文脈を無視した真実はない、という話
今回はホーキンズ博士の下記の動画について見ていきます。
Who You Are Brings You What You Need
というタイトルですが、これは「あなたが何者であるかが、あなたに必要なものをもたらす」と訳せます。これをホーキンズ博士の文脈でいうと、「あなたの意識レベルに沿ったものがあなたの人生に現れる」という意味になるでしょう。
関連するテーマの記事を以前書いていますので、ついでにそちらも読んでみてください。この動画のタイトルが示していることについては、今回の記事よりもこちらの方がより深い内容になっていると思います。
さて、それでは見ていきましょう。
世界がどのように反応してくれるかは、あなたがどんな人であるか、どんな存在であるか次第である――つまり、あなたの世界あるいはあなたの現実というものは、あなたという存在(コンテクスト)におけるコンテントであり、そしてそれがあなたにとっての真実なのです。
これは言い換えると、起こることはすべて、あなたの意識レベル(≒コンテクスト)次第だということです。
動画の前半部分で博士は、意識レベル200以下の人は即物的な因果関係、つまりAをしたからBという結果を得る、という原因と結果の世界に生きていると言っています。因果関係というものはエゴが作り出した幻想であり、別の言い方をするなら左脳のインタープリターが作り出したルールです。
意識レベル200以上の人々の現実では、自分がどのようなエネルギーフィールド(≒意識レベル)に住んでいるかが体験の内容と質を決定します。自分が友好的な存在になれば、周囲が自然と微笑みかけてくれるようになります。これは「努力」ではなく「存在(フィールド)」の影響であると博士は述べています。
とはいえ、基本的に意識レベル500以下はエゴの領域ですから、意識レベル200以上になると、そのような体験、つまりエネルギーフィールドの影響が生み出す体験がはじまり、意識レベルが高まるにつれて、そのような体験が増えていくと考えるとよいでしょう。
この動画は全部通してとても重要な内容(まあ博士の動画は重要なことしか話されていませんが)について語っているので、ぜひ一度は動画そのものを通して観ることをおすすめします。できれば Gemini に読み込ませて、内容について理解を深めてください。
さて、ここでは動画の中でももっとも重要なこと、というか博士の教えの核心に触れる部分について見ていきたいと思います。博士はこう言っています。
「文脈を明示せずに真実とは何かを定義することはできない」(2:30〜)
これはつまり「真実は文脈に依存する」ということで、逆にいうと「文脈を無視した真実などない」ということです。
例えば、ある問題における真実を見出そうとするなら、必ずその問題の背後にある文脈を明らかにしなくてはいけないということになりますし、ある人物にとっての真実を理解したいなら、その人の人生全体のコンテクスト(≒意識レベル)を解き明かす必要があるということになるでしょう。
さらに博士はこう続けます。
「人類の歴史上初めて、真実と偽りを識別する手段を手に入れた。そして、真実とは何であるかを述べるには、その文脈を述べなければならないということを発見した」
ここでいう「手段」とはもちろんキネシオロジーテストによる測定のことですが、それに続く後半の言葉は非常に重要な意味を持っています。博士は、真実を記述するためにはその文脈を明示しなければならないと述べているのですが、文脈からすると、すなわちこれがキネシオロジーテストによる測定の大前提なのだということです。
日本でも、探してみると有料で意識レベルを測定している人(というかわたしから見れば完全に「悪徳業者」ですが)が見つかりますが、そうした業者に測定してもらったところ、自分の意識レベルは800だと言われたと、わたしの記事に以前コメントしてきた人がいました。800が本当なら地球上に片手で数えられるほどしか存在しないレベルの聖者なんですが、そんな存在が他人に意識レベルを測定してもらってそのことに気づき、そしてそれをわたしに報告してくることなどあるわけがないです。でも、こういう事例はおそらく山ほどありそうなんですよね。
キネシオロジーテストの有効性について、わたしはまったく疑っていません。でも同時に、これを適切かつ厳密に運用することは実はほとんど不可能だとも考えています。「パワーかフォースか」には測定の方法が書いてあるのですが、そこでは基本的な前提事項として、「意識レベル200以下の人物は筋肉が誤反応を起こすため、テストできない」とありますよね。
これは実際に腕を差し出す人のことを指しているのだと思いますが、腕を下に押す人にも当てはまると考えるべきでしょう。いずれにしても問題はなにかというと、意識レベル200以下の人たちは有効なテストができないので、自分たちが200以下に測定されるということも判定できないということです。筋肉が誤反応するということは200以上の測定値が出てしまうこともある、ということですから、「お、ワシらはテストしてもええってことやな」と誤認することになります。ちなみにこのレベルの人たちは不誠実なので、そもそも筋肉の反応を捏造している可能性も高そうですが、そういうことも含めて「不適格」だということかもしれません。
そもそもですが、意識レベル測定を商売にしている時点で、その人たちの意識レベルが200以下であることは明白です。なぜなら、動機が愛や慈悲や啓発などではなく、欲望やプライドだからです。また、測定してもらおうとする人たちの動機もネガティブです。そもそも「パワーかフォースか」を謙虚な気持ちで読めば、自分がどれくらいの意識レベルなのかはおのずと分かります。それをしないで他人に測定を委ね、高い測定値を期待して自分のプライドを満たそうとするのは(自分の意識レベルがそう高くはないだろうという自覚のある人はお金を払ってまで測定してもらおうとは思わないでしょうから)動機が気持ち悪いです。
また、お金を取って測定する側は、それをサービスとして提供しているわけですから、客ががっかりしたり怒り出したりするような低い測定値を出すことはないはずだ、ということも指摘しておくべきでしょう。
さてこれだけでも、キネシオロジーの運用が難しいということが分かっていただけるかと思うのですが、本当の問題はそこではないのです。というか、いま書いたことは、わたしの記事の読者さんであれば「それはそうやろなあ」という話でしょう。
本当の問題はどこにあるかというと、それは「宣言文(ステートメント)を作ることの難しさ」にあります。キネシオロジーテストはどんな質問でも YES or NO で答えてくれるものではありません。ここも大きく誤解されていると思いますが、そもそもキネシオロジーテストは「真実に対して筋肉は強くなり、虚偽に対しては弱くなる」という原理に基づいています。
そして、ここからが動画の内容と関わってくるのですが、ポイントは「唯一普遍の真実というものはない」ということです。すなわち、真実は文脈に依存するという先ほどの話がここで繋がってきます。
キネシオロジーテストで用いる宣言文は「質問文ではなく」、「◯◯は△△である」という肯定文で作る必要があります。「◯◯は△△である」が真実ならば筋肉は強くなって押し下げようとする力に腕は抵抗します。「◯◯は△△である」が虚偽なら筋肉は弱くなり、腕は下に押し下げられます。これが基本的な仕組みです。
ところが、実はこれだけでもまだ不十分なのです。例えばですが、「ナポレオン・ボナパルトは実在した人物である」というステートメントならば問題はありません。しかし、「ナポレオン・ボナパルトは英雄である」というステートメントは文脈が明らかにされていないので、このステートメントでは測定できないのです。これが「ナポレオン・ボナパルトはフランス史において英雄として扱われている」であれば筋肉は強くなるでしょう。つまり、ナポレオン・ボナパルトがフランス史という文脈において英雄であるということは真実だということです。
ちなみに、誤ったステートメントでは測定できないのですが、これは正しく測定出来ないという意味です。ですからステートメントが誤っていることに気づいていない場合でも、測定によってなんらかの結果もしくは測定値は出てしまいます。しかし、前提の誤りに気づいていない時点でその測定結果を疑うことは難しいはずです。
また、先ほどの業者のケースで、仮に測定を行う業者が200以上(はないと思いますが)だったとしても、公正な測定結果は得られません。なぜなら、その測定の「場」というコンテクストが測定結果に影響するからです。というのも、おそらくその際に用いられているであろう「この人の意識レベルは◯◯です」というステートメントにはなんのコンテクストも含まれていないからです。そうなると、「高い測定値を期待している客」と「客の期待に応えたサービスを提供しようとしている業者」の思惑がその場のコンテクストとして作用するはずです。つまり、そこで客の意識レベルが800だと測定されたとしても、それは「その場における真実」だということなのです。お分かりでしょうか?
ですので、これも重要なことですが、博士はキネシオロジーテストを実施する際、「これから測定してもよいですか?」というステートメントでテストしなさいと言っていますね。これはつまり、その場のコンテクスト(≒動機)をチェックしなさいということです。実際、動画を色々観ていると、博士自身もそれをやっています。
さて、これでキネシオロジーテストの運用が難しいことをご理解いただけたかと思いますが、さらに付け加えるなら、適切なコンテクストを明示することがステートメント作成における最大の難関です。
というのも、あることについてのコンテクストを把握するには、その「あること」よりも抽象度の高い視点ないしは観点が必要だからです。この視点や観点は意識レベルと言い換えることができます。つまり、ステートメント作成者は自分の意識レベル以上のことをステートメント化することが困難だということですね。不可能ではないと思いますが、かなり難しいでしょう。
記事はこれで以上になりますが、今回は新しい試みとして、この内容と関連したテーマについてわたしが Gemini と話した対話のログをシェアします。よかったら読んでみてください。それでは、また次の記事でお会いしましょう。読んでくださって、ありがとうございました。
初めての試みなので、うまく読めるのかどうかわかりません。おかしかったらコメントで教えてくださると幸いです。
おまけ
こないだの記事のおまけで、ギター超絶上手いバンドとしてポルカドットスティングレイを挙げましたが、ギター超絶上手いを分かっていただくにはこの曲などが分かりやすいです。まあでもこの曲が特にギター頑張っているというわけでもなくて、だいたいどの曲でもこれくらいは余裕でかましてきます。個人的には、この曲は攻め攻めでノリノリでポルカの中でも好きな一曲です。シンクロニシカやトゲめくスピカも好きだしなんならだいたい全部好きです。あと、上手いのはギターだけじゃなくて全員上手いです。
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