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色即是空というけれど空は虚無にあらず

ホーキンズ博士の『「手放し」のすすめ ―明け渡しの道―』ですが、あともう少しで読み終えられそうです。こないだからちょっと激しくお腹を壊していてしばらく読めなかったんですが、やっと体調が戻ってきました。3月4月はほんと毎年こんな感じです。一つ分かってきたのは、脂っこい食事は控えなければいけないということですね。昔はこってりしたものばかり食べていても平気でしたが、さすがに50を過ぎるとそうはいかないようですね。気づくのがまあまあ遅かったです。

さて、今回はちょっと短めの記事になりますが、コンテントとコンテクストの話にあらたな文脈を追加したいと思って書きます。結論となるポイントは「コンテクストとは空であり、空とは縁起である」というものです。つまり「コンテクストとは縁起のことで(も)ある」ということなんですが、それをこれから解説していきます。

まず色即是空とは?

般若心経におけるもっとも有名な一節は

色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき

でしょう。これまで般若心経について触れたことはありませんでしたが、コンテントとコンテクストについて語るうえで、般若心経のこの箇所への言及を避けて通るわけにはいきません。今回は「しき」とはなにで「くう」とはなにか? について説明していきたいと思います。

まず、これらの記述を読み下し文にするとこうなります。

「色」は「空」に異ならず、「空」は「色」に異ならず
「色」はすなわちこれ「空」なり、「空」はすなわちこれ「色」なり。

これをさらに現代語でニュアンスを含めて詳しく言い直すと

「色」は「空」と違うようやけど実は違ってへんし、「空」もまた「色」とは違うっぽいけど違えへんねん。せやから「色」はまんま「空」やし、「空」もまんま「色」やねんで。

現代語とは

さて、ここまではよいとして、そもそも「色」とか「空」ってそれぞれなんのことなのでしょうか?

「色」とは有すなわち形のあるものという意味です。一方、「空」という言葉は有に対する無と理解されていることが多いですが、これは違います。もしも「空」が無だとしたら、上の一節は「有るというのと無いというのは別のことやないねん、つまり有ると無いは一緒ってことやねん」という意味になってしまいます。ちょっとなにを言っているか分かりませんね。

空という言葉の正しい意味は「実体がないこと」です。ですから、上の一節の真意は「存在している、というのと実体がないというのは、別のことを言っているわけやないねんで。つまり、存在しているということと実体がないということは同時に成立してるねん」というものになります。

そもそも実体がないこと、つまり「空」という概念はどこから来ているかというと、それは仏陀が説いたとされる「縁起」からです。

縁起とは、すべての現象は他との関係性(縁)によって生じる(起)という意味で、他の一切から独立したもの(主体たるもの)など存在しないという教えです。仏教においてはこの縁起から「行為者の不在」が導き出されます。行為者の不在とは「わたしたちが "自分" だとみなしているエゴは幻想である、というアドヴァイタの教えるところと同じですが、いずれも結論として「自由意志の不在」に行き着きます。実際、脳科学の最新の知見では人間の意志は縁起(他との関係性=体外、体内環境からの様々な情報入力)によって "生じている" ものであり、わたしたちが "生じさせているものではない" ことが明らかになってきています。

さて、この「縁起」における主体のなさを世界全体を俯瞰する視野でみると、この世界には実体(=主体)たるものは一つもなく、あるのは相互関係の網だけであることが明らかになります。実体のように振る舞っているもの(人間など)は関係の網の目における結節点に過ぎません。この相互関係における作用と反作用の連鎖を "機能" として説明するなら、人間も含めたすべての現れは全体性における機能に過ぎないと表現することもできます。「縁起」をこのようにより抽象度の高い視点から呼び替えたものが「空」です。ですから、「空」と「縁起」は同じです。

そして、この「空」という概念をさらに機能的に呼び替えたのが「コンテクスト」です。コンテクストは文脈や背景という意味の言葉ですが、空も色との対比においては背景としてのニュアンスを持っています。ただし、コンテクストも空も、ただの文脈や背景以上の意味を持っています。それが、いま説明した「縁起性」です。つまりコンテクストと空という言葉が指さしているのは、事物(形=色)の背後にある関係性の網の目です。

空をコンテクストと呼び替えると、さらにこういうことが見えてきます。

コンテント(色)とは、コンテクスト(空)の一部に境界を設けて「これ」「あれ」「それ」などと、あるいは「名前」で呼んだもののことです。人間の知覚はそのようになにかを "対象化" することなしに世界に触れることができません。すなわち、コンテントとは対象のことで、色もまた対象のことです。

このことをよく考えると、コンテント(形)とは境界のことだということが分かってくると思います。ですが、この境界はコンテクストに対して引かれたものでもあります。どういうことかというと、コンテントを規定しているのはコンテクストであるということです。これは物質的なモノで考えてもそうですし、例えば文章の「ある一節(コンテント)」の意味を規定しているのは「その文脈である」と言えるように、概念的なものにおいてもそうなります。ホーキンズ博士が「真実は文脈に依存する」と述べているのも、「なにが真実かを規定しているのはコンテントではなくコンテクストである」という意味ですが、いまお伝えしたのはまさにこれと同じことです。

このことをちょっと図で見てみましょう。

個人的にはvoid=空というのはしっくりきませんが

なにもない平面にパズルのピースがただ一つ置かれています。ピースには固有の形がありますが、このピースがこの固有の形であることを規定しているのは、背景である平面との境界線です。そして、この背景がなければピースは存在できません。つまり、実はピースがそれ自体の形を持っているのではなく、背景が存在することによって背景との境界という「形」によってピースが存在できているのです。

境界はピースに属しているようにも、背景に属しているようにも見えますが、いずれにしてもその「形」はまったく同一ですね?

これが「色不異空(空不異色)」であり、「色即是空(空即是色)」である、ということです。ピースはたしかに存在している(ように見える)が、実はピースなどという実体はなく、ただ背景を切り取ったときにできる境界の形をピースと呼んでいるだけだ、というのが般若心経のこの一節が言わんとするところです。

ラメッシ・バルセカールは「人間には自由意志はない。でも人生を生きるなかでわたしたちは自由意志があるかのように振る舞って生きていくしかないのです」という趣旨のことを何度も言っています。これはつまり、「パズルのピース(自由意志)などないが、あるという前提に立たなければ話にならない」という意味です。このような「ある」と「ない」の重ね合わせこそがラメッシやアドヴァイタ、そしてわたしがみなさんに伝えていることの核心です。

ところがネオアドヴァイタやラディカル・アドヴァイタと呼ばれている欧米のグルたちが説いているノンデュアリティはこの「ある」と「ない」を重ね合わせず、「ない」ことに重心を置きすぎています。そもそも伝統的なアドヴァイタがいう「ない」とは「ある」に対して「(それには実体が)ない」というニュアンスです。しかし、彼らは「ない」ことを強調しすぎるあまり、たしかに目の前にあるあれやこれやも「ない(あるように見えるのは幻想だ)」と言ってしまっています。正しくは、幻想は幻想なのですが、その幻想性とは「目の前にあるものに実体があると思ってしまうこと」であり、見えているものが幻想だと言っているのではありません。もしそうなら、それは幻想ではなく "幻覚" だと言わなくてはいけなくなるはずです。

それゆえネオアドヴァイタやラディカル・アドヴァイタの教えはもはや非二元論ではなく単なる虚無主義に陥っていると言えるでしょう。わたし自身、こうして書けるのは彼らの著作をすべてではないにしても大方と言えるくらいには読んでいるからなのですが、どれ一冊として「読んだことによって生きやすくなった」とか「なにかが楽になった」と感じさせられたことがありません

そもそもですが、「なにもない」という言及はそれ自体が誤謬なのです。なぜなら誰かが「そこにはなにもない」というとき、見る者がいて、見られる対象(なにもない、そこという場所)があるわけです。対象化できる時点でそれは無ではありません。すなわち、「思考がなくなっている」というのがまさに思考そのものであるのと同じように虚無というものも思考の産物(=色)でしかなく、この世界は言うまでもなく有(存在)です。しかしこの有(色)は同時に空でもある、というのが般若心経やコンテントとコンテクストという概念の核心であり、空は無ではないということも念を押して言っておく必要があります。

さて、今回はこれで以上です。ちなみにこのパズルのピースを使った喩え話は初めて用いるものではなく、以前に書いたこの記事が初出です。

この記事では、わたしたちが自分であるとみなしている「エゴ」が幻想であるということを示すためにこの喩え話を使いましたが、今回はさらに純度を高めて「空」を説明してみました。ちなみにこのときはわざわざAmazonで白紙のジグソーパズルを買って、それを写真にとって記事に使ったのですが、今回は Gemini に作ってもらえたので助かりました。そのログはこちらです。

また、般若心経の「空」と龍樹の「空」が同じであることを確認するためにGeminiと話したログがこちらです。

いずれも今回の記事の内容と重複する部分が多いですが、より深く考えてみたい人はぜひ目を通してみてください。


おまけ

(1994)とありますが、最近のバンドです。メンバーが映画好きで、映画のタイトルの紹介でよくある「時計じかけのオレンジ(1971)」というのにインスパイアされたらしいです。MVの映像は1990年代というより、もっと前のアメリカっぽい雰囲気ですが、チルい楽曲と相まっていい感じになっていると思います。ジャンルとしては「ドリームコア」というらしいです。

最後までお読みくださってありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう。

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