ、それが自分にとって想像以上に苦しい事だったと気づくようになり、この一年は人との関わり方を少しずつ見直してきた。

無理をしなければ続かない関係性や、ある自分を演じなければ成り立たない関係から離れることも増えた。



そんな流れの中で最近、「この人とはずっと仲良くいれるんだろうな」と感じていた友人とも縁が切れた。


私はこれまでにも、数回、離れることはないと思っていた相手と縁が切れる経験をしている。


なぜ、こういうことが起こるのだろう


過去の人間関係を振り返ってみると、自分のある性質が関係しているように思えた。



私は、人に対して許せることの範囲が極端に広い。


ただ、「許せる」ということは、相手の全てを快く受け入れているわけではない。

単純に「まぁいいや」が得意なだけなのだ。



嫌な事があっても、まぁいいや

言いたい事があっても、まぁいいや

傷ついたとしても、これくらいならまぁいいや



自分の中で話を終わらせたつもりでも、実際には、小さな違和感として残り続けていた。


そして、その「まぁいいや」が蓄積すると、ある日突然、その人との関係を終わらせる。


私の中では長い時間をかけて起こったことでも、
相手にとっては突然のこと。
明確な喧嘩や理由もなく、急に目の前で扉を閉められたように感じたはずだ。



そう考えると、私はずいぶん勝手なことをしてきたのだと思った。



嫌だったことや傷ついたことを、その都度言い合えた方が、関係は長く続くのかもしれない。
けれど私は、話しても理解し合えない可能性があると、最初から諦めていた部分があった。



これは友人関係に限らず、昔の恋愛にも同じことが言える。


一度人と付き合えば、最低でも二年以上は関係が続くことが多い。


しかし、その長い時間の中には、言いたかったけど言えなかったことや、やりたかったけどできなかったこと、してほしかったけど伝えられなかったことが、たくさん残っていた。


それらが蓄積していたからこそ、別れが惜しく感じ、ズルズルと関係を続けることも多かった。



まだできる事があるんじゃないか。


もう少し頑張れば何かが変わるんじゃないか。


何かをやり残している感覚があるから、納得できるまで関係性にしがみつこうとしていた。


でも、私が伝えていないのだから、伝わるはずがないのだ


そうして最後には、勝手に期待を裏切られたような気持ちになり、嫌いになって終わる。


当時の自分なりには、もちろん全力だったのだと思う。

ただ、相手と付き合い続けることには全力でも、
自分を見せることには全力を使っていなかった。


相手を理解しようとしすぎて、自分を理解してもらおうとしていなかった。

相手がどう感じるか、これを言ったらどうなるか、その先に起こるかもしれないことを先回りして考え、自分の気持ちを伝えないというリスクヘッジしていたのだろう。


けれど、その都度きちんと向き合っていないからこそ、関係が終わる時にも「本当にこれで良かったのだろうか」という気持ちが残ってしまうのだ。




そんな経験を重ね、今の私は、昔とはかなり変わった。


いつの間にか、傷ついた時には、何が嫌だったのかを相手に伝えられるようになっていた。
話し合い、和解できたなら一層仲が深まるし、どうしても理解し合えなければお別れする。

結果として関係が終わることは同じでも、自分の気持ちを伝えた上で終わるのと、何も言えないままで終わるのは、納得感が全く違う。


最近縁が切れた友人との関係もそうだ。

彼女との関係の中には、ペルソナで作った自分や、大きな嘘はほとんどなかった。
伝えたいことをその都度伝えてきたからこそ「仕方ないよね。人間関係にはそういうこともある」と、すんなり受け入れることができた。


私自身が、相手との関係性の中で"やり残したことがない"と、感じていたのだと思う。



「本当の自分で向き合った上で受け入れられないのなら、その方が納得できるし、後悔も少ない」



終わった関係からも、後になって大きく学べることがあるのだと思うと、人間関係はやはり奥深い。



こんな私にも、十年以上も変わらず仲良くしてくれている友人がいる。

彼らには、過去に一度 本気で喧嘩をしている という共通点がある。


当時の私は今よりもずっと未熟だったと思う。
それでも、本音をぶつけた私の手を取り続けることを選んでくれた。

今になって、そのことへの深い感謝が生まれている。




「裸の付き合い」という言葉の通り、裸の心でいた方が、人とは深く関われるのだと思う。


もちろん、いつも全てを見せる必要はないし、着飾ることで魅力的に見えることもあるのかもしれない。

こういうふうに見られたい、こういう自分だと思われたい、という気持ちは誰にでもあって、それ自体をなくす必要もない。


ただ、そう見られるための自分を演じ続けるよりは、「こういう人でありたい」と思う自分に本当になってしまう方が、ずっと楽なのではないかと思う。



人との付き合い方も、向き合い方も、素直である方が心地いい。



最近は、そんなシンプルなことを改めて感じている。


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