見出し画像

何も起きなかったのは、空騒ぎだったからではない——「2000年問題」が遺した、『成功した予防』という見えない仕事

1999年の暮れ、世界中の人々が、ひとつの数字の切り替わりを固唾をのんで見守りました。「99」から「00」へ。たった2桁の年が変わるその瞬間に、銀行が止まり、電気が消え、飛行機が落ちるかもしれない——本気で、そう恐れられていました。

「2000年問題」、いわゆるY2Kです。

古いコンピュータの多くは、西暦を下2桁だけで記録していました。1999年なら「99」。ところが2000年は「00」。これを機械が「1900年」と読み違えると、計算がめちゃくちゃになる。年齢が百年分も狂い、利息計算が狂い、システムが日付を理解できず止まってしまう——。世界はそう身構え、米国だけで日本円にして10兆円を超える額が、この問題の対策に投じられました。

そして、2000年1月1日が来ました。

——何も、起きませんでした。

飛行機は落ちず、電気は消えず、銀行は普通に開きました。人々は拍子抜けし、やがてこう結論づけます。「なんだ、ただの大騒ぎだったのか」と。Y2Kは今や、「専門家が煽った、ばかげた空騒ぎの代名詞」として記憶されています。

多くの人が、そう理解して、そして忘れました。

では、ここで問います。

本当に、Y2Kは空騒ぎだったのでしょうか。何も起きなかったのは、最初から問題なんてなかったからなのでしょうか。

答えは——おそらく、あなたが「あの騒ぎは無駄だった」と感じている、その感じ方そのものを、静かに書き換えます。

なぜなら、「何も起きなかったこと」こそが、人類史でもまれな、ある仕事の成功の証だったかもしれないからです。そしてその仕事は、成功すればするほど、なかったことにされる宿命を負っていました。



世界が、年末の数秒に身構えた理由

1990年代後半、冒頭で触れた「2桁の年」が、世界中の心臓部に埋め込まれていることが、改めて意識されはじめました。

銀行の勘定系、電力網の制御、航空管制、医療機器、政府の年金システム——社会の根幹を支えるシステムの多くが、何十年も前に書かれた古いコードの上で動いていた。その奥深くに、2桁の年が眠っている。誰が、いつ、どんな前提で書いたコードなのかさえ、もうわからない。それが社会の至るところに散らばっている。

恐怖が現実味を帯びたのには、理由があります。世紀末を待たずに「予兆」が起きていた。有効期限が「00年」のクレジットカードを、機械が「1900年で期限切れ」と判断し、決済を弾いてしまう例が、すでに出ていたのです。

人々は、最悪の連鎖を思い描きました。発電所の制御が止まれば、停電が起きる。停電が起きれば、銀行も、通信網も、病院も止まる。一つの誤作動が、ドミノのように社会全体を倒していく——。報道は過熱し、缶詰や水を買い込み、現金を引き出し、地下シェルターの準備を始める人々まで現れました。

各国政府と企業は、本腰を入れます。専門の対策本部が置かれ、何十万人ものエンジニアが動員され、世界中の古いコードが一行ずつ点検されていきました。

そして、1999年12月31日。

世界は、ニュージーランド、日本、ヨーロッパ、と地球の自転に合わせて次々に訪れる「2000年0時」を、息を詰めて見守りました。各国の管制室では、エンジニアたちが画面の前に張りつき、その瞬間を待ち構えていた。

そして、年は明けた。

——何も、起きませんでした。


「2桁の西暦」という、時限爆弾の正体

ここから先は

4,599字

メンバーシップ ¥ 500 /月

世界は、見えているとおりには動いていません。 ニュースの裏、お金の裏、人の行動の裏——そこには、表か…

Metis Pro

¥500 / 月

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?