霊的な体(オーラボディ)と臨在(エネルギーフィールド)による伝達
ドラマばかり観てないでたまにはちゃんとやりなさい!という "内なる声" がしたので久々に「デヴィッド・R・ホーキンズ博士の著作から」のマガジンを更新します。
今回は『 I <わたし> 真実と主観性』から引用していきます。場所は18章『無心』の冒頭にある「はじめに」の文章です。
『 I <わたし> 真実と主観性』では意識のスケールの概念を土台として人間の意識のさまざまな様相・局面について詳細な情報が提供されているのですが、その中にはこれから取り上げるアストラル体やメンタル体と呼ばれる "霊的な体" のことや、以前の記事で取り上げたアストラル界の悪魔的な霊的存在のことまで含まれています。
この本の情報のすべては個別に二重盲検のキネシオロジーテストにてその真実性が確認されています。非常に高度な内容かつかなりボリュームのある本なので簡単には読めませんが、この世にこの本以上の霊的な情報源はないと思って何度も読まれることを強くおすすめします。
人間の霊的な体について
さて、それでは早速みていきましょう。
わたしたちには、肉体のほかに、エーテル体という純粋にエネルギーだけで構成された体があります。エーテル体が霊をつくっていて、主観的体験の中心になっています。また、脳に情報を送り、神経回路を刺激しています。体外離脱とは、このエーテル体が肉体から分離する状態を表しています。この状態においても、わたしたちは自由に動いたり、見たり、聞いたり、考えたりすることができるのですが、その間、肉体は完全に休止していて動くことができません。
人間の場合、エーテル体は感情(アストラル)体のほかに、高次のメンタル体(知恵、抽象思考)と低次のメンタル体(具体的な思考)をも含みます。また、これらのメンタル体(想いの体)の上には霊体があり、これらは古くから多くの名称で呼ばれています(コーザル、ブッダ、キリスト、アトミックなど)。高次の霊体の様相は、意識の進化と共に変化します。そして、意識は悠久の時をかけて、その時々の様相を地上に顕現させています。
一読して分かるのは、ホーキンズ博士はアストラル体と高次および低次のメンタル体を総称してエーテル体と呼んでいるということです。また、エーテル体は、より上位(高次)の霊体とは区別されています。スピリチュアル体には様々な名称があるだけでなく、低次のものからより高次のものへと、いくつもの層があります。一般的に知られている霊体は "コーザル体" と呼ばれているもので、わたしたちが "魂" と呼んでいるものは概ねコーザル体に相当します。
エーテル体が霊をつくっていて、主観的体験の中心になっています。また、脳に情報を送り、神経回路を刺激しています。
用語が整理されてなくてすこし分かりづらいですが、エーテル体という純粋にエネルギーでできたボディのことを霊と呼んでいます。これに対してエーテル体よりも上位のものとして霊体が存在するというわけですが、分かりやすくまとめると、肉体とは別の存在形態はすべて霊です。
エーテル体(アストラル体+メンタル体)は肉体の存在しているこの物理次元と周波数的には隣接した次元に存在していて、この地球環境に人間として転生するために必要な "転生体" を肉体とともに構成しています。転生体はわたしの造語ですが、その初出はこちらの記事です。こちらもあわせてお読みください。
さておき、つまりエーテル体とは霊のうち、人間が人間という形態で存在するためのボディを構成する部分のことです。一方、霊体というのは霊のより高次元に存在している部分です。霊というのは要するに「ひとつ」という意味で、エーテル体も霊体も霊の一部分であり、それは最終的にすべてであるところの「ワンネス」に連なっているわけです。
ところで、
エーテル体は感情(アストラル)体のほかに、高次のメンタル体(知恵、抽象思考)と低次のメンタル体(具体的な思考)をも含みます。
という箇所ですが、原書では
エーテル体は感情(アストラル)体のほかに、高次のアストラル体(知恵、抽象思考)と低次のアストラル体(具体的な思考)をも含みます。
と記載されていました。これは明らかにメンタル体をアストラル体と誤記していますので、わたしの方で訂正してあります。
体外離脱とは、このエーテル体が肉体から分離する状態を表しています。この状態においても、わたしたちは自由に動いたり、見たり、聞いたり、考えたりすることができる
これが意味しているのは、わたしたちは脳がなくても活動できるということです。言い換えると、わたしたちは脳で思考しているわけではないということになりますね。脳や知覚器官はあくまでエーテル体が経験しているものを物質的な3次元環境であるこの世の経験に反映しているに過ぎないのです。
高次の霊体の様相は、意識の進化と共に変化します。そして、意識は悠久の時をかけて、その時々の様相を地上に顕現させています。
ここでいう意識の進化とは人類意識としての意識の進化のことです。その時代時代における人類意識の進化具合に応じて、つまり人類という種全体の意識レベルが上昇するに従って、より高次の霊体を発達させた個体の出現率が上がっていくと捉えるとよいでしょう。
次の文章にいきます。
初期の原人は、低次のメンタル体を発達させました。彼らは、思考を形成したり、言語を編み出したりと具体的に学習していきました。ホモ・サピエンスの時代では、高次のメンタル体が発達するにしたがって、微妙な意味や種類、分類を持った抽象概念が生まれました。しかし、メンタル体の発達の度合いは、知的障害者から天才までと、総人口の中でも千差万別です。
初期の原人から現代のホモ・サピエンスへと進化する過程のなかで人類は高次のメンタル体を発達させてきましたが、とはいっても現代の世界人口を見ると、低次のメンタル体さえまともに発達していない人もいれば、高次のメンタル体が十分に発達している人までいます。注意が必要なのは、メンタル体の発達度合いが意識レベルをそのまま示しているわけではないことです。もちろん、ある程度まではそうなのですが、メンタル体は知性を司っているため、メンタル体だけで考えるとその発達による意識レベル上昇は 499 までです。これについては後でまた触れていきます。
霊的な感受性を開くには?
人類の霊的なエネルギーシステムの発達の度合いはバラエティ豊かで、それぞれの遺伝子的/カルマ的傾向を反映しています。多くの人々の霊的な感受性は未発達で休止状態にあり、ほとんど機能していません。けれども、霊的なことに興味を抱いたり、霊的な探究者や献身者が周りにいることで、目が開かれていくこともあります。したがって、歴史上の偉大な師たちは、「霊的な仲間を求め」、非統合的な人物を避けるよう、求道者に助言しました。
「遺伝子的/カルマ的傾向」と書いてありますが、遺伝もカルマの一部です。遺伝情報が形をなしたものが肉体ですから、肉体ももちろんカルマですし、その肉体に宿っている心もカルマそのものです。肉体精神機構という言葉はカルマであるところの肉体と精神(心)を総称したもので、自我あるいはエゴと肉体精神機構はイコールです。
さて、ここからが今回のお話の重要な部分です。
多くの人々の霊的な感受性は未発達で休止状態にあり、ほとんど機能していません。けれども、霊的なことに興味を抱いたり、霊的な探究者や献身者が周りにいることで、目が開かれていく
より明確にいえば「高い意識レベル(540以上)で測定される情報に触れたり、意識レベルの高い人物(540以上)が周りにいると、霊的な目が開かれていく(=意識レベルがが500以上に飛躍する)」ということです。
なぜそんなことが起こり得るのかについてこれから書いていくのですが、ポイントは先ほど霊について説明したとおり、「すべては一つながりである(=スピリチュアル)」だからです。個人というのは幻想で、霊的な視野においては誰もがエネルギーフィールドでつながっています。ですから本来ならば高い意識レベルの人物のエネルギーは世界中のすべての人へと届いています。しかしながら、エーテル体は発達していても霊体が活性化していない人は霊的な感受性が機能しておらず、このエネルギーを受け取ることが十分にはできません。
しかし、霊的なことに興味を持って、意識レベル540以上の情報に触れることで、この感受性は徐々に開花していきます。また、意識レベル540を超える探究者や献身者(献身的にその人の面倒を見てくれる人)と身近に交流することで物理的に高いエネルギーフィールドに晒されると、同じように霊的感受性が開かれる可能性があります。この場合、交わる人物の意識レベルは高いほどよいと言えますが、そのような人物と身近になってその関係を長く維持するにはそもそも自分自身も相応の意識レベルである必要が往々にしてあるでしょう。
※単純に相対的に意識レベルの高い人物と一緒にいることで意識レベルは上昇する可能性がありますが、ここで述べているのは「霊的な感受性が開くかどうか」についてです。霊的な感受性とは要するに「世界は目に見えている通りではない」「目に見えているのが世界のすべてではない」ということを直感する能力のことで、この感受性が「分離は幻想だ」「個人は幻想だ」という理解を導きます。
コーザル体の活性化
霊的な情報はメンタル体に記録されます。その情報は、知識としては役に立つのですが、進化した霊的な教師の臨在に触れて、高次の霊的なエネルギーフィールドが活性化するまでは、真に体得することはできません。高次のエネルギーフィールドは、非言語的な静寂のうちに伝達されます(それは古来、"恩寵" と表されてきました)。この出来事はカルマの中に記録されますが、高次の霊体が活性化されることによって光が放たれ、内側の知っている状態の主観的体験によって、はじめて真に理解することができるのです。
メンタル体に記録された霊的な情報はそのままではただの知識であり、それが真に体得される(知覚が変容し、その情報が伝える真実を直接体験するようになる)には、高次の霊的なエネルギーフィールドが活性化する必要がある、ということです。高次の霊的なエネルギーフィールドとは先に出てきた霊体のことで、ここではそれをコーザル体として扱いましょう。
高次のエネルギーフィールドは、非言語的な静寂のうちに伝達されます(それは古来、"恩寵" と表されてきました)。
活性化されたコーザル体の持ち主のエネルギーは、非言語的な静寂すなわち "沈黙" を通じて伝達されます。とはいっても別に沈黙しているときにだけ伝わるわけではありません。ポイントは、そういった人物が教えを語るその言葉よりも、その人物のエネルギーフィールド(臨在)にこそより強大な霊的なパワーがあるということです。古今よりインドの聖者に会いに世界中から探究者が足を運んだのは、師の臨在に触れて恩寵を得たかったからです。
内側の知っている状態の主観的体験によって
内側の知っている状態の主観的体験とはいわゆる "真我" を実現することですが、完全に真我実現(=覚醒)に至らずとも、意識レベル500台でよく経験されるワンネスの感覚によってそれまで単なる頭の中の知識にすぎなかった情報が真の霊的情報として理解されはじめます。
AA で起きていることと、意識レベル540という指標
かつてブッダが沈黙のもとに伝達したのは「無心(ノー・マインド)」でした。前著『パワーか、フォースか』の中でも、この取り込み現象について取り上げています。臨床的にも、アルコホーリクス・アノニマス(AAグループ)に代表される、十二ステップ自助グループの中に同じ現象を見ることができます。会員は、「とにかく会合に出席し続けること、そうすれば自然にわかるように(やめられるように)なります」という助言を受けます。グループのオーラ(540)にさらされることが、奇跡的な回復につながるのです。重度の中毒を克服するためには、非常にパワフルなエネルギーフィールドを必要とします。エネルギーフィールドの保護の中にいれば、しらふの状態が続きますが、そこから離れれば、当人の意識レベルが540を超えないかぎりは、すぐにぶり返してしまいます。
「取り込み現象」とは「メンタル体に記録された霊的情報が、コーザル体の活性化によって真の理解として取り込まれる」ことです。そして、この取り込み現象を触発するのが "師の臨在による沈黙の伝達" です。
博士の書き方からは、コーザル体が活性化するためには師の臨在に触れることが不可欠であるように受け取れますが、これはその通りだとわたしは思います。ただし、師の臨在に触れるといっても、生きている聖者に会って師事することばかりではありません。
覚醒や悟り(意識レベル 600以上)の領域に到達した人物のエネルギーフィールドは死後も人類意識におけるパワフルなアトラクターとして残り続けますが、その中でも900台以上で計測された神のアバターと呼べるような人物のそれは非常に強力で、時空を超えて人類意識に恩恵を与え続けています。そのようなアトラクターのエネルギーに突如として晒されることもまた恩寵であり、師の臨在に触れる体験の特殊なケースといってもよいでしょう。
グルジエフは人間が第四番目の存在(人間第四番:知性、感情、本能の3つのセンターの均衡が取れた状態)へと進化するためには "外部からの力" の関与が不可欠だと述べていますが、この "外部からの力" がまさに "師の臨在" のことであり、高いレベルのエネルギーフィールドからの伝達のことを指しています。グルジエフのこの話についてはこちらの記事をお読みください。
その記事で指摘しているとおり、人間第四番は意識レベルでいうと500~539に相当します。人間第五番はグルジエフによると「高次の体の結晶化がはじまり、人間第四番以下に戻ることがない」存在とのことですが、これは意識レベル540~599 に相当します。興味深いことに、ホーキンズ博士の意識のスケールにおいて540は「もう意識レベルが下がることがなくなるレベル」であり、人間第四番以下に戻ることがないという説明と符合しています。
また、高次の体の結晶化とは「コーザル体が活性化される」ことを指していると考えられるのですが、これを踏まえると、外部からの力としての師のエネルギーフィールドに晒されることによって意識レベルは500以上に上昇すると考えられますが、540を超えるまではまだコーザル体が十分に活性化しているとは言えないようです。
グルジエフを信じるなら、人は独力では意識レベル500を超えられないと極論できそうですが、絶対にそうなのかはわたしにはなんとも言えません。でもおそらくそうだろうと思いますし、これから500を越えようとしている人はそうだと考えたほうがよいです。自分の力で超えられるという考えはどうみたって傲慢でしかありませんし、そもそも自分だと思っている "それ" は幻想ですからね。
さて、AA(アルコホーリクス・アノニマス)については以前の記事でも触れたことがありましたが、アメリカで昔から普及している断酒会です。そこでは12のステップという原則が運用、実践されているのですがこの12のステップには意識レベル540以上のパワーがあると博士は書いています。AAの断酒会では過去にAAに参加して断酒に成功した人が匿名のボランティアで参加する習わしなのですが、本当に断酒に成功した人は意識レベル540以上で測定されます。
アルコール中毒をはじめ、薬物やギャンブルなどの深刻な依存症から脱するには、本人が540以上の意識レベルへと飛躍するか、540以上の人物と一緒に居続ける必要があると博士は述べています。つまり、AAの断酒会は、そういう場を定期的に提供し続けているわけです。「とにかく会合に出席し続けること、そうすれば自然にわかるように(やめられるように)なります」というのは、ですから確かにその通りなのです。ここでは断酒成功者のエネルギーフィールドが師の臨在であるといえますが、同時に12ステップの原則そのものにも同等のパワーがあります。定期的に断酒会に足を運んで断酒成功者とふれあい、日常的には12ステップの実践によって自助を行うことで依存者のコーザル体は活性化していくのでしょう。
重度の中毒を克服するためには、非常にパワフルなエネルギーフィールドを必要とします。エネルギーフィールドの保護の中にいれば、しらふの状態が続きますが、そこから離れれば、当人の意識レベルが540を超えないかぎりは、すぐにぶり返してしまいます。
これは依存症(中毒)を克服するケースに限ったことではなく、探求者が師と仰ぐ人物と親しむ場合でも同じです。
師と身近(必ずしも物理的にではありません)に接している間は、探求者のエネルギーフィールドは師のエネルギーフィールドに晒されているため、本人の意識レベルよりも高い意識の状態を経験しています。それによって本人の意識レベルも上昇していっているのですが、どれくらいのスピードでどれくらいのレベルまで上昇できるかは人それぞれです。これには師のエネルギーフィールドの強さ(=師の意識レベルの高さ)ももちろん関係はしていますが、それよりも本人が師にどれだけ明け渡しているかが問題です。
つまり、師をどれだけ信じ、師の教えをどれだけ受け入れているかによって生徒の成長具合は違ってきます。そして、信じ受け入れることができるかどうかはその人のカルマによります。
師を侮ったり、疑いをもったりするのはプライド(175)のせいですが、プライドは非常に強力ですから、一度そのようなことになると、生徒は師から離れていくでしょう。師としても、プライドの強い生徒を引き止めて腰を低くしてまで教えてあげる理由はありませんしね。
謙虚 謙虚 謙虚
さて、これが最後の引用文になります。
意識の成長と霊的な目覚めへの扉を開くのは謙虚さです。「統合」のレベルのすぐ下の段階が「プライド」であることは前述の通りです(伝統的に「自我」が意味するものです)。プライドという障害は、明け渡すことによって取り除くことができます。
「統合」のレベルのすぐ下の段階が「プライド」である、とありますが、意識のスケールにおいては意識レベル 200 からが統合的(ポジティブ)な領域とされ、200 未満はネガティブ(非統合的)であるとされています。
プライドは 175 で測定されますから、200 を超えて統合的な領域へと進化する直前に立ちはだかっているのがプライドであるといえますね。また、一般的に自我(エゴ)と人々が呼んでいるもののほとんどがプライドに関わるものです。
ここで述べられている通り、探求者に実りをもたらすのは謙虚さです。そして、謙虚であるということは明け渡しの基本というか大前提です。明け渡しの第一歩は、エゴがなにかを主張したときに「(それが神であれ師であれ)自分よりも高い意識レベルの存在ならそのように考える(振る舞う)だろうか?」と疑問をもち、もしもそうでないのなら高い意識レベルに従うということからはじまります。ちなみに奇跡講座のワークブックを実践するのはこれと同じことです。高い意識レベルの存在がどう考えどう振る舞うか分からないのなら、奇跡講座のワークブックをやってみるとよいでしょう。
いずれにしても、謙虚になることです。プライドの高い人は謙虚になることは敗北を意味すると思っている(昔のわたしはそう思っていました)かもしれませんが、謙虚になってみるとそれだけで物事はとても楽になりますよ。意地を張って無駄なエネルギーを使うことがなくなりますし、他人は謙虚になったあなたに以前よりも優しく接してくれるでしょうし、今まで話してくれなかったことまで打ち明けてくれるようになるでしょう。
また、わたしはいつも "親切" を推奨していますが、親切さと謙虚さは兄弟のようなものです。親切であろうとしていれば自ずと謙虚にもなっていきますし、謙虚であろうと努めていればその勢いで親切にさえなってしまいます。くどいですが、探求者の大半がプライドのせいで意識レベル540(というより500)を超えられません。とくに 400台(知性の領域)にいる人はプライドとの親和性が高すぎて、300台の人よりも困難です。
まとめ
まとめると、とにもかくにも意識レベル540を超えるエネルギーフィールドを見出して、そこに自らを触れさせなければ霊的な目は開かれないということですね。そしていったんそのエネルギーに浴することができたなら、自分自身が540を超えるまで浴し続けることが肝心要ですが、それを成功させるには謙虚であることが必要というわけです。
意識レベル540を超えたかどうかについては、超えたら自分で分かると思います。わたしの記事をすべて読まれたら 540がどのような境地かについてさまざまなことを知ることができると思いますが、一つだけ示しておくと540は「無条件の愛」のレベルです。あなたが世界を無条件で愛せるようになったなら、それがそのときです。
今回はこれで以上です。長くなりましたが、ぜんぶ読んでくださってありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう😉✨️✨️
おまけ
わたしは普通の二重です。
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