なぜ私は調整役だったのかーHSPでもACでも説明できなかった理由
空気を読んで、人に気を遣いすぎる。
頼れない、甘えられない。
人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまう。
こんな自分に、心当たりはありませんか。
わたしは、この生きづらさを抱えて
何度も立ち止まってきました。
不登校、適応障害、うつ状態も経験。
人生のどん底に落ちるたびに
「私は社会不適合者なんだ」と思い込み、
自分を責めてきました。
そんな私が頼ったのが、
AC(アダルトチルドレン)
HSP
MBTI診断
といった“自分を説明してくれそうな言葉”でした。
「これは、わたしのことだ」
そう信じたとき、とても救われました。
理由がわかると、安心できたから。
「もう自分を責めなくていい」
そう、心からほっとしたのを覚えています。
でも、同時に残った違和感
説明はつく。
当てはまる。
過去の出来事も、今のしんどさも、
きれいにつながる。
それなのに、
どこか腑に落ちない感覚が残っていました。
「私は敏感だから」
「私はACだから」
「そういう役割をやらされてきた被害者だから」
そう理解した瞬間、
なぜか思考が止まったような感覚があったんです。
これ以上、深く考えなくていい。
考えなくても、もう理由はわかった。
そんなふうに、
安心と引き換えに、
問いを手放してしまったような感覚でした。
ラベリングで「守られた」けれど、止まってしまった
HSPやACという言葉に出会えたこと自体は、
私にとって必要なプロセスでした。
もしあれがなかったら、私は今も
「全部自分が悪い」
「私が弱いせいだ」
と、自分を責め続けていたと思います。
「被害者」として自分を理解することは、
確かに私を守ってくれました。
ただ、
その理解が「終着点」になったとき、
私は前に進めなくなっていました。
中庸という視点と出会って、浮かび上がった問い
中庸という視点に触れ、
少しずつ回復を感じる日々の中で、
私の中に、ある問いが浮かび上がってきました。
多くのACに関する発信では、
「調整役をやってきた」
「家族の中で役割を引き受けてきた」
というところまでは、丁寧に説明されています。
私自身も、そこまでは理解できていました。
でも、
「なぜ“私”が、その役割を担うことになったのか」
「なぜ、他の誰でもなく、
私がその位置に配置されたのか」
その問いについては、
あまり語られていないことが多い。
だからこそ、理解が
「被害者」
「癒されるべき存在」
というところで、止まりやすいことに気づいたんです。
私もまさに、そこにいました。
確かに、被害者として自分を理解できたことで救われたし、
自分を責めることも減りました。
けれど同時に、
「じゃあ、なぜ私はここに立たされたのか」
という問いは、置き去りにされたままだったんです。
中庸とは、
「どちらが正しいか」を決めるものではなく、
「全体の構造・バランスを見る」視点です。
この視点で見たとき、人生の見え方が変わったんです。
中庸と出会って、私は初めて、
これは
HSPだからでも
性格が優しいからでも
長女気質だからでもなく、
ある家族の構造の中で、
必要とされて生まれた“配置”だったのではないか
と、考えるようになりました。
ここからは、
私がその「配置」を、言葉にしていきます。
生まれつきの気質や性格として
片づけられてきたものを、
自分の生い立ちを振り返りながら、
「なぜ私だったのか」という視点で見直しています。
もしあなたが、
・繊細すぎると言われてきた
・いつも場の調整役になって疲れてしまう
・甘えたいのに、どこかでブレーキがかかる
そんな感覚を抱えているなら。
それは、あなたの弱さや欠点ではなく、
あなたが置かれてきた「構造」の結果かもしれません。
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ここから先では、
私がどんな家族の空気の中で、
どんな役割を無意識に引き受け、
なぜその位置に立ち続けることになったのか。
そして、
そこから降りるという選択に至るまでを、
家族システムの視点で、丁寧に言語化していきます。
「癒されるべき存在」で終わらせないために。
自分の人生を、自分の位置から生き直すために。
※本記事は、Kindleで書いた内容の「続き」にあたります。
Kindleでは序章として全体像をまとめましたが、この記事では「なぜ私だったのか」という構造の部分を、より具体的に掘り下げています。
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