白紙には書けなかった。誰かが読むnoteだから続けられた
「書く瞑想」と呼ばれるジャーナリング。
続かなかった私が、“書くこと”を続けられたのは、
白紙ではなく、noteという“誰かの目に触れる場所”だったからです。
3日で終わった「朝のジャーナリング」
最初に挑戦したのは、
朝起きてすぐA4ノートに思ったことを書くという方法。
オタキング・岡田斗司夫さんのYouTubeで紹介されていて、
「セルフケアになるなら」と思って始めてみました。
でも、そもそも「朝早く起きる」が苦手でした。
ようやくペンを持っても、子どもが起きてきて中断。
朝がダメなら夜、日記として書けばいいじゃんと切り替えたけど、
疲れて子どもと一緒に寝落ちしてしまう。
よっしゃ!朝起きられた!と思ったら、
いざ書こうとすると全く書けない。
真っ白な紙、行間に合わせても、はみ出してもいいと
わかっているのに、
自由すぎて、迷ってしまう。
思いついたことをそのまま書けばいいはずなのに、
「だるい」「眠い」
そんな言葉しか浮かんでこず、時間だけが経ち…
結果、A4ノートジャーナリングは3日で終わりました。
放置していたnoteが、1年ぶりに目にとまった
そんなわたしが、ふたたび“書くこと”を始めたのはnoteでした。
Instagramで発信を始めてから、他のSNSも試してみようと連携したとき、思いがけず「1年前の記事」が出てきたんです。
忘れていましたが、わたし、noteユーザーだったんです。
そこから、また少しずつ書き始めました。
最初は、過去の出来事を自分なりに振り返る記録。
でも、続けていくうちに気づきました。
わたしは、見た目よりも「言葉で深く伝えたい」人間なんだと。
SNSに疲れたわたしに、noteが合っていた理由
InstagramやTwitterは、キャッチーな言葉が並ぶ場所。
短く、瞬時に伝える力が求められる。
でも私は、その“短くまとめる”が苦手でした。
なぜその考えに至ったのか。
どんな背景があったのか。
その人の内側にある物語を知りたい。
だから、わたし自身もそういう書き方をしたい。
noteは、それを許してくれる場所でした。
たとえ文章が長くても、わかりにくくてもいい。
わたしの思いを「受け取ったよ」と言ってくれる人が、ここにはいたから。
noteじゃなかったら、続かなかった
カウンセラーやコーチング、講師など
ノウハウや視覚的な情報を発信する人には
Instagramが向いていると思います。
でも、わたしは違いました。
見た目を整えることに時間をかけるより、
言葉で「考え」を整理したかった。
誰かを励ますつもりでいて、
実は一番癒されていたのは、書いている自分だった気がします。
中庸(ちゅうよう)というテーマと、noteの相性
今のわたしがnoteで発信しているのは
「中庸=ちょうどいい」という考え方。
極端ではなく、あいだを選びながら生きること。
それを、わたし自身の経験と重ねて書いています。
このテーマは、表やグラフでは伝わらない。
言葉で、丁寧に、物語としてしか伝えられない。
だからこそ、noteがちょうどよかった。
おわりに
「書くこと」でわたしは、
自分の中にあった“声”を聞けるようになりました。
白紙に書くのは続かなかったけれど、
noteという誰かの目に触れる場所だから、
わたしは“自分と対話”を続けられたのだと思います。
書くことは、癒しであり、思考の整理でもあり、
何より、“生き方”そのものになりました。
これが、わたしにとっての
#noteだからできたこと です。
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