掘り起こせ、三千年の謎 ー古代エジプト展に行ってきたおじさんの談
4月8日の水曜日、あべのハルカスまで古代エジプト展を観に行ってきました。恒例の体調不良によって3月まで中之島美術館でやってた「拡大するシュルレアリスム」という展示を観に行きそびれてしまって、これが今年最初の見学行動です。
古代エジプトというと、なんといっても3000年というその王朝の歴史の長さは圧倒的でこれに比肩しうる他の王朝というと、日本の天皇家くらいしかないのですがそれでも2000年前後(日本書紀にある神武天皇の即位年を史実とするなら2686年ですが、実際には10代崇神天皇あたりからとすれば紀元前後からになります)です。
いきなりオカルトロマンな話になってしまいますが、ウエツフミや宮下文書、竹内文献といった別々の地域で見つかったとされる古文書にはウガヤフキアエズという王朝の存在が記録されています。この王朝はウエツフミと竹内文献では74代、宮下文書では52代続いたとされています。宮下文書だけ代の数がかなり違いますが、これは一部が欠落しているとみられ、一致しているウエツフミと竹内文献における74代がおそらく正しいのでしょう。仮に1代の平均年数を20年とすると、1480年続いたという計算になりますが、ここで春秋二倍歴(春夏で1年、秋冬で1年と数える暦法)という仮説上の考え方を導入すると、2960年となり、これはそのまま古代エジプトの三千年という王朝の歴史と長さだけでいうと符合してしまいます。
かなり強引な話をしているのは承知の上なのですが、そもそも春秋二倍歴というのは神武天皇から17代の仁徳天皇までの平均寿命が100歳を超えていることなどから、この時代には年の数え方が違っていたのではないか? そう考えるとある程度辻褄が合うのだが、という感じで仮説として提唱された考え方です。ここがミソで、この仮説がもし正しいのだとしたら、神武王朝以前の日本においてもそのように年を数えていたと考えるのは不自然ではありません。ウガヤフキアエズ王朝という王朝の存在はすくなくとも史実としては認められていませんが、神武天皇の父親の名が「鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であるというのは記紀にも書かれていることなので、ウエツフミや竹内文献がなんの根拠もない作り話をしているとも思えないのです。
ここからは話を端折りますが、わたしはウガヤフキアエズ王朝は日本以外のどこか(大陸側)にあった古代王朝であり、その王朝の記憶を持った人々が日本へと渡来してきて、それがのちの神武天皇たちへと繋がっているのだと考えています。天孫降臨という「天降り」の伝説はこれらウガヤ王朝の血を引く人々が大陸から日本へやってきたイベントを象徴しているのだと考えると、これもしっくりきてしまいます。
では約3000年にわたって72代も続いた王朝が地球の歴史に存在しているかというと、それがエジプトなんですよね。エジプト以外にはありえません。ただし、古代エジプトの王朝は第1王朝から第31王朝までです。しかし、各王朝に王が何代いたのかとなると、これは少なく見積もっても180代以上となるようです。王朝によっては内乱によって1年以内に王が何度も変わるような時代もあったので、そういうのを1代と数えるかどうかが非常に難しいのですが、すくなくともウガヤ王朝の72代という数字は十分に満たしています。
ウガヤフキアエズとは漢字で書くと鵜葺草葺不合となりますが、
『日本書紀』によれば、鸕鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を草(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうかやふきあわせず)」と名付けたという。
という、あまり縁起のよい意味ではなさそうな名前です。そもそも鵜葺草葺不合命のお母さんである豊玉姫は海神であり龍神でもある綿津見神の娘です。そして、鵜葺草葺不合命の奥さんは玉依姫というのですが、なんと彼女は豊玉姫の妹なのです。え、ちょっと待って、どういうこと!? ってなると思いますが、どういうこともなにも、鵜葺草葺不合命は自分の母の妹つまり叔母と結婚しているのです。そうして生まれたのが神武天皇なのです。
このいきさつを実在の人物間に起きた出来事だと考えると確かに不可解なのですが、鵜葺草葺不合命を実在の個人とせず、過去に存在した王朝の歴史すべてを凝縮して擬人化した存在であると考えるなら、この海神の娘たちとの交わりは、かつて海の向こうに存在した王朝が滅亡の憂き目にあい、落ちのびた王族が複数の海洋民族に助けられ、長きにわたる海の旅を経て日本へとたどり着いたというエピソードを象徴していると読めなくもないです。
仮にそうだとして、これがどのエジプト王朝の人々のストーリーであったかというと、最後の第31王朝はエジプトを征服したアケメネス朝ペルシアのたてた征服王朝なので、この王朝だとすると話に整合性がありません。したがって、その直前にあたる実質エジプト人による最後の王朝であった第30王朝(前343まで)かもしれません。おそらく本当の初代天皇だったのではないかとも言われる崇神天皇の在位期間が3世紀ごろと考えられているので、エジプトから日本まで来るのにおよそ500年ほどかかった計算になりますが、初代神武天皇を除くと2代綏靖天皇から9代開化天皇までは系譜以外の情報がほとんど記録に残っていない(欠史八代)のですが、この10代を春秋二倍歴でみれば大まかに合致してくるのではないでしょうか。
ちなみに竹内文献だとウガヤ王朝以前にも複数の王朝が名を連ねていて、万年単位で遡れるのですが、それはさすがにどうかとして、ひとまず竹内文献が言うには超古代では日本が世界の中心で、日本のスメラミコト(天皇)が世界を統治していたそうです。しかし幾度かにわたる天変地異によって日本の土地を追われることになり、逃げ延びた先がシュメールでした。そしてシュメールで文明を復興させた天皇の一族が東、つまり日本への帰還を目指したが、このことが神武東征の元ネタではないかということが高坂和導さんの竹内文書の本には書いてありましたが、わたしはシュメールのあと、エジプトを経ていると思います。このあたりの話は下の記事にも書いてます。オカルト脳全開で書いた記事なので真に受けないでくださいね。
さて、この話を続けていくと永遠に終わらないのでこのあたりでやめておきましょう(気が済んだので)。それではエジプト展の話に戻ります。
古代エジプト展
というわけで行ってきました。

念の為最初に言っておきますが、ツタンカーメンは来ていません。ちなみにわたしの関心は「頭の長いファラオ」にあります。あれはそういう帽子だろ、という意見もあります(※意見じゃなくて定説です)が、わたしは認めていません。長頭の神や王族は世界中の神話などに普遍的に見られるもので、日本の平安貴族の烏帽子なども、その名残だったと思っています。コーンヘッドの話は古代メキシコ展に行った時の記事でもしています。しつこいですね。

ほら? ほらね? これは長頭人やないか。長頭人の頭が縦に長いのは、お産のときに頭が横長だったり単に巨大だったりしたら出てこられないからで、ヒューマノイド型生物の脳が進化して大きくなるにはこの方向しかないからなんです。

しかし、頭が長くない普通の王様もおるねん。ほな長頭人と違うかあ。でもな、こういうのもあるねん。

これは完全に長頭人やないか。長頭人は頭が長いことを隠すためにくそ長い帽子を権威の象徴ということにして被っているんです。いやそれよりも、ハトホル女神の頭の上についているものの方が気になりますがね。

これなんかは、首の長さもなんだか人間離れしていますよね。ああ、そういえば全然関係ないんですけど、今度やるスピルバーグの「ディスクロージャー・デイ」気になりますよね。もう下手すると10年以上映画館に行ってないですが、この映画は観に行くつもりです。公開初日に観てかましたろかとおもてます。

これはハトホル女神に気に入られたいファラオがマラカス的な楽器をいい感じに演奏してブチ上げているところですね。そうなると長頭人(は宇宙人だと思っています)よりも偉いハトホル女神とは? と考えずにいられません。ちなみにハトホルの書という本は面白いですよ。

これは違いますが、棺のなかにもう一つ棺が入っているマトリョーシカっぽいのもありました。しかし装飾の様式美がすごいですね。今回写真は撮ってませんが、お皿とか小物をいれる箱とかも展示されていて、どれも芸術点が高かったです。去年行った縄文展では縄文時代の漆器とかを観てそんな時代の人々の美的感覚は現代人となんら変わらないなあと驚かされましたが、古代エジプトは芸術的な面だけでなく文明の発展度合いもバグってて、日本人が竪穴式住居で暮らしていた時代に彼らはピラミッドを建ててたんですから凄すぎます。
とはいえ、こういうのって単純に進んでるとか遅れているとか言っても意味がないです。日本では木がたくさんあったので必然的に木を使った建築方法が見出されましたが、木はいくらでもあった上に加工が簡単なので家が傷んできたらすぐに建て替えることができました。一方エジプトとかシュメールでは木は貴重品(木材を調達するために他の国を侵略していたほどです)でしたから、代わりに石造建築が生まれました。石造りの建物は建てるのは大変ですが、木とは比較にならないほど長持ちします。ので、ちゃんとした建物を作られるようになるまでにはだいぶかかったと思いますが、その代わり建築技術の進展と継承が進み、それが文明全体の発展の土台となりました。
まあ、日本の縄文時代がエジプトと比較して本当に素朴だったかどうかは、これも分かりません。なにせ木はすぐに朽ち果てて腐って土に還りますから、当時のものはほとんど残っていません。かろうじて腐敗を免れたごくごく一部の遺構が発見されたに過ぎず、そんな断片的な証拠から縄文時代の全貌を描き出そうとしている現在の考古学はおそらく縄文時代を根本的に見誤っているとわたしは思います。

こういう手書きっぽい資料はわたしの好物の一つです。絵画展でもたまに、画家の直筆の手紙(画商との交渉とか美術館とのやり取りなど)とか、ちゃんとした絵ではなくてハガキとかノートとかにラフに描いたスケッチなんかが展示されていることがあるのですが、こういうのを見るのが楽しいです。
わのわカフェでカレーをいただきました
エジプト展のあと、あべのベルタまで歩いて「わのわカフェ」さんでカレーをいただきました。めっちゃいい雰囲気で居心地もよい素敵なお店でした。

チーズナンの存在感に圧されて思わず置かれたこの角度のまま撮ってしまったゆえ奥に添えられたつけ合わせがほとんど写ってませんでした。
ネパール人の方たちが作ってらっしゃいましたが、よくある量産型のネパールカレーとは一線を画する味でした。ダールカレーがとくに美味しかったです。チーズナンはずっしりもっちりこってりしていて、超お腹いっぱいになりました。包んでもらって持ち帰ることもできるそうです。あと、食前のガーリックスープもめっちゃよかった。スープはおかわりもできるそうです。このお店は必ずまた行くと思います。
おまけ
ラブリーサマーちゃんは、最初の印象は「ジェネリックやくしまるえつこ」でしたが、まあそれは実際、本人がやくしまるえつこリスペクトだから間違えてはいないのですが、最近はラブリーサマーちゃんはラブリーサマーちゃんだな、と思うようになりました。声質はたしかにそっくりですが、音楽性の面でラブリーサマーちゃんからしか摂取できない栄養があると思います。
ジェネリックといえば、ジェネリックやくしまるえつこ、ではなくジェネリック相対性理論と言えるのはタルトタタンですね。
わたしの雑な理解では、相対性理論の創設メンバーだったベースとドラムの人が脱退したあとにやくしまるえつこっぽい声の人をみつけてプロデュースしたユニットなので、相対性理論ぽいのは当然なのですね。ちなみに友人の野良歌手 Tくんはタルトタタンのことがめちゃめちゃ好きで、「大阪市浪速区で一番タルトタタンを聴いている自信あります」って前に言ってました。まあ、それは認めてやってもいいんですが、浪速区で二番目にタルトタタンを聴いているのがワシだと彼は気づいていないですね。
読んでくださってありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう。
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