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「やめたら楽になる」は、いつも正解じゃなかった

こんにちは、みほです。
今日は自分の中で、とても大きな気づきがあったので、書き残しておこうと思います。


子どもと遊ぶのが、楽しくない

最近のわたしの悩みは、
子どもと遊ぶのが楽しくないこと

家族でインフルエンザにかかり、約10日間、自宅に缶詰状態での看病と療養が続いたことも影響していると思いますが、正直に言うと、まったく楽しく感じられません。

理由は、はっきりしています。

「考えること」が、楽しすぎるから。

3月から始めたnote。
4月から引き継いだPTA。
続けている在宅の仕事。

どれもそれなりに大変で、
「もう無理」「こんなのやってられない」
と思った日もあります。
それでも、振り返って思うんです。

わたし、考えることが好きなんだなって。

どうしたらいいかな。
どうしたら、みんなが少し楽になるかな。
どうしたら楽しめるかな。
次の人が困らないようにするには、
どう整えたらいいかな。

そんな工夫や調整を考えて、話し合って、形にしていくことに、わたしは確かなやりがいを感じています。

だから今のわたしは、
子どものポケモンごっこに割く思考の余白が、残っていない。

その結果、子どもたちは不満そうで、
「家にいるのに、全然遊んでくれない」
そんな空気をまとっています。

今のわたしは、たぶん
「仕事楽しい病」なんだと思います。


同じことを、繰り返してしまっている気がした

多忙な両親のもとで育ったわたしは、子どもの頃、寂しさを抱えていました。

だからこそ、自分が親になったときは、同じ思いをさせたくないと強く思ってきました。

在宅の仕事を選んだのも、それが理由でもあります。

でも、今の自分を見て、はっとしました。

「自分が親にされて嫌だったことを、
形を変えて繰り返してしまっているのかもしれない」

だからといって、
今のわたしがすべてを辞めて、家事と育児だけに専念したらどうなるか。

想像すると、
わたし自身がバランスを崩してしまう気がしました。


『やめたら楽になる』は、いつも正解?

子どもが寂しがっている。
だから仕事をスパッとやめる。
そんなママもいますよね。

それも、ひとつの選択です。
誰でもいっぱいいっぱいなときは、
「やめよう」「そしたら楽になる」と考えますよね。

わたし自身も、
学校に行けなくなったとき、
仕事を続けられなくなったとき、
「やめる」を選んで、確かに楽になった経験があります。

だから今回も、
「やめたら楽になるんじゃないか」
そう考えました。

でも今回は、どうも違和感があったんですよね。

「やめたら楽になる」んじゃなかったの?
これが、今回のわたしの一番の疑問でした。


違和感の正体に気づく

この違和感の正体を探っていて、思い出したのは、
学校や仕事に行けなくなった、あの頃のこと。

あのとき楽になったのは、
「やめたから」だと思っていたけれど、本当は違ったんだと思います。

自分を削らないと成り立たない場所から、離れたから。

学校そのものが悪かったわけでも、
仕事そのものが向いていなかったわけでもない。

ただ、その環境、そのペース、その前提が、
当時のわたしには合っていなかった。

だから、「やめる」ことが必要だった。

そして今のわたしは、逆です。

疲れてはいる。
キャパオーバー気味でもある。
でも同時に、「生きている感じ」もしている。

考えることが楽しい。
調整することに、やりがいを感じている。

ここで全部をやめてしまったら、
わたしはまた別の形で、バランスを崩す気がしました。


二択じゃなくて、調整だった

ようやく気づいたことがあります。

今のわたしに必要なのは、
「やめるか、続けるか」の二択じゃない。

どこを、どう調整するか。

子どもと遊ぶ時間が足りないなら、
仕事をゼロにするんじゃなくて、
「遊び方」や「関わり方」を見直せばいい。

毎日全力で遊ばなくてもいい。
長時間じゃなくてもいい。

今のわたしにできる、
ちょうどいい関わり方を探せばいいんだって。

「やめたら楽になる」は、いつも正解じゃない。
でも、「無理して続ける」も、正解じゃない。

そのあいだで、揺れながら、調整していく。

それが、今のわたしにとっての
中庸なんだと思っています。

今日も、ちょうどいいを探してる🪴


最後まで読んでくださって、ありがとうございました!


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