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雑談回 6月号(Audibleとか音楽とか)

レベッカ・ソルニットの「ウォークス 歩くことの精神史」をようやく読み終えて、一緒に贈っていただいたもう一冊 マヌエル・デランダ著「社会の新たな哲学 集合体、潜在性、創発」を読みはじめました。集合体(アッサンブラージュ)はドゥルーズ・ガタリのリゾームを発展継承したものと言われていますが、それは確かにそうで、実際のところドゥルーズ自身も集合体について各所で散発的に言及していたようなのですが、これを単に一つの本に集約するものではなく、ドゥルーズの議論を土台にしつつも、そこからより深い独自の集合体論の展開を試みたのが、この「社会の新たな哲学」のようです。

詳しい感想はまた改めて書くつもりですが、かなり面白そう、というかすでに面白いです。が、そもそも千のプラトーくらいしかこの話の下敷きになる書籍はなく、おそらく日本ではほとんど議論もされていない概念なので、わたしの中に予備的な知識やリテラシーがほぼ皆無であり読んでいくのはなかなか大変でもあります。しかし、最近ではもはや恒例になりましたが、今回も Gemini の力を借りて読み進めています。基本的には、章の中の小項目を読み終えるごとに Gemini に項目の見出しを伝え、それぞれの内容についてディスカッションする形で進めています。

このやり方は、エドゥアルド・コーンの「森は考える」以来、手強い本相手に続けていますが、普通に読むよりもかなりの牛歩戦術にみえて、実は難解な書に対しては最速の読み方かもしれないと思っています。というのも、そもそも難解過ぎる本は普通にかかれば初手から読めませんので、読了までにかかる時間は無限大Infinityです。ですから、これをゆっくりでも読み進められ、そして読み終えられるというのは無限を有限に落とし込むということであり、不可能を可能にするということでもあります(そうかな?)。なにを申しているかというと、要するに Gemini さえあればどんな本でも読めなくはないということです。要さなくてもそういうことしか言ってないですね。

それはさておき、Audible で

という本を聴いたんですよ。ちなみにしても、本を読むのが読書なら、本を Audibleで聴くことは聴書ちょうしょと呼ぶべきなのでしょうか? Audibleで聴いただけの本を「ああ、その本なら読んだことあるよ」と言ったらそれは嘘をついたことになりますか? でも「ああ、その本ならきいたことあるよ」と言った場合、その本の話題を聞いたことがあるよという意味に取られるでしょうし、だからといって「ああ、その本なら読んではいないけど、Audible で聴いたよ。あっ、Audible っていうのはあれさ、Amazon がやっている本の朗読コンテンツで。これがまたなかなかよくって。サブスクもあって、月額がうんたらかんたらで、拙者は仕事中にながら聴きをしていてああでこうで……」という話を一生しなければならないのは無理ですよね。

話は戻りますが、この本おすすめですよ。論としては、冷静に読めばすこし粗いと感じそうですが、ながら聴きとしては十分に楽しめました。

さて、思考停止というのは、一言でいえば「自分の頭で考えるのを放棄した状態」のことですが、本書はこの思考停止を単なる状態とは捉えず、日本人の、とくに最近の若い人に顕著な一種の病理であると説いています。詳しくは読んでいただくとして、ここではちょっとした感想めいたものを交えて書いてみます。

著者は日本人が思考停止しがちであることの基本的な原因を教育のあり方にあるとしているのですが、顕著な例として最近の学校教育における二つの変化を取り上げていて、そのいずれもがわたしにとっては非常に驚きでした。一つ目は、英語教育が以前の読み書き主体のものから、リスニングと会話に重点が変わっているという話。これは1993年頃からそうなったということらしく、それでいくと最近の話でもないのですが、わたしが大学を卒業したのが1994年なので、こういう変化があったことも知りませんでした。

それはともかく問題は、それ以降、日本の学生の英語読み書きのレベルが低下し続けている一方で、英語が話せるようになる人が以前に比べて増えたかというと実はそんなこともなかった、ということです。この時点でわたしにはかなりショッキングでしたが、著者の主張では問題はそれだけではありません。

英語の読み書きはあとで触れる現代国語を学ぶことと並んで思考力を鍛えるための重要なトレーニングであったが、そのための時間が大幅に減ってしまった。一方、その代わりに始まった日常英会話の学習は思考力を鍛えるトレーニングにはなり得ない(なぜならアメリカでは、それは小さい子供が自然にやっていることだから)。つまり、お上が国際化社会を迎える将来を見据えて英語が話せる人材を育てることを教育カリキュラムに組み込んだものの、そんな人材が育たなかったばかりか、自分でものを考える能力を十分に育てられていない人ばかりが増えたというわけです。

話は前後するのですが、そもそも著者は国語(現代国語)こそが思考力(あるいは思考停止しない力)を磨くための最重要トレーニングだと考えているようで、これにはわたしも完全に同意します。というのも、思考は言語によってなされますから、思考=言語といってよく、であるなら言語能力=思考能力といってもよいわけですが、言語能力を磨く、あるいは鍛える学習カリキュラムといえばそれは当然ですが国語です。そして、言語を学ぶという意味で国語も英語も同じで、国語力と英語を学ぶ能力は相関するというのも道理ではあろうな、と思います。

国語についても色々と驚かされるエピソードやデータが紹介されているのですが、なかでも一番びっくりしたのは、いまの大学生の約半分は「本をまったく読まない」ということでした。もちろん教科書は別ですよ。にしても、大学の4年間って「授業には最低限しか出てないし、遊んでばっかりだったけど、本だけはたくさん読んだ」という思い出しかないわたしにとっては理解の難しい話です。が、いやでも当時でもまわりの学生たちがみなつよつよの読書家だったかというと、そうでもなかったなと徐々に記憶を取り戻していくのですが、それでもまったく読まないという人は、すくなくともわたしの交友範囲にはいませんでした。

あっ、ちなみにこの本の著者が一番言いたそうなのは「もっと本を読めって、読まなヤバいって」ということだと思いますので、このまま本を読むことについて書かせてもらいます。

思考停止しちゃうのは思考を続ける力がないってことだと解釈するなら、思考を続けるために必要な要素は、種々様々な考え方(フレームワーク)と抽象度の高い視点を持っていること、フレームワークに放り込む思考の材料としての知識・情報を逐次手に入れていること、それから集中力の持続性といったあたりでしょうか? こういった要素を獲得するのに読書よりも適したものはまあ、ないといっても間違いではないと思います。一人の人間の一生はとても短いので、実経験からそのような要素を身につけるのは大変かつ非効率なのですが、なぜか割と多くの人が自分の人生経験(の濃密さ、特別さ)に自信を持っていますね。そして、そういう人ほど本を読んでいませんよね。

まあですから、本を読んでいないがゆえの思考停止ということでは、これはなにも最近の若い人たちに限った話ではありません。とはいえ比較的若い人たちは、きっかけさえあれば本を読むようになる可能性はあるあるですし、30歳くらいまでは脳にもそれに伴って思考能力を向上させる余地があるようですから、たぶん希望はあります。もっとも、希望があるというのは第三者視点の話であって、本を読まない若い人たちが自分自身についてこのままでは希望がないかもしれない、ということを認識しているかというと、それはちょっとどうであろうな、と言わざるを得ませんね。きっかけ、あればよいですね。

まあでも、いずれにせよ、本を読めといったって、読みだしたらいきなり思考停止しなくなるわけでは当然ありませんし、思考停止しないのは自動車で言ったらエンストしないというだけのことですから、本当の問題はそれからどれだけ読むかと、どんな内容(質)のものを読むかです。例えばわたしで言っても、ざっと均せば週に一冊(年間約50冊)くらいは人生を通してずっと読んできたと思います。まあそれを20代からとしても、55歳の現在までにはすくなくとも約1750冊くらいは読んだことになりそうですが、その蓄積というものはやはり大きいと言わざるを得ないです。別に自慢とかではないのですが、こと知識量とか思考力という点では、若い人たちに対するセイフティーリードをすでに得ちゃっていると思います。というか、そうでなくてはいけなくないですか? そういう大人が世の中には一定数は存在していて、そういう人たちが色々なことを書いて残して、あとに続く世代の人たちがそれを吸収し、そしてそれを乗り越えて先に進んでいくということを、日本で言ったら平安時代ぐらいからやってきているわけですよ人間は。

わたしはなんの接点もないような特定の誰それがどうなろうと知ったこっちゃないと実は思っている(だってわたしにはどうしようもありませんから)んですが、人間全体としての進歩・進化には貢献したいと思いますし、貢献せざるを得ないとも思っています。ですから、なにか書く以上はちゃんとしたことを書こうとするわけですが、しかしそれも結局のところ「本をたくさん読みましょう」の一言にまとめられないこともない、のです。それくらい本を読むことは大切ですし、本を読まないということはそれだけで気の毒なことです。

ちなみに、巷には思考を止めたくて止めたくて仕方がないという人々もいるようですが、それってすでに思考停止しているのでは!? と逆転の発想をおすすめしなくもないです。


この本もよかったです。わたしは多忙でもないし、多忙感もゼロなのですが、そうなる以前は多忙かつ多忙感に苛まれてもいましたので、よく分かる話でした。実用的なアイディアも盛り込まれているので、きっと多くの人に役に立つでしょう。


成瀬めっちゃ好きやな! と思われそうですが、実際めっちゃ好きなので。都を駆け抜ける(3巻)は書籍で読んだのですが、1巻と2巻は Audible で聴いたこともあって、こちらも聴いてみました。成瀬の Audible は朗読の人の力量がめっちゃすごくて、書籍で読んだ人も聴いてみる価値アリです。一度目読んだときもよかったですが、今回はなにが起きるか知っているうえに朗読力のエモみが乗ってきて、最後らへんちょっと泣いてました。

ちなみに、Audible は下記のセットで聴くと、めちゃめちゃエモいのでおすすめです。

これは語学とか音声講義などの学習専用のイヤホンなのですが、人間の声を美しく正確に聴かせることに特化しています。ゆえに、Audible との相性は最高で優勝です。このイヤホンを買ってから、自宅でも Audible を聴くことが多くなりました。

ちなみに、音声特化とはいっても普通に音楽も聴けますよ。チューニング的にはいわゆるカマボコ型(低音域と高音域を控えめにして、人間の声の帯域を含む中音域を強調している)なので、ボーカルがとても綺麗に聴こえます。楽器の音は後ろに下がってしまうので全体として優しい音になります。歌詞をじっくり聞き取りたいときや、聴き疲れせずリラックスしたいときには全然アリです。作っているのは final という日本が誇るオーディオメーカーなので、基本的なポテンシャルが高いイヤホンです。

最近のスマホはイヤホンジャックがついてませんが、これをスマホに挿せば上のような有線イヤホンを使うことができます。ただし、USB-C対応なので、Lightning 仕様のiPhone には使えません。Androidスマホならどれでもいけます。DACと呼ばれるもののなかでは一番安い部類ですが、これもちゃんとしたオーディオメーカーの製品で、音質もかなりいいです。オーディオマニアでなければ、これで優勝でしょう。

STUDY1 を上の AZLA の DAC で使ってみて「いいじゃん」と思った人は、その勢いで

これも買ってみましょう。こちらも同じ final の価格帯的にも同クラスのイヤホンですが、こちらは完全に音楽用です。この値段でこんなに良い音がするの!? となること請け合いです。むしろ、STUDY1 を飛ばして E2000 で Audible もいっちゃうまでアリですが、Audible のエモさだけでいったらやはり STUDY1 のほうが上ですね。

ところでお前、ちょっと前にオーディオ製品は整理してミニマルで行くとか言ってなかったか? と思われた方もいるかもしれません。まあ、それはそれとして、いいものですよ有線イヤホンって。


ぐるぐる回ってる

物事が一巡りして戻るべきところに戻って来ることを英語で "Full Circle Moment" というそうです。こないだある人の記事で知りました。いわゆる「一周回った」というやつですね。もしくは「釣りはフナに始まりフナに終わる」といって、子供の頃フナ釣りから釣りの世界に入った人が老年になってフナ釣りに戻って来るみたいな、そういうあれが Full Circle Moment らしいです。

最近、音楽でこの Full Circle Moment の波がどっと押し寄せてきていまして、川本真琴(2周目)、Avril Lavigne(1周目)、ほんまの初期のサザン・オールスターズ(4周目)などをよく聴いています。

川本真琴のDNA二重らせんはまさに「ぐるぐる回ってる」時間のらせん構造を示す Full Circle Moment時の円環 にぴったりな曲かもしれません。知らんけど。この前、M田くんに聴かせたら驚いていましたね。1996年の曲ですから、ちょうどこの世に生えてきたばかりの彼(30歳か31歳)が知らないのも無理はありません。個人的には、そんな昔になるのかと、驚くばかりです。

Avril Lavigne は悪い薬物にハマり出した頃にめっちゃ聴いていましたね。洋楽は、Daft Punkとかケミカル・ブラザーズとか Underworld 、あとカーディガンズとビョークも聴きましたが、いま聴き直してみたら Avril Lavigne が一番カッコいいと思いました。最近のわたしは女性ボーカルばかり聴いていますが、アブリルの声は貫通力がすごいですね。優勝していると思います。ファーストテイクのコンプリケイテッドなんか、かなりヤバいですよ。ちな、一番好きな曲は Sk8er Boi です。

小学3年生のときに、叔父にもらったのがサザン・オールスターズの10ナンバーズ・からっとのカセットテープで、家にあったラジカセでめちゃくちゃ聴いてたんですが、これがわたしの人生における最初の音楽体験でした。小学3年生にはいささか大人すぎる歌詞の曲ばかりで「ちょっと何言ってるか分からない」と思いながら聴いていた記憶があります。

10ナンバーズ・からっと はサザンの2枚目のアルバムで、リリースは1979年です。このアルバムに「いとしのエリー」が入っていますが、わたしが一番好きなのは「思い過ごしも恋のうち」です。

このアルバムは2024年にリマスターされていてYouTubeで聴けますけど、これが音質がめっちゃよくて、40何年前に聴いていたのと楽曲の印象がぜんぜん違いますね。そして、この当時というか、桑田佳祐は最初から天才だったんだなということを改めて思い知ります。個人的には、サザンが本当にサザンぽかったのは1982年の「チャコの海岸物語」までだったと思うんですが、なかでも「熱い胸さわぎ(1枚目)」「10ナンバーズ・からっと(2枚目)」「タイニイ・バブルス(3枚目)」の3枚のアルバムはいい曲が多い印象です。

チャコの海岸物語は、曲としてはそんなに好きではない(当時、流行りすぎたので)のですが、イントロの秀逸さにおいてはわたしの知る音楽すべてのなかで優勝です。カモメの鳴き声をかき消すようにはじまるピアノの短いフレーズに続く抱きしめたいの歌詞は奇跡的にエモいです。こういうのってやっぱり音楽の神様が降りてきてるんだと思うわけです。

今回はこれで以上です。読んでくださってありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう。

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