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ギフトのお礼 + 抽象度について補足 + Uber Eats配達員は見た

読者さまより『気功 その思想と実践〈増補版〉』を贈っていただきました🤗

前回の記事で気功について触れたことで、あらためて学び直してみようという機運が(わたしのなかで)高まってきています。またいずれ、気功の記事を書きますね。どうもありがとうございました!


抽象度が高まるとはどんな感じなのか

さて、前回の記事では苫米地博士のコーチング理論について、トランサーフィンやコンテントとコンテクストの話などに絡めてお伝えしました。コーチングに関していえばその核心は「ゴールを現状の外に設定する」ということでしたが、そこでいう現状とはその人にとっての人生における現在のコンテントと言い換えることができました。

人生における現在のコンテントにはその人の信念体系(ブリーフシステム)も含まれるわけですが、それがコンテントであることから、人は自分の信念から外れるものが認識できない、あるいは理解できないということが分かります。つまり、コンテントの外にあるコンテクストは見えていないわけです。これを苫米地式コーチングでは「スコトーマ(盲点)」と呼んでいます。

したがって、スコトーマを外すとはコンテクストに意識を向けるということとほぼ同じことを指しているということが言えるのですが、苫米地式コーチングでは抽象度を高めることによってそれを実現させます。苫米地式コーチングの場合、現状の外に設定したゴールが含まれる抽象次元(現状よりも抽象度の高い心の次元)にホメオスタシスを同調させるために、その次元で実現されるゴールを明確にしたステートメントを設定し、これを用いてアファメーションを行います。このアファメーションには、その内容以外のものをスコトーマにする働きがあるのですが、つまり、アファメーションの内容を新しい人生のコンテントとして意識に刷り込み、それ以外のこと(現状のあれやこれや)をスコトーマとして見えなくしてしまうわけです。

このことは前回の記事では触れていませんでしたが、重要なメカニズムなので補足しておこうと思いました。

そして、このことで分かるように、アファメーションによってゴールを含む抽象次元の世界が新たなコンフォートゾーンになるということは、ゴールを含む抽象次元の世界が以降の人生におけるコンテントになるということです。それでいくと、当然ですがゴールへと到達した以降のこの人にもスコトーマは存在します。別の言い方をすると、見落としているコンテクストは依然としてあるわけです。

以前に書いたコンテントとコンテクストに関する一連の記事において、コンテクストに意識を向けることによって起こるのは、それまでコンテクストであった領域(情報)が新たなコンテントになるということだ、と書いたと思います。すなわち、意識をコンテクストへと向けていくと、コンテントが拡大されていくわけです。しかし、コンテントがどれだけ拡大しても、その外側には必ずコンテクストが存在しています。そしてコンテントを無限大にすると、それはコンテントとコンテクストがイコールになることを意味しますが、覚醒や悟りとはそのような意識状態です。それゆえ、覚醒や悟りは単純にコンテントを拡大していくだけでは起こり得ない事象です。

ところで、これが重要なところですが、実際のところ心のなかでコンテントが拡大していく過程で起こるのは、コンテントの統合です。つまり、コンテントの拡大とは単に情報量が増大していくことではありません。それでは、単に物知りになっていくだけです(まあ、物知りになるだけでも幾分賢くはなるでしょうけど)。一人の人間が人生のうちに知り得る情報の量というのはたかが知れています。覚者や賢者といった人々の賢さとは、そのような限界のある知に拠って立つものではありません。

コンテント(情報)の統合については別に記事も書いていますが、ここでは簡単な例を示しておきます。たとえばですが、わたしやあなた、それに田中と山田、というのは個人のことを指していますね。で、これらの個人が全員おなじ会社で働いているとしましょう。すると、これらの人々は「同僚」という一言でまとめることができます。このようにまとめることを「統合する」と言うわけです。統合するためには、より高い視点(次元)に立って見るということが必要になるわけですが、この「より高い視点」とは、正確にいうと「より抽象度の高い視点」のことです。つまり、統合するためには抽象度を高める必要があり、抽象度を高めると低い次元のあれやこれやは統合されるということです。

同僚より高い抽象度の視点では「会社員」となり、さらに「社会人」として統合できます。抽象度をどんどん高めていくと「人間」になります。これでもかなり抽象度は高いですが、悟った賢者は人間を含めた生きとし生けるもの、さらには万物を「全体性において個別に顕現した機能」あるいは「縁起における関係性の結び目」というように観ています。ですから当然ですが、個別の機能や関係性の結び目でしかないものに自由意志などはあるはずがないのです。目の前の人が非常に性格が悪く、いつも不機嫌で横柄に振る舞っていたとしても、賢者の目には「彼にはそのようであるしか出来ないのだ。なぜなら彼は自分がなにをしているのか、自分で分からないのだから(つまり、それが彼の機能であるということ)」と映り、その人の振る舞いに腹を立てるどころか、慈悲の思いが向けられることになるわけです。

さて話は戻りますが、そのような賢者の心の抽象度あるいは統合性といったもの、つまり覚醒や悟りを現状の外のゴールとして設定できるでしょうか? ここまで書いたことをきちんと理解していれば簡単に分かることですが、それはできません。というのも、設定可能などんなゴールであれ、それはコンテントだからです。悟りや覚醒をアファメーションしようとしても、それ自体が「悟りや覚醒以外のものを見えなくする」という矛盾をはらんでいるのでこれはうまくいきません。なぜなら悟りや覚醒は、スコトーマのない意識状態だからです。別の言い方では、コンテントとコンテクストの分離のない意識状態です。

とはいえ、苫米地式コーチングは並外れて優れたメソッドです。ほとんどの人にとってのほとんどの人生の問題は、苫米地式コーチングで解決(というか超越)可能です。これは霊的な探求者にとってももちろん言えることで、ぜひ実践するべきです。あなたが設定するゴールがなんであれ、結果としてあなたの心の抽象度(統合性)はそれで大きく高まるでしょう。ただ、意識レベル 500 台まで到達したら、あるいはすでに到達している人は、具体的なゴールといった制限を取り払って、ただ意識をコンテクストへと向け続けることに取り組むべきでしょう。

ちなみに、わたしが様々な教えを多角的に学ぶべきだと言っているのも、理解の抽象度を高めるためです。それがどのような意味であるかは、各自で考えてみてください。

ちなみついでにさらにちなむと、これはまあ余談ですが、in SPIRE のブログサブタイトルは『あなたの世界を再構築するための情報です』というものです。あなたの世界とは、あなたの内部表現のことです。つまり、in SPIRE にある情報は、あなたの内部表現をより統合的なものへと書き換えるためのものです。


Uber Eats 配達員は見た

Uber Eats の配達の仕事を、かれこれ5年以上やっていますが、仕事柄いろんなものを目撃します。たまにはそういう話もちょっとだけ書いてみましょう。

つい最近のことですが、朝の5時過ぎに自転車で走っていたら、あるマンションの前でおばあさんが地べたに座り込んでいました。あわてて停車して、どうしたのか尋ねると「近くの店(コンビニ)に本(雑誌を)買いに行ったが帰りに(ここで)コケてしまって、痛くて起き上がれない」と言うのです。昨年、うちの母もお風呂で転倒して大腿骨を折ったので、これはもしかしたらその可能性もあるなと思ったんですが、本人が「起こしてくれ」というので大丈夫かなと思いつつ背中から起こそうとしたら「さっ、触るな!!」とキレられました🤔 起こせって言ったくせに……。

仕方ないので起こすのは諦め、とりあえずどこか痛いところはあるか聞いてみたら「ケツ(ママ)が痛い!」と言うので「尻もちついたんやね? 大丈夫? 救急車呼ぶ?」と聞くと「ケツが痛いケツが痛いケツが痛い本を買いにいったらコケただいぶ歩いたから足がつかれた」とやや支離滅裂(尻だけに)なことをつぶやきだしました。

それでわたしは合点がいきました。つまり、このおばあちゃんは認知症なのだなと。しかしそれはそれで困ったぞ、こういう場合はどうしたものか。それで「おばあちゃん、どこに住んでるの? お家は近くなの?」と聞いてみると、なんと自宅は目の前のそのマンションでした。しかもご家族も同居のようなのですが、耳が遠いのもあって、どうやっても部屋番号を聞き出すことができません。

それで致し方なく、110番して警察を呼んだのですが、これがまたなかなか来なくて結局それから15分ほどおばあちゃんと要領の得ない会話をしながらその場で待つことになりました。その後、警官がやってきてくれて、わたしはその場を離れました。自分の母がもし将来認知症になってこんな風に外で座り込んでいるようなことになったら、そのときは誰か見過ごさずに声を掛けてくれたらいいなと思いました(ちなみに今のところそんな兆候はまったくありません)。

110番通報といえば、実はこれが2回目でした。1回目は2年前の冬でしたが、配達先のマンションの前に男の人が血まみれになって倒れていました。うつ伏せでしたが、顔というか頭の周りに結構な大きさの血溜まりができていて、これは死んでるかもなと思いました。それで119番か110番か迷ったんですが、とりあえず事件かもしれんしと思って110番したのですが、なぜかやってきたのは救急車でした。その場での確認によって、どうやら生きているらしいことが分かったので、わたしはそれで解放されました。その後警察から電話とかもなかったので、事件でもなくただ酔っ払って派手にコケて顔から地面に突っ込んだのかもしれません。でもびっくりしました。

あと、これは Uber Eats あるあるなんですが、5年も配達をしていると、配達先が「どう見ても特殊詐欺の掛け子の詰め所だよね」ということがあります。配達先の建物がマンションではなく雑居ビルで、その部屋のドアの前の廊下には汚いスニーカーが何足も転がっていて、呼び出してドアが開けられた場合(置き配ではなく受け渡しの場合)は奥に何人もの若者がスマホを持って床に座り込んでいたり、あるいはオフィス風にデスクがずらっと並んでいてパソコンも置かれているのですが、座っているのがどうみてもチンピラみたいなのばかり、といった様子が見えることがあります。

そういう配達先が、大阪市内にわたしが行っただけでも数か所あります。おなじ場所に数回配達に行ったこともありますね。たまに見かけると話をすることがある他の配達員の人に聞いてみても、やっぱりそういう場所に何度か行ったことがあると言っていました。本当ならそれこそ110番通報したいところなのですが、Uber のアプリでは配達先のお客さんはわたしの顔写真を見ることができますから、報復されるリスクがゼロではありません。それに、ほぼほぼ間違いないと思うものの、確実な証拠があるわけではありませんから、それで通報して警察が動くのかどうかもよくわかりません。

ほかにもこういう話はあるのですが、書けないことも多いです。また書けるネタが集まったら記事にしますね。ちなみに、オカルト的な不思議な経験は、この仕事ではいまのところありません。

それでは今回はこれで以上になります。お読みくださってありがとうございました。また次の記事にてお会いしましょう。

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