「減税より給付」――その政治、本当に国民のためですか?
政治には様々な考え方がある。
だから、与党にも野党にも賛成・反対があるのは当然だ。
私自身も、「与党だから正しい」「野党だから間違っている」と言うつもりはない。
ただ最近、どうしても納得できないことがある。
それは、「減税より給付」を優先する野党の姿勢だ。
物価は上がり続け、実質賃金は伸び悩み、家計は苦しくなる一方。
そんな状況で求められているのは、一度きりのお金なのか。それとも、毎日の生活を少しでも楽にする仕組みなのか。
私は後者だと思っている。
給付は”助け”、減税は”負担を減らす仕組み”
まず誤解してほしくないのは、給付金そのものを否定しているわけではないということだ。
災害時や急激な景気悪化、あるいは生活困窮者への緊急支援として、現金給付は非常に有効な政策である。
しかし、それはあくまで「応急処置」だ。
風邪をひいたときの解熱剤のようなもので、症状を和らげることはできても、根本的な体質改善にはならない。
一方、減税はどうだろう。
買い物をするたび、給料を受け取るたび、事業を営むたびに生じる負担を継続的に軽くする。
毎月、毎年、自然と家計に余裕が生まれる可能性がある。
もちろん、減税にも財源という課題はある。
だからこそ、「どの税を、どの程度、どの期間減税するのか」という設計が重要になる。
それでも、生活コストを恒常的に下げるという意味では、給付とは性質がまったく異なる政策だ。
なぜ、そこまで給付にこだわるのか
ここで私が疑問に感じるのは、
「なぜそこまで給付を優先するのか」
という点である。
近年の国会論戦を見ていても、減税を巡る議論では制度設計や財源を理由に慎重姿勢を示す一方、給付については比較的前向きな主張が目立つ場面が少なくない。
もちろん、それぞれに政策的な理由はあるのだろう。
給付は対象を限定しやすく、財政コントロールもしやすい。
一方で減税は制度変更が必要で、税収への影響も大きい。
そうした事情があることは理解できる。
それでも国民から見れば、
「また一度配って終わりなのか」
という疑問が残る。
毎月払う税金や社会保険料の重さは変わらない。
物価も下がらない。
結局、数か月後には再び同じ苦しさが戻ってくる。
「反対すること」が目的になっていないか
本来、野党の役割は重要だ。
与党を監視し、問題点を指摘し、より良い対案を示す。
それが健全な議会制民主主義である。
しかし近年、国民の目には、
「まず反対」
「実現可能性より批判」
という構図が映ってしまう場面もある。
もちろん、与党案に問題があるなら反対するのは当然だ。
むしろ、それが野党の仕事でもある。
しかし、その先に現実的な代替案や合意形成への努力が見えなければ、「反対のための反対」と受け止められてしまう。
政治に必要なのは勝ち負けではない。
国民生活を前へ進めることだ。
与党にも課題はある
ここは誤解されたくない。
私は与党を全面的に支持しているわけではない。
政策決定は遅い。
党内調整も多い。
期待していた改革が骨抜きになることもある。
減税の議論も、もっと早く進められたのではないかと思う。
だから与党にも改善すべき点は多い。
それでも、政策を実行する立場にある以上、建設的な議論によってより良い制度へ修正していくことが望ましい。
国民が望んでいるもの
政治は、本来シンプルなはずだ。
国民の生活を良くする。
その一点に尽きる。
ところが近年は、
誰が言ったか。
どの党が提案したか。
誰の手柄になるか。
そんな政局ばかりが目立つ。
SNSでは支持者同士が争い、
国会では対立がニュースになる。
その一方で、物価は上がり、税負担は重くなり、将来への不安は増していく。
国民が見たいのは、そんな政治ではない。
終わりに
減税が万能とは思わない。
給付が不要とも思わない。
どちらも状況に応じて必要な政策だ。
だからこそ大切なのは、「給付か減税か」という二者択一ではなく、どの政策が、今の日本にとって最も効果的なのかを冷静に議論することではないだろうか。
私は、野党にはもっと「反対する政党」ではなく、「より良い代案を示す政党」であってほしい。
与党には、実行する責任がある。
野党には、より良い選択肢を示す責任がある。
その両方が機能して初めて、日本の政治は前に進む。
国民が望んでいるのは、政党同士の勝敗ではない。
明日の暮らしが、今日より少しでも良くなること。
その当たり前の目的を、政治にはもう一度思い出してほしい。
