見出し画像

書籍の紹介『カルロス・カスタネダ』島田裕巳

本当は今回は「時を巻き戻せる俺が何回やり直しても石破茂がやめてくれない件」という、時間を操作できる能力を持った国会議員秘書が主人公のラノベを書く予定だったんですが、さきほどYahooニュースに辞意表明と出てたのでいきなり没になりました。

嘘です

さて夏風邪のあと、しばらくは体調がよかったんですが、この一週間は倦怠感がひどく、ほとんどなにも出来ませんでした(普段から言うほどなにもしていません)が、少し前からちょっとずつ読んでいた本を読み終えたので、ここで紹介したいと思います。

と、その前に、わたしは時々 note を検索して、非二元や悟りといった事柄に関して、探求者ではなく教師の立場から書いている人がなにを書いているかみています。まあ、そういう人はそんなには居ませんが、なぜ見ているかというと、そういう人たちがどうなっていくのか? ということについての自分の見立てが正しいかどうかを確認するためです。

わたしは基本的に他人のことには無関心です。なので仮にそうした人たちが自分の意識レベルを偽って、つまり覚醒してもいないのに覚者であると自称して、あれやこれやともっともらしいことを述べていても、好きにすればいいとしか思いません。なかには、わたししか指摘していないはずのことをしれっと言っている人もいて思わずニヤニヤしてしまうこともありますが、真理は隠されてはいませんので、そもそもわたしは自分の書いているものに著作権的なものを主張したりはしません。

ただ、わたしは主に自分が知覚していることについて語っていますが、それを超えた次元のことに触れる必要がある場合にはホーキンズ博士やラメッシなど話の出どころをちゃんと明かしています。これらは霊的な話をする人間としては当然である謙虚な姿勢ですが、言い換えると「自分の都合で話さない」ということです。また、基本的に自分の知覚(理解)外のことを話さないというのは、その話を聞いてそれを信じる人たちへの責任の問題でもあります。

逆に、このような態度を欠いた姿勢、すなわち謙虚ではない姿勢をもった教師は「自分の都合で話をしている」ことになるわけですが、するとどうなるかというと " カルマの報いを受ける " ことになります。自分の都合で話をする(あるいは自分の都合でするべき話をするべきようには話さない)ということは、それは " 聖なる仕事 " ではありません。すなわち、神から任せられた仕事に自らを明け渡さずに、エゴが行為の著者になっているということです。

それゆえ、そのような仕事はいずれ行き詰まる道理です。まあ要するにわたしが観察しているのは、カルマがどのように作用するかということです。それはわたしにとっては学びの対象です。

ちなみにまた、そのような偽りの教師を信奉してしまっている探求者たちについても、それもその人のカルマなのだから、放って置くのが一番だと考えています。そもそもわたしは自分がそんなに多くの人々の役に立てるとは思ってはいませんし、なんなら自分が教えられるのはほんの一握りの人だけだと考えてもいます。一方で偽りの教師といったって、言っていることのすべてがデタラメというわけではないですし、それどころか大半は統合的なことを言っているようにも見受けられます。ですから、需要と供給ではないですが、誰しもが落ち着くべきところに落ち着けばよいのだと思います。

もっとも、偽りの教師が本物(というのはここでは意識レベル 500台の上部以上という意味です)の教師へと成長したいと望むのであれば、いまのままでは非常に難しいことですが、自らの嘘を告白することです。そうすると現状のすべてを失うかもしれませんが、さりとて嘘を抱えたままではいつまでたっても本物にはなれませんよ。まあこれは批判や非難ではなくただのお節介です。


島田裕巳 著 『カルロス・カスタネダ』

さて本題に入ります。カルロス・カスタネダといえばヒッピー・ムーブメント時代のアメリカでは一種の伝説的な人物であり、日本でもオカルトや精神世界の探求者から長らく愛読されてきた存在ですが、この記事を読まれる皆様(読者の年齢層とか分からないのですが、note を使っている時点でほとんどはわたしよりも若い人たちだと思っています)にとっては馴染みがないかもしれません。まあ、だからこそ紹介しようというわけなのですが、そもそも日本ではカスタネダは忘れられつつあると思います。

というのもカルロス・カスタネダの著作は、最初のバージョンは1970年代から1980年代にかけて出版されていたもので、その後に2012年ごろに新装版としてふたたび出たものの現代ではこの新装版もすでに絶版になっているからです。わたしがカスタネダに触れたのはこの新装版で、第1作目の「ドン・ファンの教え」と2作目の「分離した現実」を購入し、そのうち「ドン・ファンの教え」だけ読み終えたのですが、「分離した現実」は読まずに手放してしまいました。

それというのも、これら二冊を手に入れたのは2014年のことで、当時のわたしの関心はどうやれば意識レベル 600(覚醒)に到達できるか? というものでした。そして、そのための手段としてサイケデリクスを用いたイニシエーションを経験することを計画しはじめていました。それで、それに関した情報を収集していくなかでカルロス・カスタネダのことも知ったわけなのですが、「ドン・ファンの教え」にはまさにそうした幻覚植物によるイニシエーションが描かれていました。その内容は、その当時すでにサイケデリクス自体の経験はそこそこ豊富に持っていたわたしからすると「なんかこれ、ワシが知っているのとちゃうな……」というもので、それについて思うところはあったのですが目下の目的にはあまり役に立ちそうにないということで、「分離した現実」には手を付けないまま、カスタネダは放置してしまいました。

その後、わたし自身が多くのことを経験することとなり、それによって学びの方向性も変わってしまったため、他の諸々の本と一緒にカスタネダも処分することになったのですが、その一方でどこか心残りというか、気になり続けてもいたんですよね。それというのも、カスタネダによるドン・ファンにまつわるシリーズは全部で10作もあったからで、それだけ膨大な情報にたった一冊だけで見切りつけたのは果たして正解だったと言えるのだろうか? という風にも思えたからです。

それで結局、やっぱり全部読んでみようと思ったのが最近のことでした。しかしながら、先にも述べたようにカスタネダの著作はすべてが絶版になっていて、しかも中古市場でかなり高値がついてしまっているんですよね。なかには中古の出品がない作品もありますし、そうなってくるとちょっと手を出しづらいなあ、と思っていた矢先に今回紹介する島田裕巳さんの『カルロス・カスタネダ』を発見したのでした。


カルロス・カスタネダとは?

カスタネダ自身の来歴には謎が多くあり、そのことはドン・ファンシリーズの内容とも大きく関わってくるのですが、詳しくはこの『カルロス・カスタネダ』に詳しく書かれているので、ここでは簡単に紹介しましょう。

カスタネダはアメリカの人類学者であり、著作家でもあります。ペルー出身の彼は、アメリカにやってきて UCLA (カリフォルニア大ロサンゼルス校)で人類学を学び、人類学者として身を立てることを志していたんですが、メキシコインディアンが扱う薬草の知識について教えてくれる人物を探しているうちに、あるめぐり合わせによってヤキ・インディアンの呪術師 ドン・ファンと出会います。

スペイン語で ドン とは師とか先生という意味の呼称なので、ドン・ファンとは「ファン先生」といった呼称であり、スペインの伝説上の好色な人物であるドン・ファンや紀州のドン・ファンとはまったく関係がありません。

一度目の出会いはほんの挨拶程度だったのですが、実はそのときにカスタネダはドン・ファンの術中にはまっていて、その後ふたたびドン・ファンを探して会いに行くことになります。当初カスタネダは単にドン・ファンから薬用植物(幻覚植物も含む)について学ぶだけのつもりだったのですが、ドン・ファンのほうは初めからカスタネダを自らの後継者として見出しており、なんやかんやあって結局カスタネダはドン・ファンに呪術師として弟子入りすることになります。それから最初の何年間かで、カスタネダがドン・ファンから3種類の植物を経験させられるのですが、そこらへんの話が「ドン・ファンの教え」に書かれています。

ドン・ファンシリーズはこのカスタネダとドン・ファンの出会いからはじまり、やがてドン・ファンが(この世界から)去っていくまでの十数年と、その後の数年間におけるカスタネダと他のドン・ファンの弟子たちとの関わりについてまでを語っているのですが、もちろんわたしはそのすべてを読んだわけではありません。

さて、本書『カルロス・カスタネダ』はこれらドン・ファンシリーズのすべての巻の内容をダイジェスト的に紹介しながら著者の考察を加えていくものですが、わたしが読んでいる「ドン・ファンの教え」の部分をみるに、ドン・ファンの興味深い発言はそのままの形で取り上げられていて、単なる要約にはなっていません。そもそも「ドン・ファンの教え」は読み物としてはかなり冗長で、面白いんですが読むのは結構疲れました。その点でいうなら、これからカスタネダに興味を持つ人はまずこの『カルロス・カスタネダ』を先に読んで、そのなかでどうしてもこの巻は原本を読みたいと感じたものがあれば入手して読んでみるとよいでしょう。

というより、絶対にそうしたほうがよいです。まずこの本自体がかなり面白いです。それはもちろんカスタネダという人物と彼が書いた本の内容に魅力があるからなのですが、原本で一から読んでいったら、多くの人はドン・ファンの教えの真の魅力に気づく前に読むことを諦めてしまうと思います。でもこの本であれば、ダイジェストであるがゆえにテンポよく話が進むので、まるでドン・ファンの教えを巡る上質なミステリー小説を読んでいるような気分が味わえるでしょう。

読み始めると比較的すぐに分かるのですが、ドン・ファンの教えにおいて幻覚植物は主要な位置を占めていないどころか枝葉末節でしかありませんでした。わたしは全部サイケデリックな話だと思っていたのでこれは意表をつかれましたが、しかしもしそうであったら逆に興味を失っていたかもしれません。実際には、ドン・ファンの教えはサイケデリクスとはほとんど関係がなく、そしてまた、いわゆる呪術と聞いてわたしたちが思い浮かべるようなものとも、まったく違っていました。

ドン・ファンの教えは、普通の人間とは異なる「知覚」を持つ " 戦士 " についての知識であり、戦士とはなにか、戦士になるにはどうすればいいか、戦士はどのように生きなければならないか、といったことがその内容を占めています。まあ詳しくは読んでいただくとして、興味深い一節を引用してみましょう。

ドン・ファンが、戦士の姿勢をして重要だとしたのが、「観る」ことであり、「内部のおしゃべりを止める」ことであり、「履歴を消す」ことであり、「世界を止める」ことである。

島田裕巳「カルロス・カスタネダ」

普通の人間が世界を「見る」のに対して、戦士は世界を「観る」のだとドン・ファンは言います。これはわたしにはよく分かることで、わたしがずっと皆さんに伝えていることも「観る」ことだからです。

また、「内部のおしゃべりを止める」ことも、わたしの記事をずっとお読みの探求者であれば「あれのことか」と合点がいくことでしょう。そう、それはもちろん思考との一体化を解体することですが、「観る」ことができているとき「内部のおしゃべり」も止まっているので、これらは同じことを異なる観点から指摘しているのだと思われます。

「内部のおしゃべりを止める」ことについては、ドン・ファンはこんなことも言っています。

ドン・ファンは、内部のおしゃべりを止めるためには、耳を使い、世界に耳をすまさなければならないと説明した。そして、次のように述べた。

「しかし、普通の人間はそんなことはせん。彼にとって、世界はまったく神秘的なものではなくて、老年に達したとき、なにも生きるべきものがないことを確信する。老人は、世界を消費しつくしたわけではない。ただ、人々のすることを消費し尽くしただけだ。しかし、愚かな混同によって、自分にとって世界はもはや神秘的なものではないと信じてしまう。(後略)」

耳を使い、とありますが、これは

この記事で紹介した方法と同じで、聴覚を「聴いている」から「聴こえている」へとシフトさせるということです。このとき理性は弱まり、内部のおしゃべりは止まります。ただし、内部のおしゃべりが止まっても、それは思考がなくなるという意味ではありません。内部のおしゃべりがないときとは、ラメッシの言い方を借りれば「考える心」がなくなり「機能する心」だけが働いている状態のことを指しています。

考える心と機能する心についてはこの記事をお読みください。

聴覚において「聴こえている」状態へのシフトが起きているとき、視覚では「中央視野で見る」から「周辺視野で(視野全体で)見る」へのシフトが同時に起きています。これは人間の知覚の仕組み上起こることですが、要するに「観る」ことも「耳を使う」ことも「内部のおしゃべりを止める」ことも、同じ一つの知覚の状態について、異なる観点から説明しているだけなのです。

ドン・ファンが戦士の姿勢として他に挙げている「履歴を消す」とは文字通り、自分の履歴を抹消するということです。もちろん、日本人であるわたしたちには戸籍を抹消することは出来ませんが、公にしているプロフィールを消すことは可能です。単にプロフィールをSNSなどに表示させないだけでなく、ありとあらゆる活動において、誰かが辿れるような痕跡を残さない(残してしまったものは消す)ようにしていくことによって、第三者からみた自分がまるで何者なのか分からないようにするということです。

これは他者に対しての意味ももちろんありますがそれは副次的なものであり、自分自身のために行うものです。つまりどういうことかというと、「立ち位置をなくす」ということです。あらゆる立ち位置を排除することによって、何者でもなくなること、どんな偏見や価値観、立場といったものからも自由になること、それが履歴を消すことの意味です。

本編のなかで、ドン・ファンがこうしたことについて、カスタネダにどのように明かしどのように教えていくのか注目しながら読んでみてください。読むことで分からないことがたくさん増えてしまうと思いますが、分からないということを認識していなければ、それが分かる瞬間が人生に訪れても、スルーしてしまう可能性が高いです。

他には、引用はしませんが「コントロールされた愚かさ」という言葉が登場しますが、これも重要なので注意深く読んでみてください。

さて、今回はこれでおしまいになりますが、カスタネダの書いていること(に限った話ではないですが)が真実なのか虚偽(というか虚構)なのかは、識別力のない人には判断できません。なので、本当かもしれないし嘘かもしれない、というスタンスを保って読まれることをおすすめします。


おまけ

USB-C対応の i-phone か Android のスマホをお使いの人にはおすすめです。AZLAのイヤーピース(耳に押し込む柔らかいやつ)はそれだけで2000円以上するので、この値段は完全におかしいです。やりにきてます。

上級機種で使われていたドライバーの改良型が使われているのも、この値段では異常なんですが、でも事実なので音質はめっちゃよいです。まあほとんどの人はこれで十分楽しめると思いますよ。色も3色あります。USB-C の方を間違えずに選んでくださいね。3.5mmのイヤホンジャックを備えた端末や、別でUSB DAC(macaron など)をお持ちの人は3.5mm版を買うとよいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

BLACK 記事へのリアクションや記事執筆への励ましのサポートありがたく頂戴します🙏 また、プロフィールにAmazonほしいものリストも掲載しています。こちらもぜひよろしくお願いします!