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ドラマ「紫色大稲埕」を見て。

紫色大稻埕、エピソード22回最終回を見終えました。
台湾と台湾の人々の歴史を、肌で感じる感覚で理解できる良いドラマでした。俳優達の演技も素晴らしく、それぞれの時代背景や人物像をよく表現していたと思います。自宅から20分程のところにある大稲埕、次に埠頭に立つ時は、また違う想いと感慨を巡らせることでしょう。

市井の台湾語、日本語教育、戦後の華語の時代、台湾語と華語は全く通じないため、この時代を生きた台湾人は3つの言語を使っていくことになります。日本人には、とてもその苦労は分からないのではと思います。

また、第二次大戦後、昨日まで日本人だった台湾人(内省人、600-650万人)の世界に、日本と戦った外省人(100-120万人)が移住して支配者となります。しかもその統治能力の低さが原因で、悲惨な二・二八事件が発生、多数の市民や知識人が犠牲となり、以後38年間にわたり戒厳令が施行され、言論・出版・集会の自由を厳しく制限、多くの政治犯が逮捕・処刑された「白色テロ」の時代になります。

このドラマの主人公達が自覚した、1920年代に醸成された民族意識、台湾人意識は、戦争・政治の中で翻弄されていきます。

台湾人自身の手による自分たちのリーダーの選出は、1996年の初の総統直接選挙になります(投票率約76%、得票率約54%で、李登輝が選ばれました)。17世紀に台湾が歴史に登場して以来、400年近い歳月を経て、初めて実現した自分たち自身によるリーダー選出だったのです。

日本に住んでいると、歴史的に、戦後の短い占領期を除けば、自分たちのリーダーは同じ日本人でありつづけてきたし、当たり前の感覚でした。
台湾人の自治、民主化という意味の尊さ、貴重さを、こちらに住んで実感しました。また、選挙に於ける投票率の高さにも、そうした歴史的な経緯が表れているのだと感じます。

Youtubeのコメントには、下記がありました。
「見るたびに涙が出ます。私たちが今日享受している自由は、先人たちの努力の賜物です。」
「祖父が生きた時代を感じ、夢を持って日本の大学に留学した祖父の気持ちを考え、自分なりに感じる事ができました(^ω^)台語,日文,中文,漢語,聞いていて心地良いです✨」

紫色大稲埕は、作家・謝里法の小説『紫色大稻埕』を原作とする2016年放送の台湾ドラマ。舞台は日本統治時代の台北・大稲埕。茶貿易で栄えた商業都市を背景に、芸術を志す若者たちの成長や恋愛、友情を軸として、台湾近代美術の黎明期を描きます。劇中には、郭雪湖、陳進、林玉山、陳澄波、石川欽一郎、蔣渭水など実在の芸術家・文化人が数多く登場し、台湾美術展覧会(台展)の創設や文化運動、民族意識の高まりを織り交ぜながら、台湾近代文化の形成過程をドラマチックに描いた歴史作品です。

台湾の日本統治時代(1895-1945年)は、初期の「武力鎮圧・基盤整備期」から、1920年代に入ると「同化政策・文化振興期時代」と言われる様に、社会は落ち着き、統治も比較的穏健な方向へ転換していきます。教育制度が拡充され、公学校も各地に設置、台湾人エリートの育成も進みはじめました。台湾人の地方議会参加や自治要求も徐々に認められようになります。蔣渭水による文化運動や、台湾文化協会の活動が活発化するのもこの時期です。美術では石川欽一郎の指導の下、陳澄波、郭雪湖、林玉山、陳進らが活躍しました。この映画の始まりは、この比較的明るい雰囲気の時代が中心になります。

1930年代後半、日中戦争が激しくなるにつれて「皇民化政策・戦時体制期」となり、台湾人の日本語使用を強く推進、神社参拝を奨励、日本式姓名への改名(創氏改名)も認可されます。皇国臣民教育を徹底し、志願兵制度(1942年から徴兵制)を実施、多くの台湾人が軍務に従事していきます。産業も軍需中心へ転換していきました。

しかし、1945年8月の日本の敗戦と共に、日本は台湾統治を終了、同年10月25日、中華民国政府への統治権移管式典が行われ、行政は日本から蔣介石率いる中華民国へ引き継がれました。当初、多くの台湾住民は祖国復帰への期待を抱きましたが、中国大陸から赴任した官僚や兵士による汚職や経済混乱、行政能力の不足から社会不安が拡大します。その結果、1947年に二・二八事件が発生し、多数の犠牲者を出しました。陳澄波もこの時に犠牲になりました。台湾は蔣介石政権下で戒厳体制へ移行し、日本統治時代とは異なる政治・社会体制が築かれました。

筆者まとめ


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