久しぶりに村上龍『五分後の世界』をAudibleで聴いたおじさんの話
お借りしたタイトル画像ですが、とてもいいですね。龍さんの似顔絵も上手いし、「限りなく透明に近いブルー」の文字列に使われているフォントと配置に尋常ではないセンスを感じました。
で、今回は「限りなく透明に近いブルー」の話ではないんですけども、その前に一つだけ言っておきたいのですが、「限りなく透明に近いブルー」というタイトル、すごくないですか? わたしの一番好きな作家だからというのもありますが、これに多少なりとも比肩しうる小説の題名をわたしは知りません。英語ではたしか「almost transparent blue」だったと思うんですが、これもいい、ってか同じ意味なのでそりゃ当然ですか。
ちなみにしても、一番好きな作家とは言ったものの、この記事を書くにあたってWikipediaで村上龍の作品リストをチェックしたんですが、最近はともかくとしても好きで読み耽っていた時期の作品でさえ、ぜんぜんコンプリートしていませんでした。とはいえ、読んだ作品はどれもこれも大好きで、どこかに書いたかもしれませんが、20代の半ばに病気で会社を休職していたことがあって、その時期に作家を目指して小説を書いていたんですが、そのときに村上龍の文体を自分のものにしようと思って、彼の作品をパソコンのエディタソフトにまるまる書き写したり、同じ一節を何度も何度も何度も何度も声を出して読んだりしました。その作品というのが、今回の主題となる「五分後の世界」でした。
さて、当時はほかに花村萬月とか山田詠美とかも好きでしたが、わたしのなかで村上龍は別格も別格、まったく別物としてみていました。まずもって、作り話の能力値の桁が他の作家たちとは二つくらい違っています。さらに、その作り話に妙なリアリティをもたせる独特の文体が冴えていて、処女作の「限りなく透明に近いブルー」などはそれで芥川賞も獲っていますけど、その後の作品世界や題材は完全にエンターテイメント寄りなのに、その文体の力によって結果として強い純文学作品になってしまうという不思議な魅力があるのです。
あと、言うまでもないですが、作中にはドラッグがあちこちで登場します。これもどこかですでに書いた気がしますが、わたしがドラッグに染まり、染まるどころかドラッグキングといっても盛ってないよねっていうくらいのところまで行ってしまったのは、明らかに中島らもと村上龍のおかげ(?)でした。本当にありがとうございました。
五分後の世界をAudibleで聴いた
そんなこんなでしたが、最近 Audible で村上龍の作品が少しずつ出ているんですよ。といっても、多分ですが幻冬舎から出ているものだけのようでして、「五分後の世界」は見城徹が幻冬舎を立ち上げたときに、そのお祝い的な感じで幻冬舎で書き下ろした最初の作品でした(これは当時読んだハードカバーのあとがきに書いてあった話で、覚えていました)。できれば「コインロッカー・ベイビーズ」や「超伝導ナイトクラブ」や「愛と幻想のファシズム」「イビサ」「エクスタシー」あたりも Audible 化してほしいですが、たぶん無理そう。
それで、とりあえずいくつかの作品をダウンロードして、そのなかで「五分後の世界」と「昭和歌謡大全集」を聴き終えました。
「五分後の世界」は、まあその後の作品を大して読んでいないわたしが言うことなんで真に受けてもらわなくてよいのですが、たぶん村上龍の最高傑作だと思います。いえ、仮に村上龍ご本人が「それは違う」と言ったとしても、わたしはそう主張して一歩も退くつもりはないのです。すくなくとも、「五分後の世界」はそれ以前の村上龍作品とは、文体も、主人公の心理描写も、作中世界のリアリティも、すべてが一線を画していて、最初に読んだときは鳥肌が立ちました。無駄なものが一切削ぎ落とされていて、究極にシンプルなのに、異常なほど情報量が多い。今までそんな小説は読んだことがありませんでしたし、それはその後もずっとそうです。「五分後の世界」を読んで、わたしは「もう小説はいいな。これよりすごいのは多分きっと、今後も出ないやろ」と思いました。そして、そう思ったときに、「ということは、自分が作家を目指す意味ももうないやんか」ということにも気づいてしまって、それで作家修行をやめて復職を目指すことにしたのでした。
とまれ、そんなこと言ってたのも32年も昔のことなので、さすがにいま読んで(聴いて)みたら、そこまですごいとは思わんやろ、と軽い気持ちで聴いてみたんですが、わたし自身がその後の32年間でものすごく色んなことを経験し、考えてきて、結果として成長もしていたため、32年前に感じたよりもさらに強烈な「この作品すごいわ」感を味わってしまいました。なにがどうすごいかとかは、実際に読んで(聴いて)感じてほしいので書きませんし、書いたところでわたしが感じているものを誰もが同じように感じるとは到底思えませんけど、一つ述べておくなら、「五分後の世界」は32年前当時に読んだわたしという人間に、おそらくもっとも影響を与えたものです。人生でもっとも影響を受けた小説作品というのではなくて、人生でもっとも影響を受けたものです。つまり、後にも先にも、「五分後の世界」を読んだ時の読後感以上のインパクトを、わたしは受けたことがないということですね。魂がひりひりしましたね。
ネタバレ的なことを避けつつ、内容に関することでどうしても書いておきたいことが一つあって、それは作中に「恥にまみれた顔」という表現が3箇所も登場するということです。この作品においては「プライド」というものが主題の一つだと思うんですが、といってもホーキンズ博士がいうところのネガティブなプライド、つまり傲慢さのことではなくて、自尊心の意味でのプライドですね。それを捨ててしまっちゃ人として終わりよ、というプライドのことです。つまるところ、「恥にまみれた顔」というのは、この自尊心を放棄したか、あるいは自尊心を奪われた、毀損されたときの人間の顔のことを指しているのだと思いますが、当時の村上龍は当時の日本人に、その顔を見ていたのでしょう。これを読んだわたしは、「恥にまみれた顔」とはいったいどのようなものだろう? もしかして、自分もそんな顔をしていることがあるのではないか? と、当時ものすごく考えた記憶があります。村上龍(に限らないとは思いますが)には、そのようにストーリーそのものとは別のところで読者の心にくさびを打ち込むようなフレーズが多いです。
もう一つ、「五分後の世界」を読んだときに気になってその後もずっと頭から離れなかった言葉に "ポリリズム" があります。これもどこでどう登場するかは読んで(聴いて)のお楽しみということにしておきますが、ポリリズムなんて言葉はそれまで見たことも聞いたこともありませんでした。それで、めちゃめちゃ気になったんですけど、当時(1994年)はまだ Window95 も出ていなくて、わたしはすでにインターネットを使って自分のチャットルームを開設して、そこに集まった人々を全国から呼んで30人規模のオフ会を開催したりしていましたけど、その頃はまだ Wikipedia も YouTube もありませんでしたから、ポリリズムがどんなものやらというのを調べることができなくて、ずっとモヤモヤしていたんですよね。
ちなみに、ポリリズムとは Google AI検索によるとこんなものです。
ポリリズム(Polyrhythm)とは、テンポは同じまま、異なる拍子やアクセントのリズムを同時に奏でる音楽用語です(例:3拍子と4拍子を同時に鳴らすなど)。日本では、Perfumeの代表曲や、その楽曲構造を指す言葉としても広く知られています。
それから13年後の2007年のことですが、当時わたしはある有名な音楽チャンネルの公式サイトに関係した仕事に携わっていて、それで最新の音楽を職場で常に聴いていたんですが、その職場にあった大きなテレビの画面に Perfume の三人組が登場し、「ポリリズム」という曲が流れたときの驚きはいまでもよく覚えています。
それでまあ、普通にいい曲だし、あのときの Perfume の音楽シーンへの登場はかなりの話題になってもいて、わたしもめちゃめちゃ聴いたんですが、肝心の「ポリリズムとは?」については今でもあまりピンとは来ていません。それでも、長年のモヤモヤがかなりのところまでスッキリしましたけどね。村上龍はあの頃、キューバに行ってサルサにかぶれたりもしていて、サルサってなんやねんというモヤモヤも植え付けられたりしましたけど、今ならサルサは YouTube でいくらでも聴けるんで、YouTube 優勝だと言うほかないですね。
「五分後の世界」には「ヒュウガウイルス」という続編があって、こちらも一度は読んでいるんですがまた読みたくて、でもAudible が出るのは今年の10月だそうなので、文庫本を注文しました。T君は宮崎出身だし、読み終えたら彼にあげようかなと思うんですが、だとすれば「五分後の世界」も買わないといけないですね。買ったら、せっかくだしまた読もうと思います。
ちなみに、「昭和歌謡大全集」も面白かったですし、どっちかといえばこっちのほうが村上龍らしいっちゃらしい作品ですよね。どっちも1994年の作品なので、同じ年にこれだけ方向性の異なる作品を書いてしまえるのもすごいなと思います。そして、おばさんは強いし怖いと思いました。方向性が違うと書きましたが、よく考えてみたら、どちらにも共通する要素はあるかもしれないと気づきました。ああ、なるほどな、そっかそっか、という感じです。気になる人は読んで(聴いて)みてください。
おまけ
個性的だけど個性的なだけではないボーカルと音楽性の高さに中毒性がありますね。最近、ほとんど女性ボーカルのアーティストや楽曲ばかり聴いていますが、以前はそうでもなかったんで、なんでだろうかと考えてみたんですが、男性ボーカルの曲の歌詞って子供っぽいなと感じることが多いんですよね。そのボーカリストが子供っぽいとか、歌詞を書いた人が子供っぽいとか、そういう話ではなくて、男が歌っている歌っていう時点で「男という性につきまとう幼稚さ」という重力からは逃れられないのではないか、という風に感じるのです。
とはいえ、そうだからといって聴きたくないとか嫌いだというわけでもなくて、実際いまでも銀杏BOYZは定期的に聴きますし、流行りどころでいえば Vaundy とか米津玄師とかは新曲が出てたら一度は聴いてみます。ので、言うほどネガティブにみているのではなくて、単にそれより女性ボーカルで歌える歌詞のほうがそういう重力を感じさせない曲が多いくて、聴きやすいということのようです。まあ、あとこれは普通に女性の声のほうが癒やし成分は多いです。赤ん坊に一番接するお母さんが女性であり、その女性の声が男性よりも柔らかくて高いキーになっているのは、それが赤ん坊にとって一番聴きやすい音だから、という話をどこかで読んだことがありますが、せやなとしか言えないです。
今回はこれで以上です。読んでくださってありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。
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